物語を俯瞰する目:マルチプレックスのすすめ

『エンパイア・スター』読んだか?

 『エンパイア・スター』というのは、1966年にアメリカのサミュエル・R・ディレイニーが書いた中編SFである。一文要約すると、辺境の惑星で暮らしていた青年がある日「エンパイア・スターという星にメッセージを届ける」使命を託され、八本足の猫を道連れに宇宙を冒険する、という内容の話。ものごとを見る視座(後述する、シンプレックス・コンプレックス・マルチプレックス)がひとつの主題となっており、物語中で示されるこれらの視座と物語の構造がきれいに照応する、メタフィクショナルにも非常にすぐれたディレイニーの代表作である。

 日本では1980年にサンリオSF文庫から翻訳が出版され(米村秀雄訳)、1983年には早川書房の中短編集『プリズマティカ』に採録(岡部宏之訳)、さらに2014年になってディレイニーの全中短編をまとめた国書刊行会の『ドリフトグラス』でまた別の訳(酒井昭伸訳)がついた。出版社・訳者をまたにかけて三回も翻訳・出版されたことになる。

 ただし、上であげたような紙の本で読もうと思うと、ちょっとばかりハードルが高い。
 サンリオSF版はプレミア価格がついてて3000円くらいするくせにだいたい古くてばっちいし、『プリズマティカ』はそれよりさらに高いプレミアがついていて手に入らないし、新刊で入手可能な『ドリフトグラス』はディレイニー全部入りにしたせいでクソ分厚くて気軽に読めなくてお値段もけっこうする(『ドリフトグラス』は他におもしろい話がいっぱい入ってるので余裕があったら読んでほしい)。図書館に置いてあるなら借りて読めばいいけど、手に入れるのはちょっと大変……という状態。

 そんなあなたに朗報! なのが、PDFで無料で読めちゃう! こと。
 『エンパイア・スター』で検索すると、上から三つ目くらいにサンリオSF版のPDFがヒットして全文が読める。これは山形浩生(翻訳家・評論家)が「プロジェクト杉田玄白」の名前でやっている翻訳文学無料公開プロジェクトのものである。ディレイニーはまだ存命だし、これがどういう経緯で公開されているのかはよくわからないが、まあ著名人の山形浩生が数年前から堂々と公開していて特に文句も言われていないわけなので、たぶん大丈夫なやつだと思う。

https://cruel.org/books/empirestar/empirestar.pdf

 どれでもいいのでおすすめなのでとにかく読んでみるといいと思う。

シンプレックス・コンプレックス・マルチプレックス

 この記事の本題は、この『エンパイア・スター』のテーマである、「ものごとを見る三つの視座」、「シンプレックス・コンプレックス・マルチプレックス」についてである。それぞれ「単観、複観、多観」という日本語の訳が当てられている。

 作中で明確な定義が与えられているわけではないが、誤解をおそれずにそれぞれの視点を概説すると

といったところだろうか。

 『エンパイア・スター』の物語は、主人公が持ち運ぶ宝石(宝石型の宇宙人)の手によって、明示的にマルチプレックスな視点で語られる。

 冒頭に次のようにある。

私は"宝石ジュエル"。
わたしは多観マルチプレックスな意識を持つ。これはつまり、さまざまな視点からものごとを見られるということである。わたしの内部構造における振動パターンの倍音列。それが持つ働きのひとつこそは、この多観マルチプレックス性にほかならない。ゆえに、これよりわたしは、文学の世界でいうところの〈全知の観察者〉の視点から、この物語をじっくり語っていくことにしたい。

 つまり、時空を超越した、物語全体を俯瞰的にみる特殊な視座からの語りなのだ。

エンパイア・スターの時空構成

 『エンパイア・スター』の作中には、物語の本筋の時の流れと逆行するようなさまざまな時の流れがあり、それらが相互に複雑に絡み合っている。

 時間の流れの逆行やズレは宇宙の時空のゆがみによって生じるということになっていて、そのため熟練の宇宙船乗りたちはマルチプレックス的なものの見方をするために、あまりこうした因果関係のゆがみに頓着しない。話が噛み合わないと思ったら「こちらにとっては未来だけど向こうにとっては過去」だったから、ということはままあるし、ある人物にいたっては、主人公と再会するたびに若返っている(その登場人物が若いときに旅のおわり頃の主人公に会い、歳をとってから旅のはじめ頃の主人公に会ったているというだけの話)。

