「大解体時代」を振り返る

このテキストは、私が反-重力連盟のSF短編アンソロジー『圏外通信2022』に書いた「「大解体時代」を振り返る」を加筆・修正したものです。

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でかい塔の解体によって駆動する文明の歴史


解体前史

〈塔〉の頂上は天に届いているともいわれた。その高さは杳として知れないが、一周するのに馬で一刻はかかり、上に向かうにつれ少しずつひねりが加わる長大なねじれ六角柱の形状をしていたという。遠くの山脈から見る〈塔〉は、らせんを描きながら雲をつきぬけ、やがて上の方が霞がかって見えなくなったはずである。本当は六角柱ではなくて徐々に先細っている六角錐なのかもしれなかったが、当時は誰もその全容を知らなかった。
逆に、〈塔〉は上にいくほど太くなっていると唱える者もいたという。頂上はなく、漏斗のように広がって、空そのものになっているというのである。そうであっても不思議ではないほどに、手付かずの〈塔〉には宇宙のはじめからそこにあるかのような威容があった。
遠くから見た〈塔〉は、(影の側でないなら)少し光沢のある深い緑色をしていて、ところどころに窓のような穴があいていたはずである。近づいてみると、人の背丈の半分ほどの大きさの立方体の煉瓦を組み上げて建てられているのがわかっただろう。煉瓦は幾重にも幾重にも配されていて、いくらか抜けてその奥にある煉瓦が見えるのだった。

〈塔〉を作った先人たちがいるという言い伝えがあった。または、〈塔〉は宇宙と同時に作られたともいわれていた。曰く、〈塔〉が完成させた先人たちはどこかへ去ってしまった。曰く、〈塔〉は空と大地の連絡通路として作られた。曰く、〈塔〉から落ちた煉瓦が大地となった。曰く、〈図書館〉も〈塔〉と同時に作られた。曰く、〈塔〉には無尽蔵の油がある。曰く、〈塔〉ができる前はことばはひとつだった。曰く、〈塔〉に入って帰ってこなかった者がいる。曰く、〈塔〉の近くにはうまいブドウの園がある。曰く、昼でも〈塔〉の影になっている暗闇のぬかるみには、目のないおそろしいカエルが住んでいる――

いずれにせよ、この時代、〈塔〉のまわりに住んでいる人はいなかった。畏怖の念から、あるいはその巨大な影によっておおきな暗闇ができ作物ができず獣が寄り付かないという即物的な理由によって、〈塔〉は人々から敬遠されていた。あまりに人が寄り付かないので〈塔〉の周囲にはひどいぬかるみの沼や密林が生い茂り、たまに現れる酔狂者のゆく道を阻んでいた。

灰の時代がくるまで、〈塔〉はただそこに立っているだけだった。

灰の時代

灰の時代になり、森が枯れ、大地から油がとれなくなると、しだいに〈塔〉のまわりに集まる人々があらわれはじめた。世界のどこからでも見える、先人たちの偉業の賜物、不可思議な煉瓦を天まで積み上げた偉大な〈塔〉、無尽蔵の油の言い伝えは、終末を予見した人々が身を寄せるのに格好の道しるべだったようである。

はじめに来たのは狩猟を生業とする者たちだった。元来定住をせず、一族で用いる大きな天幕を携えてあちこちを渉猟していた彼らが、狩場に獲物がいなくなったのをきっかけにこれまで禁足地としていた密林に踏み込むのにさほど時間はかからなかった。狩猟者たちが拓いた道を通って開拓がすすみ、灰の時代の脱出口として、さまざまな人々が〈塔〉の周辺へ流入しはじめた。

解体時代の幕開け

解体時代がはじまる前にも、何らかの理由で〈塔〉から剥落したものか、〈塔〉と同じ素材の煉瓦が地上で見つかることがあり、耐火性・断熱性にすぐれた建材として用いられていたようである。

そういうわけで、〈塔〉の解体は、建材として引き剥がした煉瓦を利用することからはじまった。
地表付近の煉瓦は近くに住み着きだした人々に次々と建材として取り外され、〈塔〉は成形された煉瓦がとれる便利な石切場として活用された。

