頂点から消失点へ:レヴュースタァライトにおける「塔」と遠近法

アニメ・少女☆歌劇 レヴュースタァライトTVシリーズ)のシンボルは何か? といえば、いちばんに思い浮かぶのはだろう。「二層展開式少女歌劇」と銘打たれた*1この作品において塔は、現実世界においては東京タワーとして、作中作のレヴュー「スタァライト」においては星摘みの塔として存在する。

塔のモチーフは作品の随所に見られる。観客のメタファーでもある登場人物(動物)のキリンはしょっちゅう東京タワーを模したポーズをとるし、主人公の華恋は東京タワーから突き落とされる夢を見る。TVシリーズにおける塔は、演者にとっての観客のメタファーであり、ひとつの頂しかもたない演者同士の競争のメタファーであり、タロットカードで象徴されるように、試練のシンボルであった。

塔の変遷

聖翔音楽学園99期生にとって、1年時に上映した第99回公演「スタァライト」における塔は、塔である。

TVシリーズの舞台である、99期生たちが2年時に上映した第100回公演「スタァライト」における塔は、はじめは塔であったが、演出が変更され、橋として捉えられるようになった。

では、劇場版レヴュースタァライトにおいて99期生が卒業公演として演じた第101回公演「スタァライト」における塔はどうだろうか?

塔は鋳つぶされ原型を失い、まっすぐに伸びる線路となる。

本稿では、TVシリーズ・劇場版レヴュースタァライトの作中で用いられる象徴の変化に注目しながら、「スタァライト」という演目が各年度ごとにどのように再解釈され、再生産されたかを考察する。

演出の変化

聖翔音楽学園99期生は在学中の三年間、学園祭でレヴュー「スタァライト」を上演するが、その演出は毎年度ごとに大きく異なる。

TVシリーズの舞台である第100回公演「スタァライト」において塔は、序盤・中盤にかけてはいわゆる「塔」のメタファーとして、試練や競争の象徴として演出される。
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頂点の華恋と地上のななが対峙する象徴的なカット

塔には頂はひとつしかないので、「スタァ」は一人だけである。塔には頂はひとつしかないので、クレールとフローラが塔を登ってともに幸せになることはできない。

戯曲、スタァライトは悲劇。結末は別れと決まってるんだよな〜

この状況を演出によって転化してみせるのがTVシリーズ、第100回公演「スタァライト」の終盤で、ここで塔は横倒しになり、橋へと変身する。

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もちろんロンドン・タワーブリッジのダジャレ

横倒しになることで塔は競争や頂点の唯一無二性を失い、逆に孤立やディスコミュニケーションの解消のシンボル(橋)になり、悲劇の必然性が失われる。塔を橋として見ることがTVシリーズ・第100回公演の「スタァライト」再解釈であり、これによって「二人でスタァになること」が可能になる、というロジックである。

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塔を横倒しにしてひかりちゃんへの架け橋に用いることが暗示されている

舞台の多義性

所与の「舞台の原案」をどのように演出して上演するかは、与えられた「絵」をどのように見るか、のアナロジーとして捉えることができるだろう。スタァライトの原書の挿絵や聖翔祭のポスターの画像は、砂漠にたつ孤独な塔に見えるだろうか?

塔の上端が細くなるのをパースと思えば、この絵は同時に、星と星のあいだにかかる橋として見ることもできるのではないか?*2
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TVシリーズは、「スタァライト」という戯曲を咀嚼や再解釈しながら完成にむけて練習を重ね何度も演じる、同じ戯曲の再生産の話であった。聖翔音楽学園では生徒たちは三年の在学期間中ひとつの戯曲を毎年演じることになっており、去年よりも、昨日よりも進化した「スタァライト」を再生産しつづける。劇中のモチーフの通り、戯曲「スタァライト」自体が彼女たちにとっての塔であり、のちに橋として再解釈された。

では、「スタァライト」が終わったらどうなるだろうか? 次の演目になったら?

次の舞台へ向かうための徹底的な再生産、レヴュー「スタァライト」を完全に解体しきったのが、劇場版・レヴュースタァライトである。

対応表

公演 第99回公演 第100回公演 第101回公演(卒業公演)
舞台 TVシリーズ TVシリーズ 劇場版
塔? 線路
てっぺん 頂点 対岸 消失点(無限遠
レヴュー オーディション 舞台
塔の破壊 しない 横転 改鋳
キリン
ひかりの武器 長剣(*イギリス) 短剣(白いワイヤー) 短剣(赤いワイヤー)

線路

キービジュアルから見える通り、劇場版のモチーフは線路である。
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劇場版・レヴュースタァライトの序盤に、神楽ひかりが短剣についた赤いワイヤーを東京タワーの鉄骨のように張り巡らせていて、それを巻き取って崩す——というシーンがある。巻き取られたワイヤーは一本の線として伸びていき、やがて果てしなく続く線路になる。神楽ひかりのワイヤーの色は劇場版で白から赤に変化しているのは象徴的で、もちろん、これは塔の解体や再生産を意味すると同時に、「運命」のモチーフでもある。

劇場版では、線路は塔である。第100回目の公演では横倒しにして橋として解釈された塔は、今回は原型を失うまで完全に解体され、鋳つぶされ、線路として再成形・再解釈される。

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華恋とひかりが子どものころに行った「スタァライト」のデザインの変化に注目したい。TVシリーズ(左)のパンフレットでは、ルビンの壺のように掲げられた二つの手の影が塔を形作るデザインなのだが、劇場版(右)のポスターでははっきりとピンクと赤の(線路のような)塔に変更されている。線路としての塔の描写がわかりやすい一例である。