 かつ、これらの要素は矛盾なく緻密に構成されている。

マルチプレックスのすすめ

 そういうわけで、『エンパイア・スター』を読むとき、主人公の冒険を時間に沿ってトレースするようなシンプレックスな視点からしか見ないのは、非常にもったいない読み方である。この作品は「物語を俯瞰して見ることで、大きな幾何学構造が見えてくる」もので、マルチプレックスな視点で見てはじめて本性をあらわすのだ。

 ここからは、物語の筋を追う視点からズームアウトして見ることで新たな構造を見せる作品を「マルチプレックス的」と呼ぶことにして、そうした視点で楽しむ物語をいくつか訪ねてみようと思う。

円城塔「墓標天球」ほか

 構造が「エンパイア・スター」に非常によく似ていて整理されているのでまずもってきたのが円城塔「墓標天球」。この作品は円城塔の短編集『後藤さんのこと』に収録されている。

 「墓標天球」には時間軸が三つあり、それぞれの時間軸は輪になって循環している。 循環する三つの時間軸の上には三人の人物が存在しており、「時間軸が交差」したとき出会う(場合によって、ある視点人物から見たとき他の視点人物が再会したとき若返っている、ということもある)。

 ある意味で、「墓標天球」は『エンパイア・スター』の構造を幾何学的にきれいな形にリファインして、そこから異なるメッセージ/詩性を見いだした作品である、と言ってよいと思う。

 円城塔は、他にもいくつもマルチプレックスな作品を書いているマルチプレックス・作家である。そもそもデビュー作の『Self-Reference ENGINEからして引きで見ないと何言ってるかわからないし、「Boy's Surface」にいたっては、マルチプレックスの概念そのものが主人公みたいな小説である。

 非常に風変わりな例としては、二次元的に書かれた小説「タンパク質みたいに」(テキストが一本線でなく、無数の分岐や合流をもっている)が特にマルチプレックス的だろうか(単行本未収録)。この作品はタンパク質のフォールディング(巨大な分子がどのように変形しうるか)をテーマにしており、分岐を適当に選んで読むことで、選んだ分岐に応じたさまざまな "フォールディング" が展開されていく。

 これは円城塔やくしまるえつこのコラボ企画として書き下ろされたもので、アルバム「Flying Tentacles」内でやくしまるえつこがこの作品を朗読している(「ゲノムによるタンパク質の合成時に発生するポリペプチド鎖の立体折りたたみ構造(フォールディング)を詩と音に秩序立てて対応させた作品」というすごい説明がある)。

朗読が行われたイベントの様子。小説「タンパク質みたいに」の画像がある
http://www.asahi-net.or.jp/~li7m-oon/thatta01/that331/kyofesu.htm

 やくしまるによる「朗読」は単なる朗読でなく、編集によって分岐を同時に読む(分岐した時点から朗読が二人になり、合流した時点でもとの一人に戻る)などの異常な演出がなされ、「はじめはランダムにゆらぎながら展開されていたタンパク質が、徐々に秩序だてて解きほぐされていく」感覚をうまく表現した、マルチプレックスなものになっている。

テッド・チャンあなたの人生の物語

 以前の記事で映画版との比較考察を行ったこの作品も、マルチプレックスに近いものの見方、「同時的認識様式」をテーマにしたものだ。

xcloche.hateblo.jp

 認識のまったく異なる生物とのファーストコンタクトを書いた言語学SFであるこの作品は、おかしな時制(I remember you will〜:私はあなたが(未来に)〜するのを思い出す)を用いて語られており、だんだんとその理由が明らかになっていくという構成になっている。読了後、マルチプレックスな視点で作品を俯瞰してみることをおすすめする。