巨大な〈塔〉を支える煉瓦を取り外せるというのは一見奇妙であるが、これには〈塔〉の特殊な構造が関係している。〈塔〉の容積の大部分である煉瓦は構造材ではなく(ではなくに傍点)、積載物だったのである。〈塔〉自体を支えているのは中央にある第一から第六までの基柱(当時は未発見)と、基柱から煉瓦四つ分の高さ毎に伸びる梁・床からなる階層構造であり、載せられているだけの煉瓦はそれぞれの層においての上から順であれば容易に押し出すことができた。

まずは最下部の表面付近から煉瓦が持ち去られ、遠目で見ると一番下が先細っている不安定そうな見た目になった。煉瓦を建材に利用して〈塔〉の昼の側(影が差さない側)にいくつか集落ができ、灰を耐えて〈塔〉をめざしてやってくる人口の増加を支えていた。

落下熱の発見

有名なわらべ歌にもあるように、歴史上において落下熱の発見はおそらく偶然だったようである。
歌には細かい部分の情報に抜けがあるが、原話はこのような話である:

まだ煉瓦が建材としてしか用いられていなかったころ、〈塔〉の上がどこまで続いているのか調べるため、大量の干し肉と水、寝袋を担いで登攀をはじめた男がいた。男は時おり〈塔〉の窓(煉瓦の抜けのこと)で休みながら登り続けていたが、夜眠る段になると煉瓦ひとつ分の穴ではせまくてやりきれない。気持ちよく過ごせる空間を作ろうと、休んでいた窓から隣の煉瓦を落としたところ(注※当時はまだ法の規制がなかった)、落ちた先の地上の沼では落下の衝撃で轟音が鳴り響いた。たまたま近くにいた狩人たちが何事かと見に行くと、沼に落ちた煉瓦からシューシューと湯気が上がっている。煉瓦の周囲には茹で上がったカエルが三匹浮いていた。その後、沼の近くには旅籠ができ、熱いカエル鍋を出す店として繁盛した。

発見の経緯が本当にこのようなものだったかは今となってはわからないが、貴重な油のかわりに煉瓦の落下熱を使う手法はこの後急速に広まり、調理や冬の暖をとるために盛んに用いられるようになった。

最下層付近の煉瓦を建材としてだけ使っていた頃とは異なり、熱源としてある程度の上層から煉瓦を落とす利用がはじまると、①上層での押し手の恒常的な滞在②安全のための落下管理の必要が生じてきた。

①上層での押し手の恒常的な滞在については、当初こそ食料を担いで登攀した若者が代わる代わるに勤めていたが、登攀ルートが整備されたとはいえ、昇り降りの効率の悪さが問題になっていた。より温度の高い熱源にするために高さが増していったなどの事情も工率の悪化に拍車をかけた。

②の安全性のための落下管理 については、最初期は定刻になると投げ落とす手法がとられていたという。だいたいの集落では、〈塔〉の上にいる者が日時計をもとに昼・夕の二度、季節に応じて決まった数を落としたそうである。その時間は集落の者は落下予測地点には寄り付かず、落下の轟音が聞こえてから取りにいくといった具合で、時報としても活用されていたようである。

落下熱の需要が高まるにつれ、〈塔〉の上下での連絡や物資、人の移動を簡便にすることが重視されるようになっていく。
これらの問題解決を大きく前進させたのが、昇降滑車の発明であった。

昇降滑車の発明と社会階層

異様に長いロープと滑車の組み合わせて作られた昇降滑車は、上層と下層の関係に大きな変化をもたらした。

昇降滑車は、下層からは食物や衣服・金銭を、上層からほぼ同量の煉瓦やゴミ、排泄物などをおろす、という形で運用され、上層に住む者は下層から送られてきたものを対価に、相当分の煉瓦を投げ落とす生活を送るようになった。
昇降滑車のうち大きなものでは人員の輸送も原理的には可能だったが、歴史的にはあまり使用されることはなく、〈塔〉の上の者はある種の特権階級として遇されることを望み、一生を通して一度も地上に降りず過ごす者が多かったという。彼らは後に塔上人と呼ばれる支配階級を構成し、しだいに地上に降りることを極度に忌避さえするようになるが、これは普段高速で落ちていく煉瓦を見ているうちに、落とす側から落とされる側になることを強く恐れるようになるためだった。

