アニメの中の視点:一人称アニメの世界

一人称アニメ

多くのアニメでは、キャラクターたちが動いているのを三人称的な視点から俯瞰する、という形で画が作られている。時には演出として「ある人物の視点から見た光景」がシーンとして用いられることもあるが、一時的なものだ。

今回は、一人称視点からの映像が全編にわたって徹底される、数少ない「一人称アニメ」を具体的に挙げながら、その性質やねらいについて考えていく。

アニメの中のカメラの視点: FLAG

「FLAG」は2006年にバンダイチャンネルで放送されたWebアニメだ。二人のカメラマンを主人公に、チベットをモデルとした小国・ウディヤーナの内戦が描かれる。主人公の一人は首都市内で、もう一人は国連軍の特殊作戦部隊に帯同して、と、二つの視点にわかれて物語がすすむ。

この作品の変わっているところが、「カメラによって撮影された映像のみが用いられている」こと。二人の主人公・白州と赤城はともにジャーナリストのカメラマンで、カメラを持ち歩いているのだが、アニメ自体がほとんどこれらのカメラを通した映像のみで作られている。したがって、撮影者たる主人公たちの姿があんまり画面にうつることもない。

この特殊な語りによって強烈に意識されるのが、「カメラの存在」だ。

実写におけるカメラ演出(パンやフォーカス、ズームなど)はアニメでも多く用いられるが、実写と大きく違う点があって、アニメでは原理的に演者がカメラを意識することがない。FLAGはドキュメンタリータッチなこともあって、「撮られる側が撮られていることを意識している」画になっていて、逆にこちらにカメラがあること、またこれが「映像であること」がずっと意識される。

二人の主人公、白州と赤城がカメラを向け合う、というシーンがあって、ここではじめて「カメラを構える主人公」の俯瞰像が描かれる、というのも少しおもしろい。

FLAGで繰り返される主題に、「撮影したことはその時点で過去になってしまうが、それでも我々は撮り続けるのだ」というものがある。FLAGという作品自体も「過去の映像を編集して作った」体裁でできているのだが、ここで本編がカメラ視点だという演出が効いていて、カメラの存在感が、映像が過去のものであることを保証する。

FLAG は Amazon Prime Videoに も入っているのでぜひ。

www.amazon.co.jp

「夢アニメ」の視点: One roomRoom mate

「視点=視聴者」の構図を想定した一人称アニメもいくつかあるようだ。

FLAGはカメラが写した向こう側の映像しか使わないだけで視点側の人物もガンガンしゃべっていた。一方で、次に挙げる作品群は一人称の視点側に人間を想定しているが、その視点人物は一切しゃべることがない。

One room 及び Room mate は 2017年にゼロジーが製作した5分アニメで、「バーチャル・アニメ」と銘打たれている。

前者は男性向けで、女の子が視点人物の部屋を訪れる/視点人物が女の子の部屋を訪れる設定、後者は女性向けで、主人公が男の子3人が住むマンションの管理人になって同居するという設定だ。

視点人物がしゃべらない、というのは「しゃべっている瞬間が画面にうつらない」という意味で、キャラクターの発言によって「何を言ったか・何をしたか」が大まかにわかるようになっている。

視点人物にあまりとがった設定が割り当てられない(あるいは割り当てることができない)のも特徴で、没入感や疑似恋愛的な感覚を高めている。

また、付記しておくと、これらの作品では視界において「視点=視点人物の視点」の関係は厳密に守られているわけではなく、時に俯瞰や視点人物から見えないはずのカットも用いられる。が、いずれにしても視点人物の姿がうつることは決してない。

これらの作品のレーベルであるスマイラル・アニメーションは以前にも2015年に「枕男子」、「あにとれ!EX」などで「視点人物が画面手前にいて、キャラクターが話しかける」構図のアニメをいくつか発表している。

anime.dmkt-sp.jp

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ぬいぐるみの視点: セラフィムコール 第二話「マーガリン危機一髪」

セラフィムコールは1999年にサンライズ製作で放送された、2010年(製作当時からしたら近未来)を舞台にしたオムニバス形式のアニメである。

セラフィムコールの二話「マーガリン危機一髪」は、ぬいぐるみが大好きな中学一年生の女の子「寺町たんぽぽ」の、たんぽぽがぬいぐるみと話したり、家のパソコン越しに授業を受けたり、友だちから恋の相談を受けたりする——とある一日の様子を描いたものだ。

この作品はたんぽぽの部屋に新しくやってきたぬいぐるみ「マーガリン」の視点から描かれている。

「マーガリン危機一髪」には、次のような印象的なシーンがある。

恋の相談をしにきた友だちの前で、ぬいぐるみに話しかけるたんぽぽに、友だちは

もう、そんな歳じゃないのよ、私たち もうそんな子どもじゃないんだってば!

