「息吹」と『エンジン・サマー』とボイジャーの旅

はじめに

2019年12月4日、満を持してテッド・チャンの第二短編集『息吹』が発売された。今回は「物語が語られるということ」を焦点に、周辺の作品や情報を追いながら表題作の短編「息吹」を読み解いていきたい。

「息吹」の基本情報

テッド・チャンによる短編小説。原題は「Exhalation」で、そのまんまの意味だと「発散・蒸発」あるいは呼気(息をはき出すこと)といった感じ。

すべてのものが超高圧の貯蔵槽(reservoir)との気圧差を利用した空気圧駆動で動いていて、チタン製外殻の歯車で動く人々が生活しているというスチーム・パンクめいた世界が舞台。

2008年に出たアンソロジーEclipse 2: New Science Fiction and Fantasy」が初出。邦訳の初出はSFマガジン2010年1月号で、その後『SFマガジン700 創刊700号記念アンソロジー 海外篇』に収録された。2019年にアメリカで「Exhalation」をタイトルにした第二短編集が出て(2002年の『あなたの人生の物語』以来17年ぶり)、同年12月に邦訳版が出版されている。

「息吹」世界の危機

「息吹」では世界の悲劇的な未来予想が描かれている。すべてのものは地下の奥底にあるという貯蔵槽(reservoir)※と世界との気圧差によって駆動されているので、世界が密閉されている以上、究極的な未来においては貯蔵槽と世界の気圧差がいずれゼロになって、世界のいかなるものも動けなくなってしまうはずだ、という予測である。作中でも徐々に世界の気圧が上がっているらしいことが描写されていた。

実はこれとよく似た「宇宙の終わり」は現実世界の物理学でも予言されていて、「宇宙の熱的死」と呼ばれている。

宇宙の熱的死

巻末の作品ノートの自作解題で、「息吹」はペンローズの『皇帝の新しい心』から着想を得た、とある。該当部分を引用してみよう。

人間は、事実上、秩序を消費し、無秩序を生成している。人間は、宇宙の無秩序さを増大させることで生きている。われわれがそもそも存在できているのは、宇宙がきわめて秩序の高い状態で始まったからに過ぎない。

熱力学のことばではこの「無秩序さ」を「エントロピー」と呼んでいて、孤立系(外界とのやりとりがない世界)ではエントロピーは増大する方向にすすむという法則がある。

エントロピーは増大する一方なので、宇宙全体を「孤立系」として見れば、最終的に「エントロピー極大の状態」に行き着くはず、というのが熱力学の帰結である。この「エントロピー極大の状態」というのがさっき挙げた「宇宙の熱的死」で、「死」と呼んでいるとおり宇宙のいたるところが同じ温度(絶対零度に近い)で、その先変化が起こることも一切ない、まさにドン詰まりの状態である。*1

宇宙が完全に熱的死までにかかる時間はどれくらいかな~という推定は多少あるようで、wikipediaでは「少なくとも今あるでっかいブラックホールが蒸発(ホーキング輻射で)しきるまではエントロピーが供給され続けるから最低10100年くらいはいけるいける」みたいなことを書いてて、現実の「宇宙の熱的死」については下界に来るのに56億年かかる弥勒菩薩(なんか救ってくれるらしい)が10…(0が90コ)往復できるくらい余裕があるのであんまり気にしなくてよさそうである。*2

が、「息吹」における「宇宙の圧的死」は作中ですでに兆候が見られはじめていて、数百年後か数万年後かはわからないが確実におこる差し迫った危機だ。住人たちは必然的に「宇宙がそのうちに死ぬこと」を受け入れて生きていくことになる。

「宇宙がそのうちに死ぬこと」を受け入れるにあたって、主人公がとった行動は「語る」ということだった。

物語が読まれる(あるいは、読まれない)ということ

「息吹」のテキストはある科学者が銅板に刻んだ手記であるという体裁になっている。

だからわたしは、この説明を記している。願わくは、いまこれを読んでいるあなたが、そうした探検家のひとりであってほしい。この銅板を発見し、表面に刻まれた言葉を解読したのであってほしい。だとしたら、いまあなたの脳を動かしているのがかつてわたしの脳を動かしていた空気だろうとそうでなかろうと、あなたの思考をかたちづくるパターンは、わたしの言葉を読むという行為を通して、かつてわたしをかたちづくっていたパターンを模倣することになる。そしてわたしは、そのようにして、あなたを通じて生き返ることになる。

文章を読んだ人が「わたし」と同じことを考えるならば、それは「わたし」と同じ思考のパターンを再生しているということで、媒体に依存せず、パターンという形をとって「わたし」が生き返ることになるのだ、ということを書いた部分だ。

この点について、Believerというウェブジンがチャンに行ったインタビューに興味深い指摘があった。

believermag.com

息吹について語っている該当部分を抜粋して訳するとこんな感じ。

インタビュアー:

表題作「息吹」の、「あなたがたの想像力の共同作業を通じて、わたしの文明全体が生き返ることになる」というのはまさに文学そのものについての形容ととれると思います。ジミー・カーターボイジャーに乗せた異星文明へのメッセージ、「私たちの死後も、本記録だけは生き延び、皆さんの元に届くことで、皆さんの想像の中に再び私たちがよみがえることができれば幸いです*3」を思い出しました。チャンさんにとって、作者と読者の関係はどのように協調するものなのでしょうか?