大規模な集落になると、より高い層へアクセスするために昇降滑車の中継を行うこともあった。中継階は地上の例にならって駅と呼ばれ、一般的には十階層ごとに設けられていたという。
また、この時代、最下層の駅である十階層において、〈塔〉の内側の煉瓦を落として内部を探索する試みが行われている。〈塔〉が六つの基柱で支えられていたのが明らかになったのもこの時期である。
また、六本の基柱の中央には巨大な中空の空間があるのが発見され、大空洞と名付けられた。この頃の〈塔〉では内側に入りこむほど上層の大量の煉瓦に遮られてまったくの暗闇の空間になっていたので、塔上人たちも基本的に〈塔〉の外縁部で生活していた。

〈図書館〉の合流

落下熱が熱源として盛んに利用されはじめた当時、大地に生きる人の約半数が〈塔〉の周りで生活していたといわれるが、この頃になってようやく〈塔〉周辺に移住してきたのが、それまで〈図書館〉に引きこもっていた学者たちだった。〈図書館〉もまた、〈塔〉と同じく栄華をきわめた頃の先人たちが築いた偉業の建築であったといわれている。

灰の時代は、膨大な本を収蔵していた〈図書館〉にもひとしく訪れた。学者たちはしばらくはそのままこもっていたが、やがて火を灯す油がなくなると、まず絨毯を燃やし、閲覧台を燃やし、とうとう本を取り出した書架までをも薪にしたという。すべての書架を燃やしてしまうと、かれらはそれぞれの(かつて入っていた書架の)担当の本を読んで記憶し、覚えた端から火にくべた。
今日でも学者が通常の名前ではなく番号の羅列の名前を持つのは、このとき彼らがかつての名前を捨て、担当していた書架の番号を名乗るようになったためである。この名付けは、誰に尋ねればいいかを明らかにする索引番号であると同時に、書を燃やした罪の烙印であった。

〈図書館〉で燃やすものがなくなった学者たちが〈塔〉へ大移動して来たころには、〈塔〉の周囲の社会階層はかなり固定化しており、よそ者であるかれらはまずは労働力として、〈塔〉下部でおろした煉瓦を輸送する労務にこき使われた。大移動の前後は特に灰が厳しく、この時期に多くの書架番号に欠番が生まれた。これ以降、学者は生涯のうちに必ず数人の弟子をとり、口承で覚えているかぎりの本の内容と書架番号とを引き継ぐようになったとされる。

大解体初期:動力革命

〈図書館〉の合流によって〈塔〉にもたらされた最も大きな変化が、動力革命である。
回転運動の動力を作業の自動化に用いたり前後運動に変換する発想は、もともと灰の時代以前の哲学者が戯れに考案して書に記したものだったが、滑車による積みおろしという、降ろせる煉瓦があるかぎり恒久的に回転させられる動力源の発見をもって見事に花開き、大解体時代が幕を開けた。

滑車の回転力は下階層に伝達され、衣服の製造や食料品の加工、金属の精錬・加工など工場の動力として用いられた。塔上人は動力の提供者として栄華を極めた。この頃になると彼ら自身が働くことはなく、滑車で送られてくる税を受け取り、下層の住民を雇って煉瓦を滑車に誘導しておろし続ける労働に従事させた。

増える動力需要に応えるため、煉瓦を落とす動力を使って新しい煉瓦を落とすよう自動化の発明なども進み、そうした発明家の中には、莫大に得た富で貴族階級を購い、新たに塔上人になる者もいた。