と怒って帰ってしまう。これに傷ついたたんぽぽは、マーガリン(視点のぬいぐるみ)に向かって  

どうして? どうしてみんな忘れちゃうの? 昔は他のお友達もちゃんとみんなとお話できたのに……

と泣きながら独白するのである。

「だんだんぬいぐるみと話さなくなっていく少女の成長」という題材を描くにあたって、「魂がない」ぬいぐるみから離れていく少女とは対照的に、ある意味でこのぬいぐるみ「マーガリン」には(「ぬいぐるみ=視点=視聴者」の構図からくる)魂が宿っているわけで、なるほどこれはなかなかにシニカルでオモチロい演出だな〜〜




と思っていたらこの作品、とんでもないどんでん返しがある。

この作品、もともと構造上「視聴者が女の子の部屋を覗き見している」という感覚があるのだが——

ラスト1分、場面転換して友だちとの喧嘩があった次の朝になって、たんぽぽの部屋に、盗撮機発見器を持ったひとりの警察官がやってくる。

ピッピッピッピッピッピッピッピーーーーーー
(探知機が画面手前に反応している)
ここですね。
やっぱり目がカメラになってる。
いやぁ、パトロール中に違法電波が出ていたもんですからね。
このごろ多いんですよ、盗撮っていうんですか?
バッテリーの性能とかも、上がっちゃって。
ほら、発信器ですよ。
(警官、こっちを向いて)
こら、いつまでも見てるんじゃない。いいか、覚悟しておけよ。
(警官、発信器を壊す)
(画面がプツリと途切れ、砂嵐になる)

こちらは配信はないのでDVDかレンタルで。

Project LUX

一人称視点アニメをVRでやった例もある。

Project LUX は、〈狼と香辛料〉シリーズの支倉凍砂をライターとして、インディーゲームサークル「Spicy Tails」がVRアニメとして発表した作品である。海辺の家にひとりで住んでいる少女のもとに、義体の男がある依頼をもってやってくる——というところからはじまるSF作品で、プレイ時間はおよそ90分程度。コミックマーケットで頒布されたほか、Steamでも公開されている。

store.steampowered.com

Project LUX はこのような導入からはじまる。

これより陪審員の皆様に、被告の記憶を追体験していただきます。
被告は事件当時、リモート義体に全感覚をリンクさせて行動していたため、その時の記憶データが証拠として提出されています。
なお、過度の記憶への没入を防ぐため、いくつかの感覚記憶は再現されませんが、十分に被告の当時の様子を追体験できるでしょう。
その上で、被告への評決を下してください。
——被告の罪状。
殺人。

「殺人容疑の被告人はサイボーグで、事件当時に見ていたものがすべて録画・録音されています。みなさんは陪審員としてその記録を閲覧(追体験)して、被告の有罪・無罪を決めてください」という、攻殻機動隊もかくやの激アツ導入だ。

VRとこの設定との親和性が抜群で、ヘッドセットとイヤホンで視覚・聴覚が「再現される」ので、本当に「被告の行動を追体験している」感じになるわけである。

本編は、義体の男(被告)(※以後「男」とする)がある少女の家を訪れるところからはじまる。少女と「男」の話を聞いていると(プレイヤーは「男」の記憶を追体験しているので、目の前の少女と「男」である自分とが話している風になる)、どうやら「男」を含む人類のほとんどは生身を捨ててネットの世界に生きているらしいことがわかってくる。

少女はある種のクリエイター(なんかデカい機械を使ってスゴいものをつくる)らしく、「男」は少女に「さまざまな感情(喜怒哀楽など)を喚起させる作品」を作ってほしい、と依頼する。

