このテキストは、私が反-重力連盟のSF短編アンソロジー『圏外通信2022』に書いた「「大解体時代」を振り返る」を加筆・修正したものです。
でかい塔の解体によって駆動する文明の歴史
解体前史
〈塔〉の頂上は天に届いているともいわれた。その高さは杳として知れないが、一周するのに馬で一刻はかかり、上に向かうにつれ少しずつひねりが加わる長大なねじれ六角柱の形状をしていたという。遠くの山脈から見る〈塔〉は、らせんを描きながら雲をつきぬけ、やがて上の方が霞がかって見えなくなったはずである。本当は六角柱ではなくて徐々に先細っている六角錐なのかもしれなかったが、当時は誰もその全容を知らなかった。
逆に、〈塔〉は上にいくほど太くなっていると唱える者もいたという。頂上はなく、漏斗のように広がって、空そのものになっているというのである。そうであっても不思議ではないほどに、手付かずの〈塔〉には宇宙のはじめからそこにあるかのような威容があった。
遠くから見た〈塔〉は、(影の側でないなら)少し光沢のある深い緑色をしていて、ところどころに窓のような穴があいていたはずである。近づいてみると、人の背丈の半分ほどの大きさの立方体の煉瓦を組み上げて建てられているのがわかっただろう。煉瓦は幾重にも幾重にも配されていて、いくらか抜けてその奥にある煉瓦が見えるのだった。
〈塔〉を作った先人たちがいるという言い伝えがあった。または、〈塔〉は宇宙と同時に作られたともいわれていた。曰く、〈塔〉が完成させた先人たちはどこかへ去ってしまった。曰く、〈塔〉は空と大地の連絡通路として作られた。曰く、〈塔〉から落ちた煉瓦が大地となった。曰く、〈図書館〉も〈塔〉と同時に作られた。曰く、〈塔〉には無尽蔵の油がある。曰く、〈塔〉ができる前はことばはひとつだった。曰く、〈塔〉に入って帰ってこなかった者がいる。曰く、〈塔〉の近くにはうまいブドウの園がある。曰く、昼でも〈塔〉の影になっている暗闇のぬかるみには、目のないおそろしいカエルが住んでいる――
いずれにせよ、この時代、〈塔〉のまわりに住んでいる人はいなかった。畏怖の念から、あるいはその巨大な影によっておおきな暗闇ができ作物ができず獣が寄り付かないという即物的な理由によって、〈塔〉は人々から敬遠されていた。あまりに人が寄り付かないので〈塔〉の周囲にはひどいぬかるみの沼や密林が生い茂り、たまに現れる酔狂者のゆく道を阻んでいた。
灰の時代がくるまで、〈塔〉はただそこに立っているだけだった。
灰の時代
灰の時代になり、森が枯れ、大地から油がとれなくなると、しだいに〈塔〉のまわりに集まる人々があらわれはじめた。世界のどこからでも見える、先人たちの偉業の賜物、不可思議な煉瓦を天まで積み上げた偉大な〈塔〉、無尽蔵の油の言い伝えは、終末を予見した人々が身を寄せるのに格好の道しるべだったようである。
はじめに来たのは狩猟を生業とする者たちだった。元来定住をせず、一族で用いる大きな天幕を携えてあちこちを渉猟していた彼らが、狩場に獲物がいなくなったのをきっかけにこれまで禁足地としていた密林に踏み込むのにさほど時間はかからなかった。狩猟者たちが拓いた道を通って開拓がすすみ、灰の時代の脱出口として、さまざまな人々が〈塔〉の周辺へ流入しはじめた。
解体時代の幕開け
解体時代がはじまる前にも、何らかの理由で〈塔〉から剥落したものか、〈塔〉と同じ素材の煉瓦が地上で見つかることがあり、耐火性・断熱性にすぐれた建材として用いられていたようである。
そういうわけで、〈塔〉の解体は、建材として引き剥がした煉瓦を利用することからはじまった。
地表付近の煉瓦は近くに住み着きだした人々に次々と建材として取り外され、〈塔〉は成形された煉瓦がとれる便利な石切場として活用された。