軸のついた容器に円盤をいれて回転させることで動力を〈塔〉と分離して持ち運べるようにした慣性円盤体(通称:ゼンマイ)が発明されたのもこの時期である。ゼンマイで回転が持ち運べるようになったことで、自動車や登攀機などの独立機械が次々と登場した。ゼンマイの発明以降、煉瓦を滑車で降ろす数は年ごとに倍々で増え、記録ではピーク時には毎秒六万個の煉瓦がおろされていたという。

動力/熱源とするために下ろした煉瓦は、かつては建材として用いたり遠くへ運んで投棄されていたが、より簡易的な解決方法として、一旦集積所に積み上げ、年に一度の頻度で都市全体の地面を高くする〈地上げ〉で処理されるようになった。これによって、〈塔〉を中心に擁したなだらかな山が歴史を積み上げながら成長を続けることとなった。

大解体中期:言語と社会階層の変化

大解体中期は、〈塔〉は油なしで熱と動力が得られる唯一の都市として人口の流入が続き、大地に住む人のほぼ全てが〈塔〉の周辺で生活を送るようになった時代である。〈塔〉周辺への人口の集中と過密により、問題となったのが言語と文化の衝突であった。
それまでの大きな都市は〈塔〉の外周沿いに作られ、移住前に住んでいた出身地方ごとにいくらか棲み分けがなされていたが、低・中層の解体が進んだ大解体中期には、外の煉瓦が取り払われて大空洞に外光が入るようになり、〈塔〉内部への都市の建設ラッシュがはじまった。〈塔〉で光を遮られていた夜側にはじめて街が建設されたのもこの頃である。

これらの新興の都市に外周の都市からさまざまな言語の人が移住した結果、第二基柱周辺の都市で用いられていた言葉を基本として、後の統一語となる混合言語が発達した。やがて大空洞で発達した言語・文化・金融が〈塔〉経済圏の中心を担うようになり、この時期を境に、塔上人は徐々に力を失っていく。

〈塔〉の解体が進むと同時に、ゆるやかに社会階層の変化と言語の融合が進行していたのである。

大解体後期:現在

現代では、およそほとんどの積載煉瓦をおろし終わり、頂上から順に〈塔〉の構造体自体を崩して動力へ変換しはじめた百二十年前以降の時期を「大解体後期」に位置付けようとする向きが主流になってきている。

予測では十数世代の猶予はあるものの、〈塔〉を解体しきってしまうと、生存に必要なだけの動力を得る方法が失われてしまうので、第三基柱付近で新たな動力源を探す研究開発が盛んに行われている。二十年前、煉瓦は有機元素と金属からなる化合物で、自然界では非常に安定だが、特定の酸を反応させることで熱と泡を放出しながら灰褐色の砂になる、という発見がなされ、これまでは大地でしかなかった物質としての煉瓦を未来の熱/動力源として活用できる理論として注目を集めている。

「大解体」という時代

大解体の歴史を振り返って思うのが、〈塔〉は先人が回転動力を保存するために積み上げたものなのではないか? ということだ。そう考えると、構造材ではない煉瓦が大量に積載されていた理由に見当がつく。つまり、〈塔〉は回転動力を高所に置いた煉瓦という形で保持している、と考えることができるからだ。先人たちは何の目的のためか、めいっぱいにこの大きなゼンマイを巻いたのだ。われわれは少しずつ〈塔〉というゼンマイが蓄えた回転の力を動力に変え、熱に変え、長い灰の時代を乗り切ってきた。

書架を燃やした灰も、本を燃やした灰も、それ以上燃えることはない。ただの砂は酸をかけても熱を出すことはない。そして、平坦な場所に置かれた煉瓦は動力に変えることができない。灰の時代がくる前に生み出されたものを、われわれはひとつひとつ混沌へ/一番なんでもない状態へと返していくことで得られる熱で生きてきた。

近年の観測では徐々に積灰量が減っており、近いうちに灰の時代が終わるとする仮説が提唱されている。しかし、煉瓦層の下の大解体以前の深層探査では、灰の時代は数千年の周期で訪れているという地質証拠が発見されており、今紀の灰が明けてもいずれ次の灰の時代が訪れる可能性が高いと予測される。

とするならば、灰が落ちきったときに我々がすべきことは、新しい回転動力源を探して解体し続けることではなく、崩した煉瓦を積み上げ直すことではないだろうか? 前の灰の時代を生き延びた先人も、その前の先人も、ゼンマイを巻くように煉瓦を積み上げてきたのではないだろうか? そうやって、大解体と大建設・・・が繰り返されてきたのではないだろうか?