本編は各感情ごとに章立てされており、おしゃべりしているうちに少女がある感情についての作品のきっかけをつかみ、その感情を喚起させる作品の製作にとりかかる——のが基本の流れ。そのうちにだんだんと依頼の真相や世界の真実が見えてくる……という感じの構成になっている。

追体験」の精度

物語の終盤、少女が「男」の義体に触れるシーンがあり、ここで次のような台詞が出てくる。

少女:あなたの記憶を追体験する誰かが、今のこの感覚を再現したら、ちょっと嫌だな。
少女:うわこいつ胸ちっせえ、とか抱き心地から思われてたらすごい嫌。
男:……この記憶を再現するとしたら。きっと現場検証か、私の処分を決める際の証拠として記憶を追体験するでしょう。ならば、視覚と聴覚だけだと思います。

プレイヤーと「男」の癒着を引きはがすメチャクチャ悪趣味な演出でいいですね。こういうの好きです。

大ネタでも「実は、視覚・聴覚の追体験で調査する人にわからない方法(触覚)での情報伝達が行われていた(後からくるであろう調査員(陪審員)を欺くため少女と「男」が動いていた)」、というのが用いられる。

「被疑者の記憶を追体験して真相を明らかにする」体裁をVRを使って印象づけておいて、トリックの中核に「追体験の再現の不完全性(触覚の不在)」をもってくる。これによって体験者(「男」)と追体験者(プレイヤー/陪審員)に情報の格差を生み出す——きまった。これはメチャクチャうまい演出だ。

メタレベルの不整合

ただ、この作品、メタ階層の構造にうまく説明できないところが何点かあって、そこがけっこう気になる。

ようするに、「プレイヤーは陪審員になってる」のか「プレイヤーは「男」になってる」のかハッキリしない部分がある、ということだ。

VRとの親和性や「騙される」仕掛けのためにはプレイヤーは「視覚・聴覚で追体験する」陪審員として物語を鑑賞するのがいい一方で、 「陪審員が二人に騙されている」状況を「そのことを知っている側」から描くためにはプレイヤーは陪審員のままでいるわけにはいかず、「陪審員からはみることができない記録」を提示する必要があって、ここで「男」の視点が用いられている。

視聴体験としては、陪審員としてVRで「男」の記録を追体験していたはずが、いつのまにか「男」そのものになっていた——という世にも奇妙な話のようなことがおこっている。

全体通しての話の盛り上がりを考えると、マア仕方ないかなという部分はあって、選択肢についてもたしかに両方の展開をみたらわかることがあって面白いので入れた気持ちはわかる……のだが、やっぱりメタレベルの問題と、「陪審員として判決するとかいう問題はどうなったんだ(結局最後まで判決の話題は出てこない)」というところをきれいに畳んでほしかった。

とにかく、VRアニメ、試みとしてメチャクチャおもしろいし、今後もこういう挑戦的な作品がドンドン出てくると、とてもうれしい。

一人称視点の演出効果

  • 作品が「撮影されたもの」であることの演出
  • 視聴者と視点の同化
  • 同化した視聴者と視点人物を引きはがす演出への利用

また、VR一人称視点については、二つ目と三つ目の効果が強化されるのに加えて、これまでにない可能性がある一方で、新たに生まれた制限もある。
VRアニメは「視界をあるていど能動的に変えられる」が、裏をかえせばクリエイターにとっては「見せたいものを見てもらえないかもしれない」ということでもある。
パンやティルト、ズーム、フォーカスといったカメラワーク演出も使えないわけで、これは映像芸術の系譜としてもかなり異色だ。ぼちぼちすごい変なのが出てきそう。期待。

オーダーメイド本棚のすすめ

 オーダーメイドの本棚を使っている。棚間隔や奥行きなどのサイズを業者に送って、希望通りの大きさに仕立ててもらった本棚である。これがなかなかに快適だ。今回は、本棚をオーダーメイドするとこんなにいいことあるよという話をする。

まずは後ろが見えない二層収納をやめろ

 カラーボックスや組み立て式本棚に本を収納している人で、文庫本を手前と奥の二層にわけて入れているのをよく見る。

 私はどうもこれが苦手で、「背表紙が見えない収納をするな」と思う。ぼーっと眺めて「あ、これもう一回読んでみようかな」と思って手に取る機会をつくるのが本棚の大事な役目のひとつだと思うのだ。

