一人称アニメ
多くのアニメでは、キャラクターたちが動いているのを三人称的な視点から俯瞰する、という形で画が作られている。時には演出として「ある人物の視点から見た光景」がシーンとして用いられることもあるが、一時的なものだ。
今回は、一人称視点からの映像が全編にわたって徹底される、数少ない「一人称アニメ」を具体的に挙げながら、その性質やねらいについて考えていく。
アニメの中のカメラの視点: FLAG
「FLAG」は2006年にバンダイチャンネルで放送されたWebアニメだ。二人のカメラマンを主人公に、チベットをモデルとした小国・ウディヤーナの内戦が描かれる。主人公の一人は首都市内で、もう一人は国連軍の特殊作戦部隊に帯同して、と、二つの視点にわかれて物語がすすむ。
この作品の変わっているところが、「カメラによって撮影された映像のみが用いられている」こと。二人の主人公・白州と赤城はともにジャーナリストのカメラマンで、カメラを持ち歩いているのだが、アニメ自体がほとんどこれらのカメラを通した映像のみで作られている。したがって、撮影者たる主人公たちの姿があんまり画面にうつることもない。
この特殊な語りによって強烈に意識されるのが、「カメラの存在」だ。
実写におけるカメラ演出(パンやフォーカス、ズームなど)はアニメでも多く用いられるが、実写と大きく違う点があって、アニメでは原理的に演者がカメラを意識することがない。FLAGはドキュメンタリータッチなこともあって、「撮られる側が撮られていることを意識している」画になっていて、逆にこちらにカメラがあること、またこれが「映像であること」がずっと意識される。
二人の主人公、白州と赤城がカメラを向け合う、というシーンがあって、ここではじめて「カメラを構える主人公」の俯瞰像が描かれる、というのも少しおもしろい。
FLAGで繰り返される主題に、「撮影したことはその時点で過去になってしまうが、それでも我々は撮り続けるのだ」というものがある。FLAGという作品自体も「過去の映像を編集して作った」体裁でできているのだが、ここで本編がカメラ視点だという演出が効いていて、カメラの存在感が、映像が過去のものであることを保証する。
FLAG は Amazon Prime Videoに も入っているのでぜひ。
「夢アニメ」の視点: One room・Room mate
「視点=視聴者」の構図を想定した一人称アニメもいくつかあるようだ。
FLAGはカメラが写した向こう側の映像しか使わないだけで視点側の人物もガンガンしゃべっていた。一方で、次に挙げる作品群は一人称の視点側に人間を想定しているが、その視点人物は一切しゃべることがない。
One room 及び Room mate は 2017年にゼロジーが製作した5分アニメで、「バーチャル・アニメ」と銘打たれている。
前者は男性向けで、女の子が視点人物の部屋を訪れる/視点人物が女の子の部屋を訪れる設定、後者は女性向けで、主人公が男の子3人が住むマンションの管理人になって同居するという設定だ。
視点人物がしゃべらない、というのは「しゃべっている瞬間が画面にうつらない」という意味で、キャラクターの発言によって「何を言ったか・何をしたか」が大まかにわかるようになっている。
視点人物にあまりとがった設定が割り当てられない(あるいは割り当てることができない)のも特徴で、没入感や疑似恋愛的な感覚を高めている。
また、付記しておくと、これらの作品では視界において「視点=視点人物の視点」の関係は厳密に守られているわけではなく、時に俯瞰や視点人物から見えないはずのカットも用いられる。が、いずれにしても視点人物の姿がうつることは決してない。
これらの作品のレーベルであるスマイラル・アニメーションは以前にも2015年に「枕男子」、「あにとれ!EX」などで「視点人物が画面手前にいて、キャラクターが話しかける」構図のアニメをいくつか発表している。
ぬいぐるみの視点: セラフィムコール 第二話「マーガリン危機一髪」
セラフィムコールは1999年にサンライズ製作で放送された、2010年(製作当時からしたら近未来)を舞台にしたオムニバス形式のアニメである。
セラフィムコールの二話「マーガリン危機一髪」は、ぬいぐるみが大好きな中学一年生の女の子「寺町たんぽぽ」の、たんぽぽがぬいぐるみと話したり、家のパソコン越しに授業を受けたり、友だちから恋の相談を受けたりする——とある一日の様子を描いたものだ。
この作品はたんぽぽの部屋に新しくやってきたぬいぐるみ「マーガリン」の視点から描かれている。
「マーガリン危機一髪」には、次のような印象的なシーンがある。
恋の相談をしにきた友だちの前で、ぬいぐるみに話しかけるたんぽぽに、友だちは
もう、そんな歳じゃないのよ、私たち もうそんな子どもじゃないんだってば!