テッド・チャン

これが直接の答えになってるかはわからないけど、そのことについて考えさせられる出来事が2007年にあった。日本のSF大会のインタビューで、聴衆の一人が「最近何を読みましたか?」って聞いてきたんだ。ピーター・ワッツの『ブラインドサイト』を読んだって答えた。ぼくとしてはあの小説はほとんどあらゆる点で同意できないんだけど、それでもあの本をおすすめしたい理由があって、あの本ではぼくが本当に興味深いと思ってた主題を論じようとしていたんだよね。それで、作品で書いてることをぜんぶ完璧に受け入れてくれる読者ってのもいいかもしれないけど、それよりも、似たようなアイデアについて考えるのが好きで、ぼくが作ろうとしている論に一緒に取り組んでくれるような読者のほうが大事だなと思ったんだ。たとえそれがぼくの考えに賛同しない人でもね。

ボイジャーのゴールデン・レコード

テッド・チャンがどうやら『ブラインドサイト』に相当ひっかかってるっぽいのがどうしても気になってしまうが、まず一つ目、インタビュアーが「息吹」を読んで思い出したという「ジミー・カーターボイジャーに乗せた異星文明へのメッセージ」について振り返ってみよう。

これはいわゆる「ボイジャーのゴールデン・レコード」に当時アメリカ大統領だったカーターが寄せたメッセージのことである。

1977年にボイジャー計画が打ち上げた2機の惑星探査機、ボイジャー1号と2号は、最終的に太陽系の重力圏を脱して星間空間に到達することがわかっていたので、異星文明に出会ったときに解読してもらえるよう、カール・セーガンを委員長とする委員会によって選ばれた、115枚の画像、自然音、55種類の言語のあいさつ(日本語としては「こんにちは、お元気ですか?」を収録)、セーガンの妻の脳波(!)、各国の音楽、などを収録したレコードが載せられた。

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ボイジャーのゴールデン・レコード

ジミー・カーターはこのレコードに次のようなメッセージを寄せた。

(前略:ボイジャーアメリカで作ったぜ、だんだん人類一丸グローバルになってきてるぜ)

このメッセージを宇宙に向けて送ります。十億年の未来にもきっと消えずに残っていてくれるでしょう――私たちの文明は根本的に変わってしまって、地表もまったく変わり果ててしまった時だとしても。

銀河系の2000億の星には、宇宙飛行できるような文明の住人がきっとたくさんいることでしょう。そんな文明がボイジャーと出会ってこのレコードの内容を理解してくれるなら――

これが私たちからのメッセージです:

これは小さな、遠い世界からのプレゼントで、われわれの音・科学・画像・音楽・考え・感じ方を表したものです。私たちの死後も、本記録だけは生き延び、皆さんの元に届くことで、皆さんの想像の中に再び私たちがよみがえることができれば幸いです。

(中略:地球の問題解決して銀河文明の一員になれたら嬉しいぜ)

このレコードは、広大で荘厳な宇宙における、私たちの希望、私たちの目的地、私たちの親善の心を表現したものです。

レコードは金メッキした銅製の円板だった。

外の存在の誰かに読んでもらうことを願ったメッセージであること、仮にそのとき我々が滅んでいるとしても、読まれることによってあなたがたの中でよみがえるのだということ、おまけに人間の脳波という「思考をかたちづくるパターン」そのものらしきものまで入っていること、あとついでに銅板だという点で、「息吹」はまさしくゴールデン・レコードと言える……かもしれない。

想像力の共同作業

インタビューの話に戻ろう。

インタビュアーがボイジャーのメッセージの例を引いてチャンに「読み手と書き手の協調関係についてどう考えているか」と聞いたのに対して、チャンは自身の読書体験から考えたという作品を読む上でのスタンスについて語っている。

『ブラインドサイト』について、"I disagreed with almost everything in that novel" (あの小説はほとんどあらゆる点で同意できない)とまで言っておきながら、実はチャンは『ブラインドサイト』巻末附録の「日本版特別解説」を書いており、ここでも似たようなこと(気に入らないけどオススメ!)を言っている。ツンデレか?*4

つまり、彼にとって『ブラインドサイト』の主張はぜんぜん気に入らなかったものの、扱っている主題は興味深いと思うものだったために、いろいろ考えながら楽しく読めたようなのだ。それで「書き手の意図に添う読みもいいけど、作品が描こうとしている題材によろこんでいっしょに取り組むような読みが大切」と考えるようになったようだ。

『ブラインドサイト』という作品自体が「そもそも他者と共感することは可能なのか」「人は他者を理解することが出来るのか」といったテーマを扱っていることも、このスタンスと無関係ではないだろう。