 でも、どうしてそういう「二層収納」をしちゃうかというと、スペースがないからである。本が棚の収容可能量を上回るからそういう収納をすることになってしまうのだ。

 「背表紙が見えない二層収納」の問題を解決するちょっとしたライフハックがあって、後ろの本の下に何かおいてちょっと上にズラして(下図)書名が見えるようにすると一覧性がよくなってよい、というもの。

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けっこう便利なのでおすすめ

 べつに本棚のオーダーメイドなんてしないぜ、という方にもぜひ覚えて帰っていただきたい。

本棚のデッドスペース(高さ)

 上の方法、たしかに道理でオススメなんだけど、考えてみるとそもそも「奥の本を一段持ち上げると見えやすくなっていい」ってのは
本の上部に奥の本を持ち上げられるだけのデッドスペースがある
からそういうことができるわけである。

 じつのところ、カラーボックスに限らず、多くの本棚の画像をみると本の上部に 5cm〜10cm 程度のデッドスペースがあることが非常に多い。このデッドスペースを本棚全体で足すと棚が一つ二つ増やせそうなのになあ……と思う。棚の間隔の問題でスペース不足が生まれているなら、これを解消することで、二層収納をする必要もなくなるかもしれないのである。

本棚のデッドスペース(奥行き)

 本棚のデッドスペースは高さ方向だけでなく、奥行き方向にも大きなものがある。組み立て式とかの市販の本棚の多くは棚大きめの判型の本(B5判:奥行き182mm)が余裕で入ってまだ後ろが5cm程度あまるようなサイズで設計されていて、まあこれのせいで文庫の二層収納ができちゃったりするわけだけど、これに大多数の本のサイズである四六判やA5判、B6判を入れると後ろが過剰にあまる。B5の本を大量に持ってる、という人でもなければ、本棚をB5に対応させることによるスペースのロスは相当に大きい。

 後ろがあまるのは「デッドスペースがある」問題以上に「並べた本を押すと後ろにズレるので、整列が崩れやすい」という美観上の問題も生み出してしまう。本棚の奥行きをだいたい本の奥行きと一致させておけば、本棚が薄くなるという効用に加え、背表紙を押すだけで同じ判型の本がきれいに整列させられる。

理想の本棚

 まず上で言ったように、

  • 隙間があまりないこと(デッドスペースを少なくする)

が重要。収納なんだから、高密度に並べられたほうがいい。

 隙間が減らせるなら同じ量の本を収納するのに必要な棚は小さくできるので、次のことにも気配りができる。つまり、

  • 圧迫感が少ないこと(低め・薄型)

部屋における本棚の存在感ってすごくて、高かったり奥行きがあったりするとすぐ部屋をせまく感じてしまうので、低めにデザインしたほうがいい。耐震を考える上でも重要である。

 当然、

  • 丈夫なこと

も重要で、いっぱい本をいれてたわんでいる本棚は悲惨だ。組み立て式のものは構造上たわみやすいので、きちんと棚板を釘で固定したもののほうがよい。

 管理する本にあわせて設計するのも大事で、これは隙間を減らすのにもつながる話なのだが、

  • 持っている本の判型にあっていること

も重要な要素だ。

ということで、希望のサイズをきめてオーダーメイドしようということになる(自然な帰結)。

価格・発注先と実際の設計

 まず前提として、文庫・新書用の本棚と単行本の本棚はわけたほうがよい。なぜなら奥行きがぜんぜん違うため。

 さて、実際に自分の思った寸法の本棚を発注しようとなったとき、街中に店舗を構えているような本職の家具屋さんに頼むとすごい値段になってしまう。おすすめなのは、評判のいい「サイズ違い商品」や「オーダーメイド」に対応しているハンドメイド家具業者を探すことだ。

 たとえば以下のページではオーダーメイドに対応したハンドメイド家具作家が特集されているので、まず自分の希望に近い本棚を作っている人を探して、「この棚のここの間隔を20mm縮めたものを作っていただけないでしょうか……」などという形で依頼するとスムーズでいいと思う。

www.creema.jp

 私は作った当時ヤフオクに出品していたAnty Craftというメーカーの、近いイメージの商品の「サイズ違い商品」という形で見積もり・発注した。

generalarts.web.fc2.com

 文庫棚は¥10000以下、単行本棚も¥20000程度で、希望通りのしっかりしたものができたのでたいへんよかったと思う。

文庫用本棚

 まず、文庫・新書用の本棚について。

 文庫は105×148mm、新書はだいたい105×173mmなので、棚間隔の内寸を180mmにするとこれらで併用できるサイズになる。これで設計してもらったのが下の本棚。