 同名の作品集『あなたの人生の物語』に入っている。短くまとまった中編で読みやすいのでぜひトライしてみてほしい。

プリズマティカリゼーション

 マルチプレックスな視点をゲーム化した(!)ヤベーやつが、「Prismaticallization」(1999年、アークシステムワークス)だ。

 これはPS1で発売されたアドベンチャーゲームで、「マルチプレックスな視点からの世界への介入」をゲーム性としてきれいに成立させた非常に稀有な作品である。とにかく名前がクソ長いのでファンの間ではP17nと略されることになっている(Pとnの間に17文字あるから)。
 ゲームアーカイヴスで販売しているので、PS3PSP/PS vita があれば気軽にプレイできる。

https://store.playstation.com/ja-jp/product/JP0036-NPJJ00078_00-0000000000000001store.playstation.com

ゲームのストーリーを引いてみよう。

 主人公・射場荘司は、高校3年生。幼馴染みの同級生・明美に誘われて、夏休みを避暑地のペンションで過ごすことになった。
 荘司は人生に明確な目的が持てず苦しみながらも、苦悩するインテリ青年という自己像に酔うばかりで、何も行動を起こさず怠惰に過ごしている。ペンションで出会うヒロインたちも、一見幸福そうではあるものの内面にはそれぞれに苦しみを抱えているが、荘司はその兆候を見過ごし、彼女たちの苦しみも終わらない。
 荘司は、ペンションの近くの森でプリズムのような形状の不思議なオブジェを偶然拾う。このオブジェにより、荘司たちは同じ一日が、いつ終わるとも知れず繰り返される循環に囚われる。
 オブジェの影響により、繰り返される一日は、しかしどこか少しずつ違ってゆく。循環から解放される日はやってくるのだろうか。
-Wikipedia(一部省略)

 要は、謎の物体を拾ってから夏のペンションでの一日がえんえんと繰り返されるようになって、これからぼくたちどうなっちゃうの〜!? てな感じである。

 ところが、全編通して基本的にキャラクターたちにはループの自覚がない。 主人公たちはループを自覚しないので、当然ながら特に抜けだそうという意思もないし、これからぼくたちどうなっちゃうの〜!? と思うこともないし、ただ普通に夏のペンションでの一日を過ごしていて、ある時間になるとプツリと世界がおわって何事もなかったように次のループがはじまってしまう。

 キャラクターたちは記憶を引き継ぐこともないので、何もしなければキャラクターたちは1周目とまったく同じ動きをとることになる。

 この世界へプレイヤーが介入できる唯一の手段が、作中アイテムプリズムを用いた「状態の記録」と「状態の解放」である。

 たとえばある周回で作中のキャラクターが「石を動かす」行動をとったとする。このイベントの後、画面上に

状態『石を動かした』を記録しますか?

という奇妙な選択肢が出現する。

 ここで「はい」を選ぶと、「状態『石を動かした』」がプリズム内にストックされる。(その後は何事もなかったように物語が進行する)。

 こうした「状態」をストックしていると、次の周回で

状態『石を動かした』を解放しますか?

 という選択肢が登場するようになる。  ここで「はい」を選ぶと、この2周目の世界に「石を動かした」情報が上書きされ、この世界でははじめから石が動いていたことになる

 1回目の世界では「石を動かす」アクションが実行されたところが、2回目の世界では「石ははじめから動いていた」ので動かす必要がないわけで、こういった微細な変化によって物語は微妙に展開を変えていく。展開が変わるとまた新たな「状態」を記録/解放できるようになり、そこからまた新たに物語が展開される仕掛けである。

 数ある「状態」を組み合わせてキャラクターたちの行動を変化させ、見たい世界/まだ見ぬ世界を探求するゲーム性はパズルに近く、少し状態を変えるだけでときに劇的に世界が変化する様子は万華鏡のようでもある。

 実際のところ、プレイしているとこの作品にはどうも『エンパイア・スター』をリスペクトしていると見えるフシが多々あって、そもそもタイトル自体「エンパイア・スター」の入っている『プリズマティカ』からとっているようである。

 プリズムをいろいろな角度から覗き込んで見える景色の色彩の変化を楽しむという感じのプレイフィールで、世界をさまざまな角度に変化させて遊んでいるうちに状況の全貌が明らかになっていく感触はまさに、マルチプレックスだ。

おわり

 一歩引いて俯瞰した瞬間に急に巨大な構造が見えてくる感覚はどうにも神秘的で、クセになる。