世界の階層性とフラクタル:『プラネタリウムの外側』

再帰構造をもつゲーム

最近、ツイッターでなにやらおもしろげなゲームの映像が流れてきた。

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imgur.com(動画が動かない人向けに筆者が公開しているimgurリンク)

Patrik's Paraboxという名前のこのゲーム(2019年6月現在、開発中)は、障害物をどかしながら主人公の正方形くんを動かしてゴールに導く、いわゆる「倉庫番」系のパズルのようである。

特徴的なのは、ステージに「そのステージ自体のミニチュア」が設置されていること、そしてステージ自体も「一回り大きいステージの中にあるそのステージのミニチュア」である、ということだ。

正方形くんは自身を縮小してミニチュアの中に入ることができるが、ミニチュアは「正方形くんを含むステージのミニチュア」であるために、このときもともとミニチュアの中にいたミニ・正方形くんはミニチュアの中のミニ・ミニチュアに自身を縮小して入っていくことになるし、一回り大きいステージにいたデカ・正方形くんは自身を縮小してメインステージ(これはデカ・ステージにとってのミニチュアである)、に入ってくることになる。

ミニチュアステージの中のミニチュアステージの中のミニチュアステージの……と、小さいほうにも、あるいは、現在のステージをミニチュアとする一回り大きいステージをミニチュアとする一回り大きいステージをミニチュアとする一回り大きいステージをミニチュアとする一回り大きいステージ……と大きいほうにも、ステージの無限の再帰構造がイメージされるわけで、階層を行き来することでゴールを目指すのゲーム体験は新鮮なものになりそうである。完成したらぜひプレイしてみたい。

A Fisherman's Tale

じつはVRパズルゲームでよく似た試みがされていて、「A Fisherman's Tale」は主人公が家の中にあるその家のミニチュアを活用してステージごとに設定されたゴールを目指すゲームである。もちろん家の中にミニチュアの自分がおり、つねに自分と同じ動きをしているし、家自体も一回り大きな家にとってのミニチュアになっている。

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こちらも先ほどのゲーム同様、家の中の障害物が直接には重くて動かせない場合、ミニチュアの家に手を突っ込んで障害物(のミニチュア)を動かすことで(これは同時に一回り大きい家にいる自分が障害物を動かすことでもあるので)同じ層のそれをどかせすことができる、といったギミックがキモになっている。

ミニチュアの家の屋根を外すと今いる家の屋根が外れて一回り大きい家の屋根を見ることになるし、小物をミニチュアの家の中に投げ込むと巨大化した小物が上から降ってくるし、窓から外を見ると巨大な自分が窓から外を見ている後ろ姿を見ることになる。

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プレイ画面。ミニチュアの中にミニチュア(ミニチュアのミニチュア)を操作している自分の後ろ姿が見える

体験してみると実感するのが、自分のいる層を基準としてみたとき、「下層(ミニチュア)にはたらきかける」ことは「上層(一回り大きな家)からはたらきかけられる」ことと同じである。

ミニチュアのものは現実のものに比べて壊したり動かしたりしやすいように、層間に「上の層から下の層へは大きな干渉ができる」という一方的な主・従の構造があるにもかかわらず、無限の再帰構造の中では「自分から下の層への干渉」が「上の層から自分への干渉」を同時に引きおこすために、層構造に由来する主従関係が実質的に無効化されるのである。

フラクタル

上であげたような、無限に続く幾何学的な再帰の構造は数学のことばで「フラクタル」と呼ばれている。有名なところでは自然界ではシダ植物の葉の生え方やカリフラワーの一種である「カリフラワーフレンチロマネスコ」などがフラクタル様の構造をしている(部分が全体の相似形になっている)。

物語の中の物語

話は変わるが、物語の中に物語(作中作)や仮想世界が存在するとき、物語のレイヤーと作中作/仮想世界のレイヤーとの間には主従の関係が自然に生じる(作中作は物語の世界で作られたものであり、ふつう物語の世界に直接的に影響を及ぼすことができないため)。 上層の物語世界から下層の作中作/仮想世界に干渉するのは簡単な一方で、逆に作中作/仮想世界が物語世界に干渉する手段はふつうは限られているので、ここにおいてもだいたい上層から下層への支配的な構造(主従関係)があることになる。 この構造へのアプローチとして、上層と下層のレイヤー内の存在が互いに越境することで影響しあう作品は数多い。

今回は、先に紹介したゲームのように、フラクタルを用いることで、世界の層構造を維持したまま、レイヤー間の主従/上下関係を実質的に無効化している例として、早瀬耕『プラネタリウムの外側』を見ていく(今回はフラクタル周りのトピックだけ紹介する)。

プラネタリウムの外側

プラネタリウムの外側』は、2018年に早川書房から出版された早瀬耕による5編からなる連作集である。有機素子コンピュータ(すごいシミュレーションができる)を使って再現した元恋人の故人の会話BOTとのやりとりから死の直前の瞬間を再演する表題作のほか、「光速が遅い場合の合わせ鏡はどう見えるか」をテーマとした「月の合わせ鏡」、脳の記憶とIT機器などへの記録の境界のあいまいさを突いた「忘却のワクチン」など、いくらか数理趣味の恋愛小説になっている。全体を通して世界の虚構性や実在がテーマとして扱われている。

主観世界をシミュレートすること、また世界がシミュレートされている可能性も大きなトピックとして扱われている。

有機素子コンピュータの中には、有機素子コンピュータを設計する物語が構築されていて、その物語の中にも有機素子コンピュータが存在するっていうのは、どう?シェルピンスキの三角形みたいな感じ
〉なるほど。ぼくは、そのフラクタルな世界のどこかにいる

シェルピンスキーの三角形というのはフラクタル構造で、こういうやつである f:id:xcloche:20190613204915p:plain

作中には世界のフラクタル構造のモチーフとしてタイトルにもある天球儀が出てくるのだが、天球儀を宇宙のミニチュアとして見れば、ミニチュア宇宙の中のミニチュア地球の中にミニチュア天球儀があれば、それってフラクタルみたいだね、ということである。

シミュレートされた仮想世界には、その成り立ち(われわれの側の世界がその世界を作った)や可操作性(われわれの側の世界から簡単に制御できる)によってメタ構造的に「下のレイヤー」の世界である、というイメージを持ちがちである。また、何らかの世界の階層性が提示されると「どこが基底の現実であるか」ということをついつい意識されがちである。

プラネタリウムの外側』では、フラクタルのイメージによって基底現実の特権性が解体され、一見したところでは世界の虚構性が強調されたように見える。が、これは同時に、たとえシミュレートされたものであったとしても、すべての世界は同等の価値を持つ、ということでもあるのだ。

メモ

(ゲームではシステム的にできないが)「Fishermanはミニチュアの自分をつまんで持ち上げることができるか」などの思考実験を考えてみるのは少しおもしろい。(ミニチュアの自分を持ち上げると自分は上層の自分に持ち上げられることになるので、再帰的にすべての自分が宙に浮くことになってしまう)

プラネタリウムの外側』について: 仮想空間を計算しているコンピュータがプラネタリウムのような動き(鏡張りの塔の中で回転している)してるのすき