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 奥行きは内寸120mmにした。

 本を入れたのがこんな感じ。
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なんかブックオフみたいって言われて傷ついた

 おおむね満足なのだが、使って思ったのが、私は新書をあまり持ってないので、新書のために高くした部分がちょっと余分だな、ということ。あと、180mmだと岩波新書よりちょっと大きいハヤカワのポケット・ブック判がギリギリ入らない。

 文庫を入れる棚板と文庫/新書併用の棚板をわけて、

  • 文庫は大きめのハヤカワトールサイズでもタテ156mmなので、文庫棚はタテ内寸180mmではなく160mmか165mmに

  • 文庫/新書併用のほうはハヤカワミステリのポケット・ブック判(184mm)が入る190mmに

した設計で、上半分が文庫用2〜3棚、下半分が併用1〜2棚で作ってもらったほうがよかったかもしれない。

単行本用本棚

 文庫本のときのちょっとした反省を活かして、単行本の本棚は上三つの棚が内寸200mm、下二つの棚が内寸220mmで設計した。今回の奥行きの内寸は160mmにしてもらった。 f:id:xcloche:20190128204711j:plain

 上半分の200mmは、よくある文芸書や漫画の判型がだいたいピッタリ入って(四六判の188mm、ポケット・ブック判の184mm、B6判や漫画単行本の182mmなど)ちょうどいいサイズである。 f:id:xcloche:20190128204732j:plain
ブックオフではない

 教科書や学術書の類に多いA5判(148mm×210mm)はちょっとサイズが大きいので、これも入れられるサイズということで220mm棚を下に二つ作った。このあたりの棚の配分は持っている本と相談して決めるといいと思う。

 220mmは菊判(218mm)でもギリギリ入るように作ったつもりが、変則的なサイズでちょっとだけこれを超えるのがあった。一番下の棚だけ240mmにするなどすればよかったかもしれない。

本棚をオーダーメイドしよう

 自分の持っている蔵書にあわせてデッドスペースを排した本棚を作ると、意外なほどコンパクトにまとまる。丈夫で一覧性もよく省スペースで圧迫感のないオーダーメイド本棚、おすすめ。

玉虫色の視点:「非」同一な世界を共有すること

「1パーセントの仮想」

先日、ヨツミフレーム@y23586氏が開催したVRChat内のメディアアート展覧会「1%の仮想」に(VRで)行った。

展覧会自体は、VRけん玉や、空中に書けるペン、折り手順をすっとばして展開図から完成品に直接シームレスに変形する折り紙、VR界隈の現状を表した3Dグラフ、立つと幽霊が見えるようになるスポット、IPアドレスから割り出した参加者の「実際の」の距離関係を表したグラフ、などなど、VRの虚構性をあらわしたものや、VRでしかできない挑戦的なもの、VR技術の展望が見えるような展示などがたくさんあって、かなり楽しめるものだった。VR界のマイルストーンのひとつと言っていい出来で、この個展を1人でやったというのは本当にびっくりする。

こちらはヨツミフレーム氏のインタビュー。

会場に入ってすぐに「1%の仮想」の題字があるのだが、展示を一周して戻ってくるとそれが「1%の本質」に変わっているという心憎い演出もあって、これには思わず声がでてしまった。

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補記:"virtual" の訳として「仮想」をあてたのは誤訳ではないか、という話がある(形は別だがある種の「本質」を保っているもの、というニュアンスが強いため)。