巨大な〈塔〉を支える煉瓦を取り外せるというのは一見奇妙であるが、これには〈塔〉の特殊な構造が関係している。〈塔〉の容積の大部分である煉瓦は構造材ではなく(ではなくに傍点)、積載物だったのである。〈塔〉自体を支えているのは中央にある第一から第六までの基柱(当時は未発見)と、基柱から煉瓦四つ分の高さ毎に伸びる梁・床からなる階層構造であり、載せられているだけの煉瓦はそれぞれの層においての上から順であれば容易に押し出すことができた。
まずは最下部の表面付近から煉瓦が持ち去られ、遠目で見ると一番下が先細っている不安定そうな見た目になった。煉瓦を建材に利用して〈塔〉の昼の側(影が差さない側)にいくつか集落ができ、灰を耐えて〈塔〉をめざしてやってくる人口の増加を支えていた。
落下熱の発見
有名なわらべ歌にもあるように、歴史上において落下熱の発見はおそらく偶然だったようである。
歌には細かい部分の情報に抜けがあるが、原話はこのような話である:
まだ煉瓦が建材としてしか用いられていなかったころ、〈塔〉の上がどこまで続いているのか調べるため、大量の干し肉と水、寝袋を担いで登攀をはじめた男がいた。男は時おり〈塔〉の窓(煉瓦の抜けのこと)で休みながら登り続けていたが、夜眠る段になると煉瓦ひとつ分の穴ではせまくてやりきれない。気持ちよく過ごせる空間を作ろうと、休んでいた窓から隣の煉瓦を落としたところ(注※当時はまだ法の規制がなかった)、落ちた先の地上の沼では落下の衝撃で轟音が鳴り響いた。たまたま近くにいた狩人たちが何事かと見に行くと、沼に落ちた煉瓦からシューシューと湯気が上がっている。煉瓦の周囲には茹で上がったカエルが三匹浮いていた。その後、沼の近くには旅籠ができ、熱いカエル鍋を出す店として繁盛した。
発見の経緯が本当にこのようなものだったかは今となってはわからないが、貴重な油のかわりに煉瓦の落下熱を使う手法はこの後急速に広まり、調理や冬の暖をとるために盛んに用いられるようになった。
最下層付近の煉瓦を建材としてだけ使っていた頃とは異なり、熱源としてある程度の上層から煉瓦を落とす利用がはじまると、①上層での押し手の恒常的な滞在と②安全のための落下管理の必要が生じてきた。
①上層での押し手の恒常的な滞在については、当初こそ食料を担いで登攀した若者が代わる代わるに勤めていたが、登攀ルートが整備されたとはいえ、昇り降りの効率の悪さが問題になっていた。より温度の高い熱源にするために高さが増していったなどの事情も工率の悪化に拍車をかけた。
②の安全性のための落下管理 については、最初期は定刻になると投げ落とす手法がとられていたという。だいたいの集落では、〈塔〉の上にいる者が日時計をもとに昼・夕の二度、季節に応じて決まった数を落としたそうである。その時間は集落の者は落下予測地点には寄り付かず、落下の轟音が聞こえてから取りにいくといった具合で、時報としても活用されていたようである。
落下熱の需要が高まるにつれ、〈塔〉の上下での連絡や物資、人の移動を簡便にすることが重視されるようになっていく。
これらの問題解決を大きく前進させたのが、昇降滑車の発明であった。
昇降滑車の発明と社会階層
異様に長いロープと滑車の組み合わせて作られた昇降滑車は、上層と下層の関係に大きな変化をもたらした。
昇降滑車は、下層からは食物や衣服・金銭を、上層からほぼ同量の煉瓦やゴミ、排泄物などをおろす、という形で運用され、上層に住む者は下層から送られてきたものを対価に、相当分の煉瓦を投げ落とす生活を送るようになった。
昇降滑車のうち大きなものでは人員の輸送も原理的には可能だったが、歴史的にはあまり使用されることはなく、〈塔〉の上の者はある種の特権階級として遇されることを望み、一生を通して一度も地上に降りず過ごす者が多かったという。彼らは後に塔上人と呼ばれる支配階級を構成し、しだいに地上に降りることを極度に忌避さえするようになるが、これは普段高速で落ちていく煉瓦を見ているうちに、落とす側から落とされる側になることを強く恐れるようになるためだった。