この営為は一見、河原の石を積み上げては崩す不毛なものにも思えるが、たしかに我々に連なるものである。もう一度煉瓦を積み上げる日を、前よりも一段でも高く積み、いつかその余力が灰のない未来へ続く日を願って、筆を置く。

ト-412

同人音声がすごいことになっている2022

「同人音声」や「音声作品」と呼ばれるメディアがある。 特殊な録音技術を使ってさも耳元で本当に囁いているかのように聞こえるのが特徴で、耳かきや散髪音などリラックスできる全年齢向け作品のほか、耳舐めをはじめとしたポルノ作品も多い。最近ではゲームやアニメといった別ジャンルから大きなIPの参入や、有名声優の起用など、話題にことかかないホットな分野である。

中にはかなり変わった作品もあり、すごいことになっているのでその一端を紹介する。

今回紹介する入門編は2つ、三途の川の渡し守に毒針で耳かきされる音声(?)と、耳なし芳一が怨霊に耳責めされてしまう音声(???)である。

1. 三途の川の渡し守に毒針で耳かきされる音声

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みなさんは「毒針耳かき」をご存知だろうか? 毒針耳かきとは、文字通り毒針で耳かきをすることである。サークル・チームランドセルを中心に複数の作品があり、さまざまな毒針が耳かきとして用いられている。

本作を聴き始めると、どうやら聞き手の〈私〉(女性)は記憶を失っていて、霧深い川に浮かぶ船の上にいることがわかる。背景には少し不気味でアンビエントな音楽と川の水音。船には優しい語り口の渡し守が乗っていて、この空間のこと、ここで〈私〉が何をすべきかを教えてくれる。そう、〈私〉がいるのは彼岸と此岸をわける川で、語り手は冥府の川の渡し守である。案内をうけているうちに、渡し守は地獄バチの毒針を取り出し、〈私〉に耳かきをはじめる。

猛毒の針を耳に入れてまさぐるのは、ひとつ間違えると死に直結する行為である。この過激な設定がどのような演出効果を生んでいるか考えてみよう。

ひとつは、究極の信頼関係である。
彼岸と此岸の境界で、生殺与奪すら含む身体のすべてのコントロールを捧げるのは、これ以上ない信頼・奉仕の表現だ。「毒針耳かきをしてもらう」事実こそが、〈私〉と囁き手の力関係・信頼関係を強力に規定する。この機能は、渡し守による「私に命を握られて、怯えたフリしてその実、喜んでいる」のセリフに象徴されている。

もうひとつが、究極的な安らぎとしての死である。
作中に、作品タイトルも意識される「もし万が一突き刺さったとしても、きっとそれは——ぐっすり眠れるから、安心して」というセリフがある。 アンビエントな音楽が流れる冥府の川のロケーションでは、むしろ死は忌むべきものとしてイメージされない。というより、優しい渡し守が案内してくれているので、「ぐっすり眠っても(死んでも)そのあと優しく導いてくれるだろうし、それもいいかな……」という、静かなタナトスの誘惑まで生じるのだ。

この作品が真に面白いのは、渡し守が彼岸と此岸の渡し守という「生と死の境界」の存在であることだ。渡し守は私に究極の安らぎ(死)を与えたい欲求と、まだ生者である私のぬくもり(生)を大切にしたいというアンビバレントな心を持っていて、毒針を手に、耳の中で〈私〉の生と死の境界をゆれ動き続けるのである。

2. 耳なし芳一が怨霊に耳責めされてしまう音声

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盲目の琵琶法師・芳一が平家物語を聞かせていた相手は実は平家の怨霊で、邪悪な怨霊に取り殺されるのではないかと危惧した和尚が怨霊から芳一を守るために身体中に経文を書くのだが、耳にだけ書き忘れてしまい、迎えにきた怨霊が耳を見つけて引きちぎってしまう——本作は、誰もが知る怪談「耳なし芳一」をエロ・パロディしたアホなホラー(?)作品である。