再度開催の予定があること、またゆくゆくは英語もつけてPublicにするとのことなので、VR環境がない人もデスクトップモードでいいので行くことをおすすめする。

その展示の中に、「玉虫色の視点」という作品があった。

玉虫色の視点

「玉虫色の視点」は、宙に浮かんでいる玉虫色の物体である。

前から見ると「縦」、横から見ると「横」、上から見ると「高」の漢字が見えるようになっている。オブジェクトはそれぞれの方向から投光され、「縦・横・高」の三文字がそれぞれの方向にシルエットとして浮かび上がっている。
側にあるパネルには「視点によって見えるものが違う」うんたら、みたいなことを書いている。

www.amazon.co.jp GEBの表紙の3Dアンビグラムのアレ

GEBの表紙で見たことある3Dアンビグラムのアレじゃんと思っていたら、この作品のほうが一段も二段も上手で、とんでもない仕掛けが仕込まれていた。

作品について周囲の人とおしゃべりしてみると、

Aさん「あ~角度によって違うものが見えるやつですね」
Bさん「なるほど~」

あたりまでは話が噛み合うのだが、見えているものの話になると

Aさん「縦・横・高さ、になってるんですね」
Bさん「緑色のイモムシみたいなのが見えますね」
Cさん「○△□が角度で見え方が変わるんですね」

と、とたんに意見がバラバラになるのである。

この「玉虫色の視点」という作品、見る方向だけでなく、人によってそこにあるもの自体が違うのだ。

どうやら縦・横・高のパターン、イモムシ・サナギ・チョウのパターン、○・△・□の3パターンがあるっぽい。

VRヘッドセットをつけるとVR内のオブジェクトは「あたかもそこに存在しているかのように」見える。その「確かに存在している(と思っている)もの」が人によっては全然違うものの可能性がある、のをはっきりと見せられて、一種の恐怖を感じた。

しかしよくよく考えてみると、VRChat内ではこうした「世界が個々人の間で同期されていない」事例がいくつかある。
今回は、VRChat内の「ユーザーによって見えている世界が違う」例を数点挙げて、この現象について少し考えてみたい。

実例①:Local ミラー

3D描画において、鏡というものはちょっと負荷が大きいようで、VRC内のワールドに鏡があると視界のフレームレートが下がる。40fps程度ならまだ見られるが、周りに人が多いときなど、場合によって20fpsを割ってしまって、そうなると世界がカクついて見えはじめる。

これを防ぐための工夫のひとつが Local Mirror と呼ばれるものだ。要は「鏡が見たい人にだけ鏡が見えればいいじゃん」という発想で、ワールドに設置されている「Local Mirror」のスイッチを入れると、目の前に自分にだけに見える鏡が出現する。鏡を見たい人/現在マシンパワー的に余力がある人は鏡を表示すればいいし、そうでない人はオフにすればよい。

このLocal Mirrorのシステムは、VRChatにある奇観を生んだ。壁に向かってつっ立っている謎の集団である。注意ぶかく探すと近くに鏡を制御するスイッチを見つけることができて、彼らが鏡を見ていたということがわかる。何もないと思った壁には、たいてい「私がまだオンにしていない鏡」があるのだ。

BGMについても同様で、「Local BGM」をオンにすると、オンにした人だけに音楽が聞こえる、という仕掛けはよく見るものだ。

この手のLocalなオブジェクトはVRChatのそこかしこに存在している。自分にとってそこにあるものが、他のだれかにとってもそこにあるとはかぎらない。

実例②:物理法則とアニメーション

VRChatは非VR(デスクトップモード)でも入ることができる。大きな違いは閲覧環境(ディスプレイで見る)や操作方法(キーボードで操作する)だが、それ以外にもいくつか内部処理にも違いがあるようだ。そのひとつが、「物理演算の更新ステップ幅」である。

VRモードでは90fps、デスクトップモードでは30fpsで値が更新されるらしい。ふつうステップ幅が違ったくらいで物理演算の結果が劇的にかわるはずはないのだが、どうやら「フレーム数」を基準に動いている要素があるせいでこのようなことが起こっているようだ。「ぼくから見たらゆっくり動いているように見えるんですけど、VRの人からは高速で動いているように見えるらしいですね」と言われたことがある。人によって物理法則が異なるということすらあり得るのである。

この効果によって「物体がゴールに到着した時間」といったものも当然ズレてくるわけで、たとえば「ボールがこの輪をくぐったら合図してください」という実験をすると、デスクトップユーザーとVRユーザーは別のタイミングで反応することになるはずだ。