大規模な集落になると、より高い層へアクセスするために昇降滑車の中継を行うこともあった。中継階は地上の例にならって駅と呼ばれ、一般的には十階層ごとに設けられていたという。
また、この時代、最下層の駅である十階層において、〈塔〉の内側の煉瓦を落として内部を探索する試みが行われている。〈塔〉が六つの基柱で支えられていたのが明らかになったのもこの時期である。
また、六本の基柱の中央には巨大な中空の空間があるのが発見され、大空洞と名付けられた。この頃の〈塔〉では内側に入りこむほど上層の大量の煉瓦に遮られてまったくの暗闇の空間になっていたので、塔上人たちも基本的に〈塔〉の外縁部で生活していた。
〈図書館〉の合流
落下熱が熱源として盛んに利用されはじめた当時、大地に生きる人の約半数が〈塔〉の周りで生活していたといわれるが、この頃になってようやく〈塔〉周辺に移住してきたのが、それまで〈図書館〉に引きこもっていた学者たちだった。〈図書館〉もまた、〈塔〉と同じく栄華をきわめた頃の先人たちが築いた偉業の建築であったといわれている。
灰の時代は、膨大な本を収蔵していた〈図書館〉にもひとしく訪れた。学者たちはしばらくはそのままこもっていたが、やがて火を灯す油がなくなると、まず絨毯を燃やし、閲覧台を燃やし、とうとう本を取り出した書架までをも薪にしたという。すべての書架を燃やしてしまうと、かれらはそれぞれの(かつて入っていた書架の)担当の本を読んで記憶し、覚えた端から火にくべた。
今日でも学者が通常の名前ではなく番号の羅列の名前を持つのは、このとき彼らがかつての名前を捨て、担当していた書架の番号を名乗るようになったためである。この名付けは、誰に尋ねればいいかを明らかにする索引番号であると同時に、書を燃やした罪の烙印であった。
〈図書館〉で燃やすものがなくなった学者たちが〈塔〉へ大移動して来たころには、〈塔〉の周囲の社会階層はかなり固定化しており、よそ者であるかれらはまずは労働力として、〈塔〉下部でおろした煉瓦を輸送する労務にこき使われた。大移動の前後は特に灰が厳しく、この時期に多くの書架番号に欠番が生まれた。これ以降、学者は生涯のうちに必ず数人の弟子をとり、口承で覚えているかぎりの本の内容と書架番号とを引き継ぐようになったとされる。
大解体初期:動力革命
〈図書館〉の合流によって〈塔〉にもたらされた最も大きな変化が、動力革命である。
回転運動の動力を作業の自動化に用いたり前後運動に変換する発想は、もともと灰の時代以前の哲学者が戯れに考案して書に記したものだったが、滑車による積みおろしという、降ろせる煉瓦があるかぎり恒久的に回転させられる動力源の発見をもって見事に花開き、大解体時代が幕を開けた。
滑車の回転力は下階層に伝達され、衣服の製造や食料品の加工、金属の精錬・加工など工場の動力として用いられた。塔上人は動力の提供者として栄華を極めた。この頃になると彼ら自身が働くことはなく、滑車で送られてくる税を受け取り、下層の住民を雇って煉瓦を滑車に誘導しておろし続ける労働に従事させた。
増える動力需要に応えるため、煉瓦を落とす動力を使って新しい煉瓦を落とすよう自動化の発明なども進み、そうした発明家の中には、莫大に得た富で貴族階級を購い、新たに塔上人になる者もいた。
軸のついた容器に円盤をいれて回転させることで動力を〈塔〉と分離して持ち運べるようにした慣性円盤体(通称:ゼンマイ)が発明されたのもこの時期である。ゼンマイで回転が持ち運べるようになったことで、自動車や登攀機などの独立機械が次々と登場した。ゼンマイの発明以降、煉瓦を滑車で降ろす数は年ごとに倍々で増え、記録ではピーク時には毎秒六万個の煉瓦がおろされていたという。
動力/熱源とするために下ろした煉瓦は、かつては建材として用いたり遠くへ運んで投棄されていたが、より簡易的な解決方法として、一旦集積所に積み上げ、年に一度の頻度で都市全体の地面を高くする〈地上げ〉で処理されるようになった。これによって、〈塔〉を中心に擁したなだらかな山が歴史を積み上げながら成長を続けることとなった。