サークル「わちのぶた」は他にも姦姦蛇螺やくねくね、八尺様といった和の都市伝説や妖怪に責められる作品を発表している。

本作では、和尚が耳に経文を書き忘れたために芳一は怨霊に耳責めをされてしまい(?)、思わず勃起してしまうのだが、流石の和尚も芳一の皮に隠れた芯までには写経していない(それはそうだ)。「はて、耳をねぶったら魔羅が生えてきおったが?」と怨霊に耳だけでなく魔羅まで発見されてしまい、かくして芳一は、さんざんねぶられたあげくに耳と魔羅とを引きちぎって持ち帰られてしまう。

アホな設定なのに元ネタよりオチがスプラッタである(耳と魔羅はその後お館様に可愛がられるとのこと。ハッピーエンドだ)。

が、考えてみると、我々は音声作品を聞くとき、現実世界からの入力をシャットアウトし(ヘッドホンをつけ)、かわりにそこに別の感覚入力(音声作品)を流しこむ。この構図において我々は奇しくも芳一と同じように、耳だけを音声作品のフィクションの世界に曝してしまっている、と捉えることができる。音声作品という魔物には我々の耳しか見えていないが、かれらは耳を通して聞き手の魔羅を露出させ、さらには次なる魔物へと我々を導くのである。

さて、別世界の音が聞きたくてわざと耳に経文を書き忘れた私たちは、魔物に耳と魔羅とを持っていかれてしまってはいないだろうか?

耳舐め芳一は、音声作品というメディアについてのホラーでもあるのだ。

奇想同人音声評論誌 空耳

ほか、

  • パブロフの犬のように音でユーザーを条件づけする作品
  • ほぼ無音が6時間続く作品
  • 聴く位置をザッピングする作品
  • 左耳バイノーラル・右耳ふつうで囁かれる作品
  • 理解不能な宇宙語で囁かれたあとそれの翻訳版が流れる作品
  • 伊藤計劃『ハーモニー』の前日譚になっている作品など、構成やストーリー性に優れた作品も

……てな感じの奇想作品紹介レビューが88本と、気鋭の執筆陣による論考がいっぱい載った約300ページの同人誌『奇想同人音声評論誌 空耳』を、コミックマーケット100で頒布しました!

8/13 (土) | 東 プ- 42b

内容はこんな感じです。


表紙イラストはなるめ(@narumeNKR)さんです。

レビュー以外にも「胎内の音を流す」配信をやっているVtuberについての論考、DLsiteという市場の特性やそれをハックしている作品の分析、「耳舐め音声を公募してよかったものを自分の耳舐め音として認定する」前代未聞の大会を開催したVtuberによるレポ漫画など、おもしろトピックが目白押しです。音楽シーンにおける利用や町おこしへの活用、プラットフォームの問題、メインストリームでの動きなどについてたっぷり語った座談会もあります。

ぼくもメディアのリアリティと身体性から考えるコンテンツの未来について書きました。

キミも『空耳』を読んで同人音声の現在を目撃しよう!

booth.pm (通販はこちら)

ミルクボーイの漫才風CM全部みる

2019年にM-1グランプリで優勝して以来、ミルクボーイを起用した漫才風CMを本当によく見るようになった。
どうも「オカンが忘れたもの」のシステムは商品紹介と相性バツグンで、笑いも入れつつ適度に情報を提示しながら宣伝するのにちょうどいい構造のようである。
が、何気なく見ていると、どこか違和感のあるヘンなCMが多いように思えてきた。

ミルクボーイの漫才はもともと商品紹介にすぐれたフォーマットなのだが、さらに微調整してCMに適応しているようなのだ。

ということで、ミルクボーイのシステム漫才の仕組みを概観したのち、Web上で閲覧できるミルクボーイの漫才風CMと比較して、本ネタとの構造的な違いやCM化にあたって行われている工夫を見ていこう。

本ネタとCM

まずは比較のために、コーンフレークをテーマとしたこちらの二つの動画を見てみよう。

www.youtube.com 本ネタ「コーンフレーク」

www.youtube.com CM「グラノラハーフ編 楽屋裏編」

どのくらい「違い」があるだろうか?