アニメーションについては「自分」と「他人」で見え方が違うことがあるようだ。自分で見えている自分の動きと、他人から見えている自分の動きは異なるもので、しばしば「これちゃんと動いてます?」とまわりの人に聞くことになる。

実例③:ブロック・ミュート・Safety and Trust System

VRChatにも厄介なユーザーはいて、大声でわめいていたり、爆音で効果音を再生したり、描画負荷が高いエフェクトを再生して他のユーザーのクライアントを不調にさせたり、他人の視界をジャックして視界右側に常に赤座あかりの画像を表示してきたりと、そういうヤベーやつらには対策を講じる必要がある。

この対策として用いられるミュート(その人が発する音を一切聞こえなくする)やブロック(その人の存在そのものを消す)は、個人ごとの世界の見え方を大きく変える実例のひとつだろう。

中でもブロックについては、ブロックしたユーザーのアバターも声もネームタグもすべてが消滅して、「同じワールドにいる人」のリストにかろうじて名前を残すのみになってしまう。

ブロックされるのはたいてい相当な厄介者なのであまり考えにくいが、仮に会話をしている集団の中に自分が昔ブロックした人がまじっていれば、「何か話が噛み合わないな、と思ってたら自分にだけ見えない人がいた」という状況が生じうるわけである。

さらに、9/21に発表されたVRChatのオープンβでは、新たに「Safety and Trust System」なるものが導入された。これは「ユーザーを信用度ランクに応じてフィルタリングする」ものだ。

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VRChat Safety and Trust System: Changes and Feedback より。6つの設定項目をOn/Offできる

「信頼度の低いやつのシェーダー(3Dを描画するためのプログラム)はデフォルトの軽いやつにしとこう」とか「フレンドのだけはパーティクル(銃弾飛ばしたり雪降らしたりするやつ)見えるようにしとこう」とかが設定できるようになるのだ。

知り合いになると(文字通り)ディテールが見えてくるというのは、ちょっとおもしろい。

世界を共有すること

まず共通した同一の世界があって、それを各々が認識している、というのが現実における一般的な考えだろう(哲学の言葉でいう「物自体」が考えとして近いように思う)。

この描像の中で、「認識が変質することで、世界の見方がかわってしまう」話はしばしば聞くもので、『火の鳥 復活編』などがいい例だろう(事故の後遺症で人間がロボットに、ロボットが人間に見えるようになってしまう話)。幻覚症状などもふつうはこの描像で説明される。

ただ、これまでに挙げた「ローカルにあわせて変化する世界」は、この枠の外にあるものだ。世界のほうが個人にあわせて形を変えてしまう状況というのは、今のところ基底現実では起こってこなかったことである。「共通した世界というものが存在して、それを各々が認識する」という考えは更新されなければならない。

共通点

とはいえ、私たちがVRで「同じ空間にいる」と錯覚できる程度には、個人間に「共通するもの」が存在する。

内部処理に目を向ければ、VRChatサーバーにある「世界のデータ」は共通のもののはずである。それを各々のPCで再生する際に、自動的・あるいはユーザーの能動的な操作によって世界にフィルタがかけられ、「個人化」が起こるのである。

これまでは認識によって「個人化」を行なってきたことを考えると、その前の段階で世界を解釈してしまうソフトウェアは、ある種の「認識の外部化」なのだ、と言えるだろう。

ここで、「認識がどのように外部化されているか」ということにいくらでも無自覚になれるのが、この手のフィルタのおもしろい/こわい側面である。 これからどんなフィルタが出てくるのか、またそれらのフィルタを個々人はどの程度自覚的/無自覚的に使うようになるのかなど、面白いものが見えてきそうだ。

メモ

  • 「他人には見えないが自分には見える」(あるいは逆)物体、ボードゲームと相性が良さそう。
  • 同音異義語の「玉虫色の視点」があれば自動的にアンジャッシュの状況が発生しそう。
  • 「人に勝手にフィルタをかける」ことによる情報操作は可能そう。
  • 世界が「玉虫色」すぎると「同じ空間にいる」幻想が破壊されるかもしれない危険性はある。幻想を維持できるギリギリまで玉虫色にした世界というのも面白そう。
  • あるいは、もしかすると基底現実における「共通した世界」と思っているものもそこまでしっかりしたものではなくて、気づかない間に個人にあわせて変質しているのかも、と妄想することもできる。