大解体中期:言語と社会階層の変化
大解体中期は、〈塔〉は油なしで熱と動力が得られる唯一の都市として人口の流入が続き、大地に住む人のほぼ全てが〈塔〉の周辺で生活を送るようになった時代である。〈塔〉周辺への人口の集中と過密により、問題となったのが言語と文化の衝突であった。
それまでの大きな都市は〈塔〉の外周沿いに作られ、移住前に住んでいた出身地方ごとにいくらか棲み分けがなされていたが、低・中層の解体が進んだ大解体中期には、外の煉瓦が取り払われて大空洞に外光が入るようになり、〈塔〉内部への都市の建設ラッシュがはじまった。〈塔〉で光を遮られていた夜側にはじめて街が建設されたのもこの頃である。
これらの新興の都市に外周の都市からさまざまな言語の人が移住した結果、第二基柱周辺の都市で用いられていた言葉を基本として、後の統一語となる混合言語が発達した。やがて大空洞で発達した言語・文化・金融が〈塔〉経済圏の中心を担うようになり、この時期を境に、塔上人は徐々に力を失っていく。
〈塔〉の解体が進むと同時に、ゆるやかに社会階層の変化と言語の融合が進行していたのである。
大解体後期:現在
現代では、およそほとんどの積載煉瓦をおろし終わり、頂上から順に〈塔〉の構造体自体を崩して動力へ変換しはじめた百二十年前以降の時期を「大解体後期」に位置付けようとする向きが主流になってきている。
予測では十数世代の猶予はあるものの、〈塔〉を解体しきってしまうと、生存に必要なだけの動力を得る方法が失われてしまうので、第三基柱付近で新たな動力源を探す研究開発が盛んに行われている。二十年前、煉瓦は有機元素と金属からなる化合物で、自然界では非常に安定だが、特定の酸を反応させることで熱と泡を放出しながら灰褐色の砂になる、という発見がなされ、これまでは大地でしかなかった物質としての煉瓦を未来の熱/動力源として活用できる理論として注目を集めている。
「大解体」という時代
大解体の歴史を振り返って思うのが、〈塔〉は先人が回転動力を保存するために積み上げたものなのではないか? ということだ。そう考えると、構造材ではない煉瓦が大量に積載されていた理由に見当がつく。つまり、〈塔〉は回転動力を高所に置いた煉瓦という形で保持している、と考えることができるからだ。先人たちは何の目的のためか、めいっぱいにこの大きなゼンマイを巻いたのだ。われわれは少しずつ〈塔〉というゼンマイが蓄えた回転の力を動力に変え、熱に変え、長い灰の時代を乗り切ってきた。
書架を燃やした灰も、本を燃やした灰も、それ以上燃えることはない。ただの砂は酸をかけても熱を出すことはない。そして、平坦な場所に置かれた煉瓦は動力に変えることができない。灰の時代がくる前に生み出されたものを、われわれはひとつひとつ混沌へ/一番なんでもない状態へと返していくことで得られる熱で生きてきた。
近年の観測では徐々に積灰量が減っており、近いうちに灰の時代が終わるとする仮説が提唱されている。しかし、煉瓦層の下の大解体以前の深層探査では、灰の時代は数千年の周期で訪れているという地質証拠が発見されており、今紀の灰が明けてもいずれ次の灰の時代が訪れる可能性が高いと予測される。
とするならば、灰が落ちきったときに我々がすべきことは、新しい回転動力源を探して解体し続けることではなく、崩した煉瓦を積み上げ直すことではないだろうか? 前の灰の時代を生き延びた先人も、その前の先人も、ゼンマイを巻くように煉瓦を積み上げてきたのではないだろうか? そうやって、大解体と
この営為は一見、河原の石を積み上げては崩す不毛なものにも思えるが、たしかに我々に連なるものである。もう一度煉瓦を積み上げる日を、前よりも一段でも高く積み、いつかその余力が灰のない未来へ続く日を願って、筆を置く。
ト-412