システム漫才の流れ

ミルクボーイの本ネタをフローチャート化すると、次のようになる。 f:id:xcloche:20220214193221p:plain

ツカミ

漫才のツカミではまずは駒場が会場から何かを受け取るジェスチャーを行い、内海が「①あーありがとうございます、いま○○をいただきました こんなんなんぼあってもいいですからね」と受ける。ここで受け取るのはもらっても困るもの、なんぼあってもいいわけないものなことが多い。

メイン導入

メイン構造の導入部は、駒場の「ウチのオカンが好きな(ジャンル名)があるらしい」から入り、そこからなんやかんやあって忘れてしまったその名前を内海が一緒に考える「ほな俺がね、オカンが一番好きな〇〇一緒に考えてあげるからどんな特徴いうてたか教えてみてよ」の流れになる。ネタによってはここで変化があり、「好きな(ジャンル名)がある」と聞いた時点で「わからへんのでしょう?」で受ける(ミルクボーイのいつものシステムを対象化した)パターンや、「オカンが好きな(ジャンル名)のものなんて○○くらいでしょ」で受けるパターン、またその発展で「いや、オカンが好きな(ジャンル名)は絶対に○○や」と言う決めつけを連呼するループに入るパターン(内海の強弁ループ)などがある。内海の強弁ループは後のメイン構造の中でもたまに挿入されるサブ構造になっている。

メイン構造

駒場によって特徴が提示され、それを元に内海の主張が二転三転するのがメイン構造である。 メイン構造はヒントアンチヒントによって構成されている。

ヒントパートでは、「コーンフレーク」だと「なんであんなに栄養バランスの五角形がでかいのかわからん」のように、テーマとなるものの真の特徴が提示される。特徴を聞いた内海は「そんなもんコーンフレークに決まりや」と、テーマのものであることを肯定し、「あの五角形には実は牛乳が含まれているのを俺は見逃さへんよ」などの補足説明で毒を入れる。

アンチヒントパートでは、「コーンフレーク」だと「死ぬ前の最後のご飯もそれでいい」のように、テーマとなるものの一般的に偽の特徴が提示される。内海はこれを受け、「あー、ほんならコーンフレークと違うわ」と、テーマのものであることを否定し、「コーンフレークはまだ寿命に余裕があるから食べてられる」のように補足説明で毒を入れる。

オチ

最後は駒場の「オトンが言うには〜」からはじまるオトンによるかすりもしないトンチンカンな推理でオチ、というのがミルクボーイの漫才の主な流れである。

CMのシステム

たくさんミルクボーイの本ネタとCMをみたところ、どうも本ネタのシステムは上で述べたように展開する一方、CMのシステムでは別のサブルールが適用されることがある。CMシステムのサブルールには次のようなものがある:

  1. ツカミで本当になんぼあってもいいものをもらう
  2. アンチヒントが偽の特徴ではなく、テーマ商品の知られていない特徴
  3. オトンのトンチンカンな推理ではなく、「実際の商品が出てくる」オチ
  4. 毒が弱い

順番に見ていこう。

ミルクボーイがCMでもらったなんぼあってもいいもの

なんぼあってもいいわけがないもの(本ネタのシステム)

  • 跳び箱の6段目
  • 警察手帳
  • むちゃくちゃ長い延長コード
  • 来客用スリッパの左側
  • 宝くじの当選番号を決めるルーレットの矢
  • どこかの信号機
  • 長めの蛇口
  • 理髪店前の赤青白のグルグル回るやつ

本当になんぼあってもいい/スポンサーが売りたいもの(CMのシステム)

  • 十連ガチャ
  • デカビタCのCM
  • 拳銃情報*1
  • しろまるひめグッズ
  • 善玉菌
  • ウルトラライトダウンを収納する袋
  • ヒートテックが入ったチャック付きの袋
  • CO2センサー

どっち?