と怒って帰ってしまう。これに傷ついたたんぽぽは、マーガリン(視点のぬいぐるみ)に向かって
どうして? どうしてみんな忘れちゃうの? 昔は他のお友達もちゃんとみんなとお話できたのに……
と泣きながら独白するのである。
「だんだんぬいぐるみと話さなくなっていく少女の成長」という題材を描くにあたって、「魂がない」ぬいぐるみから離れていく少女とは対照的に、ある意味でこのぬいぐるみ「マーガリン」には(「ぬいぐるみ=視点=視聴者」の構図からくる)魂が宿っているわけで、なるほどこれはなかなかにシニカルでオモチロい演出だな〜〜
と思っていたらこの作品、とんでもないどんでん返しがある。
この作品、もともと構造上「視聴者が女の子の部屋を覗き見している」という感覚があるのだが——
ラスト1分、場面転換して友だちとの喧嘩があった次の朝になって、たんぽぽの部屋に、盗撮機発見器を持ったひとりの警察官がやってくる。
ピッピッピッピッピッピッピッピーーーーーー
(探知機が画面手前に反応している)
ここですね。
やっぱり目がカメラになってる。
いやぁ、パトロール中に違法電波が出ていたもんですからね。
このごろ多いんですよ、盗撮っていうんですか?
バッテリーの性能とかも、上がっちゃって。
ほら、発信器ですよ。
(警官、こっちを向いて)
こら、いつまでも見てるんじゃない。いいか、覚悟しておけよ。
(警官、発信器を壊す)
(画面がプツリと途切れ、砂嵐になる)
こちらは配信はないのでDVDかレンタルで。
Project LUX
一人称視点アニメをVRでやった例もある。
Project LUX は、〈狼と香辛料〉シリーズの支倉凍砂をライターとして、インディーゲームサークル「Spicy Tails」がVRアニメとして発表した作品である。海辺の家にひとりで住んでいる少女のもとに、義体の男がある依頼をもってやってくる——というところからはじまるSF作品で、プレイ時間はおよそ90分程度。コミックマーケットで頒布されたほか、Steamでも公開されている。
Project LUX はこのような導入からはじまる。
これより陪審員の皆様に、被告の記憶を追体験していただきます。
被告は事件当時、リモート義体に全感覚をリンクさせて行動していたため、その時の記憶データが証拠として提出されています。
なお、過度の記憶への没入を防ぐため、いくつかの感覚記憶は再現されませんが、十分に被告の当時の様子を追体験できるでしょう。
その上で、被告への評決を下してください。
——被告の罪状。
殺人。
「殺人容疑の被告人はサイボーグで、事件当時に見ていたものがすべて録画・録音されています。みなさんは陪審員としてその記録を閲覧(追体験)して、被告の有罪・無罪を決めてください」という、攻殻機動隊もかくやの激アツ導入だ。
VRとこの設定との親和性が抜群で、ヘッドセットとイヤホンで視覚・聴覚が「再現される」ので、本当に「被告の行動を追体験している」感じになるわけである。
本編は、義体の男(被告)(※以後「男」とする)がある少女の家を訪れるところからはじまる。少女と「男」の話を聞いていると(プレイヤーは「男」の記憶を追体験しているので、目の前の少女と「男」である自分とが話している風になる)、どうやら「男」を含む人類のほとんどは生身を捨ててネットの世界に生きているらしいことがわかってくる。
少女はある種のクリエイター(なんかデカい機械を使ってスゴいものをつくる)らしく、「男」は少女に「さまざまな感情(喜怒哀楽など)を喚起させる作品」を作ってほしい、と依頼する。