前にあげた短剣の赤いワイヤーのほか、塔の影のように見えていたものが線路として伸びていく演出、東京タワーの先端がずっと伸びていき空へ溶けていくカットなど、塔を線路として捉えなおす表現は作中にいくつも発見することができる。

地平線まで続く線路が象徴するものが何かといえば、卒業後の99組を待ち受ける広大な未来の展望や不安、可能性といったところだろうか? 乗り越えた試練(塔)の骨組みをバラしてその素材を自分のすすむ道へのレールとして敷くのは、力強く明るい象徴であるように思う。

舞台と遠近法

f:id:xcloche:20210619100840p:plain 同名の舞台(戯曲)ではだいたいの筋書きや登場人物は決まっていて、その戯曲のアイデンティティーとして変えてはいけない(変えるとその戯曲ではなくなってしまう)一線が存在する。

たとえば「スタァライト」では、塔のモチーフがそれである。上の図のポスターのように、スタァライトスタァライトであるためには、第99回、第100回、第101回で画面中央に塔がそびえている構図を変えることはできない。これはスタァライトの核であり、ここを変えると別の戯曲になってしまうからだ。

同名の戯曲の、劇団による味の違いや、再演されるたびに変わるバリエーションは、脚本をまったく別ものに作り替えることではなく、戯曲を再解釈し、演出として見せ方を変えることによって生みだされる。これは、同じ戯曲(ポスターの構図)を見るための視点(パースペクティヴ)を変えるアナロジーに対応する。

TVシリーズでは、「スタァライト」をどう悲劇でなく終わらせることができるかという話が、誰かひとりだけがスタァの座を得ることができる舞台少女の厳しいキャスティングの構造と照応しながら展開された。

「ポスターの図像をどう見るか」に還元すれば、塔を橋として見るTVシリーズの再解釈は、塔のてっぺんに見えていたところを奥行きのある道の先/向こう側の星として見ることで、平面だった塔に奥行きを与え、頂点の構造を解体する視点である。

劇場版のはどうか? 塔を地平線まで続く線路として見ると、塔の頂点は遠近法の消失点に対応する(ポスター参照)。消失点があるのは無限遠である。一人しか立てなかったはずの塔の頂点は、「橋」の解釈のさらに先にある「線路」の解釈によって、どこまでも続く先の見えない、しかし運命によって舗装されている道へと転化された。

この読み替えは、読み取る次元をあげる俯瞰的な視座が必要なものである。有限の一点を無限遠へと飛ばすこの再解釈が、文字通り、レヴュー・スタァライトに無限の奥行きを与える。

メモ:塔以外のモチーフ

華恋とひかりのシンボルである王冠と光の髪飾りもそれぞれスタァライトの呪縛として描かれており、砂漠にこれらを置いてきてこざっぱりとした二人が描かれていた。

TVシリーズにおける上掛けはオーディション残留の証であり、それを脱ぐ・外されることにはオーディション脱落というマイナスの意味しかなかったのだが、劇場版では「スタァライト」の呪縛をとして再解釈されており、能動的に手放すことが前進として描かれていてよかった。99組のみんなが上掛けを宙に投げ棄てるシーンがよすぎる。

メモ:キリン

劇場版でのキリンはぜんぜん塔ではなく(お得意の東京タワーポーズもとらない)、舞台を鑑賞するオーディエンスのメタファー*3に徹していた。オフィスビル街など大きなものと対比することで小さく見えるよう描写されていたのも印象的だった。

メモ:舞台を降りること、また上がること

再演すること・新しい役をやること(=アタシ🗼再生産)で生まれ変わるためには一度舞台から退場する必要があり、それは皆殺しのレヴューであったり、おのおののワイルドスクリーーーンバロックで描写されたことだったりした。鋳直すことのモチーフはTVシリーズでも描かれていた(溶かされた王冠が衣装の部品として鋳造される)が、今回は個人についてだけではなく、舞台そのものについても改鋳が行われていたのが新鮮だった。

落下や奈落に飛び込むことで生まれ変わる演出はたくさんあったが、やっぱり清水の舞台からデコトラが落下したら積んでたコンテナに桜の花びらが大量に詰まってるのはサイコー。

メモ:塔の破壊

第101回公演は99組にとってのレヴュー「スタァライト」の千秋楽であり、舞台を完全に解体し尽くす必要があった。巨大な東京タワーはスタァライトそのものであって、序盤に東京タワーを形作っていたひかりのワイヤーがくずれて赤い糸になるように、実際、クライマックスで東京タワーはきれいに真ん中から爆発・崩壊する。
よく見ると倒壊した塔の向こうには線路が続いていて、塔の鉄を原料にどこまでも続く線路が鋳造されていることがわかる。

劇中歌アルバムが出るらしい

* この記事内で用いられている画像は、少女☆歌劇レヴュースタァライトTVシリーズおよび、劇場版公式Webサイトから引用しています。

*1:もともとは「ミュージカルとアニメーションで展開する」表現として使われていたようだが、もちろん、アニメーション内での現実(日常生活層)とレヴュー(オーディション層)を意味しうる

*2:99回公演のポスターと100回公演のポスターは最終回前まではほぼ同じデザインであったが、最終回でひかりが戻った後に右上に星があしらわれるようになっている

*3:レヴュースタァライトではファンのことを「舞台創造科」と呼ぶらしい。 アイマスの「プロデューサー」呼びと同じく、この手の表現が好きになれない