  • 広告のスキップボタン*2
  • Wi-Fiのパスワード
  • でびるよおよお・そくじゅじょう

アンチヒントがなく、全てがヒントである(オールヒント)CM

www.youtube.com 明治QUARKのCM

www.youtube.com モンストのCM

これらの動画と冒頭にあげた「グラノラハーフ編 楽屋裏編」が、アンチヒントがなく、すべてが商品説明になっているCMの例である。

グラノラハーフやQUARKのCMではメインテーマのものはクライマックスになるまで出てこず、ヒントをもとに「ヨーグルト」→「チーズ」と内海の推量が変化していく、という変則構成になっており、商品である「明治QUARK」がヒントの特徴すべてを満たすものであることが最後に明らかになる。

モンストのCMでは、駒場側の「そのソシャゲは気前がいいキャンペーンをやっているらしい」メッセージに内海側が「モンストはそんなに気前がいいはずがない」立場を崩さないことで普段の本ネタのスタイルと一見同じ流れになっているが、その実本当に気前のいいキャンペーンをやっているわけなので本ネタの流れとしては成立していないという不思議な構造になっている。

明治QUARKに至っては「ミルクボーイの鉄板ネタには珍しい、まさかの展開が!?」とこの展開に自覚的なコピーを動画タイトルにつけている。

限られた時間に情報を詰め込むためであろう変則システムのこの工夫、普段のスタイルを意識して聞いてしまうと変な不安になるところもある(真/偽の対立構造が消失しているので)。

「実際の商品が出てくる」オチ

上の明治QUARKのCMで、駒場が「いやわからへんねんな」から実際の商品を懐から取り出して「パッケージが妙にオシャレやねんな」「いやあるんかい 先言えよ」「ほな食べてみよか」と展開しているように、オチを「これやねんけどな」にして実際の商品を提示して見せる流れは強いサブシステムで、いろいろなCMで採用されている。

中でも関西ペイントの「接触感染対策テープ」CMでの、オトンのトンチンカン推量からの商品提示二段オチがめちゃくちゃ気持ち悪くていいのでオススメしておく。 www.youtube.com 合成背景のグリーンバックが……

ミルクボーイの漫才では、テーマとなるものの偏見に基づくあるあるの毒を吐く構図が重要なのだが、CMではテーマ商品の宣伝をする関係上、毒にあたる部分がなんかボンヤリしていたり、弱毒化しているのも注目である。

中でも「デカビタ」は、元々ミルクボーイが本ネタとしてデカビタをテーマにやっていたところにCMキャラクターとして起用され、本ネタに近い構造のCMが作られた経緯があり、同じテーマについて本ネタバージョンとCMバージョンの比較ができる稀有なサンプルである。

www.youtube.com デカビタ本ネタ

www.youtube.com デカビタCM

どちらも2分尺の両者を比較してみよう。

アンチヒント「売り切れてたら見つかるまで探し回る」を受けての「ほなデカビタと違うか、デカビタが売れてたとしてもね、リアルゴールドでまかなえるんやから」のキラーツッコミは当然CMではダメなので「デカビタはね、スーパーや自動販売機で見かけたらなんか買ってまうくらいのやつなんやから」に差し替えられている。

デカビタあるある自転車止めてたら絶対カゴに入れられてるらしいは本ネタ内のあるあるでは一番面白いのだが、もちろん企業イメージ最悪なのでカットされている。

全レビュー

ほか、いまWebで閲覧できるかぎりのミルクボーイの漫才風CMとその特徴を表にまとめた。ミルクボーイの漫才風CMをみたい人は適宜参考にしてほしい。

docs.google.com

本当になんぼあってもええもの

ミルクティーにするとうまい紅茶。20箱以上買っている

非常食ようかん。たまになんでもないときに食べる

*1:警察による、遺産などで見つかった拳銃に関する情報を提供するよう求める啓発動画

*2:Youtube広告で、「今は押さんといてくださいね」というメタ的なツッコミがある