本編は各感情ごとに章立てされており、おしゃべりしているうちに少女がある感情についての作品のきっかけをつかみ、その感情を喚起させる作品の製作にとりかかる——のが基本の流れ。そのうちにだんだんと依頼の真相や世界の真実が見えてくる……という感じの構成になっている。
「追体験」の精度
物語の終盤、少女が「男」の義体に触れるシーンがあり、ここで次のような台詞が出てくる。
少女:あなたの記憶を追体験する誰かが、今のこの感覚を再現したら、ちょっと嫌だな。
少女:うわこいつ胸ちっせえ、とか抱き心地から思われてたらすごい嫌。
男:……この記憶を再現するとしたら。きっと現場検証か、私の処分を決める際の証拠として記憶を追体験するでしょう。ならば、視覚と聴覚だけだと思います。
プレイヤーと「男」の癒着を引きはがすメチャクチャ悪趣味な演出でいいですね。こういうの好きです。
大ネタでも「実は、視覚・聴覚の追体験で調査する人にわからない方法(触覚)での情報伝達が行われていた(後からくるであろう調査員(陪審員)を欺くため少女と「男」が動いていた)」、というのが用いられる。
「被疑者の記憶を追体験して真相を明らかにする」体裁をVRを使って印象づけておいて、トリックの中核に「追体験の再現の不完全性(触覚の不在)」をもってくる。これによって体験者(「男」)と追体験者(プレイヤー/陪審員)に情報の格差を生み出す——きまった。これはメチャクチャうまい演出だ。
メタレベルの不整合
ただ、この作品、メタ階層の構造にうまく説明できないところが何点かあって、そこがけっこう気になる。
ようするに、「プレイヤーは陪審員になってる」のか「プレイヤーは「男」になってる」のかハッキリしない部分がある、ということだ。
VRとの親和性や「騙される」仕掛けのためにはプレイヤーは「視覚・聴覚で追体験する」陪審員として物語を鑑賞するのがいい一方で、 「陪審員が二人に騙されている」状況を「そのことを知っている側」から描くためにはプレイヤーは陪審員のままでいるわけにはいかず、「陪審員からはみることができない記録」を提示する必要があって、ここで「男」の視点が用いられている。
視聴体験としては、陪審員としてVRで「男」の記録を追体験していたはずが、いつのまにか「男」そのものになっていた——という世にも奇妙な話のようなことがおこっている。
全体通しての話の盛り上がりを考えると、マア仕方ないかなという部分はあって、選択肢についてもたしかに両方の展開をみたらわかることがあって面白いので入れた気持ちはわかる……のだが、やっぱりメタレベルの問題と、「陪審員として判決するとかいう問題はどうなったんだ(結局最後まで判決の話題は出てこない)」というところをきれいに畳んでほしかった。
とにかく、VRアニメ、試みとしてメチャクチャおもしろいし、今後もこういう挑戦的な作品がドンドン出てくると、とてもうれしい。
一人称視点の演出効果
- 作品が「撮影されたもの」であることの演出
- 視聴者と視点の同化
- 同化した視聴者と視点人物を引きはがす演出への利用
また、VR一人称視点については、二つ目と三つ目の効果が強化されるのに加えて、これまでにない可能性がある一方で、新たに生まれた制限もある。
VRアニメは「視界をあるていど能動的に変えられる」が、裏をかえせばクリエイターにとっては「見せたいものを見てもらえないかもしれない」ということでもある。
パンやティルト、ズーム、フォーカスといったカメラワーク演出も使えないわけで、これは映像芸術の系譜としてもかなり異色だ。ぼちぼちすごい変なのが出てきそう。期待。