ここで、このスタンスを「書き手とは独立した視点をもった他者としての読み」と言い換えておこう。

エンジン・サマー

「息吹」を読みとくにあたってもうひとつレファレンスしておきたいのが、ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』だ。

『エンジン・サマー』は1979年に出版された終末後の世界を舞台にした幻想的なSFである。邦訳は1990年に単行本、その改訳版が2008年に文庫本で出ていて、訳者は奇しくも『息吹』と同じ大森望である。チャンは影響を受けた作家としてよくクロウリーの名前を挙げており、中でも特に『エンジン・サマー』が一番好きだと語っている。

www.hayakawabooks.com

『エンジン・サマー』は、まさに「物語として生きること」を主題にした小説だ。あるガジェット(ヴァッサー‐ドジエ多変数社会環境人格記録用圧縮ファイリング・システム第九版)によって記録された人格(物語)を、生きている人々が「再生」することで、記録された人の人生を「生き直す」という構造が作品の根幹にある。この「物語を生き直す」ということが、崩壊後の世界を生きる人々の精神的な支柱となっているのである。

例としては、ある共同体の人々は年中行事として猫の人格を自身につかのまの間住まわせてあげる(イメージとしては神がかりが近い)ことをしている。こうして「しばらく肉体を留守にして、そのあいだ、ぼくよりも単純で迷いがない、無邪気な知恵を持つ生きものをそこに住まわせる」ことで、かれらは「世界とともに生きるすべ」を学ぶのだ。

ここで注目したいのが、『エンジン・サマー』の物語として生き直すという現象では、「物語」というものは、それを語る(再生する)ひとに依存してかたちを変えるものである、ということだ(作中では、物語を語るというのは色ガラスを重ねると他の模様が見える「重なり合い」と同じなのだ、という比喩で表現されている)。たくさんの人々が同じ物語をいろいろに語っており、その物語は「無数の生涯(many lives)」と呼ばれる。

他者によって再生されること、その他者によって咀嚼されることを「物語としての生」の必須の成立要因にしている手際はチャンの「息吹」と非常に近しいものだ。

「息吹」と 『エンジンサマー』とボイジャーの旅

「物語としての生」の観点から見たとき『エンジンサマー』と「息吹」には大きな違いがある。前者は作中に読み手(物語の再生者)がいて「物語がくりかえし語られている」構造であるのに対して、「息吹」は物語だけが存在して、誰もそれを読んでいない。どうか誰かに読んでほしいという強い願いが述べられている。

誰かが「息吹」の世界を探検したわけではないので、この物語を記した銅板はおそらく「読まれていない」ということになる。想像力の共同作業は未だ行われていないし、これから行われるかもわからない。*5

気圧差を使い果たし動力を失い、完全に静止してしまった世界の片隅に、メッセージが書かれた銅板が、誰にも読まれることもなく、朽ちることもなく、誰かを待ちながらただ存在し続けている——それが私にとっての「息吹」という小説のビジュアルイメージだ。

1977年に打ち上げられたボイジャー1号は現在、人類のメッセージを乗せて、人工物としては地球から最も遠いところにいる。世界で一番さびしい場所で、他者を求めること、自身にたしかな存在理由があると信じること、その切なる祈り、それこそが、この小説の真髄ではなかろうか。

落ち穂拾い

  • 語り手は「世界が止まったあと、我々の世界を貯蔵槽(reservoir)として用いる外側の世界」があるかもしれないと考えている。逆に考えると「気圧差がなくなって止まった世界」がいま使っている貯蔵槽の中にすでにある可能性もある。頭の中(内宇宙)をのぞき込む行為はこのメタファーと捉えることもでき、タマネギのような形をしていて内側の層からだんだん止まっていく階層的な「息吹」世界が想像される。

  • 「息吹」世界に一定の圧力を供給し続ける貯蔵槽(reservoir)であるが、これは熱力学で用語としても使われている単語で、「(容量が十分大きいため)常に一定の物理量を保ち続けるもの」といったニュアンスがある(熱浴:Thermal reservoir など)

  • 1976年に、リチャード・ドーキンス利己的な遺伝子』で、ミーム(模倣子:文化にとっての遺伝子のようなもの)の概念がはじめて提唱された。ボイジャーのメッセージや『エンジン・サマー』、そして「息吹」の「物語として生きること」との関連を議論することができるだろう。

  • 『エンジン・サマー』では対照的に「物語が何度も繰り返し読まれること」自体に由来する寂しさやもの悲しさ、そして喜びについても描かれており、大傑作。はやく復刊してください。

  • ボイジャーのゴールデンレコードは地球人向けの復刻版があるらしい。 https://www.kickstarter.com/projects/ozmarecords/voyager-golden-record-40th-anniversary-editionwww.kickstarter.com

*1:熱力学が考慮の埒外においている重力や量子現象の影響によって、熱的死は起こらないとする仮説もある。

*2:地球温暖化など人類に差し迫った問題のメタファーととることも可能だが、ここではしない。

*3:記者は "We are attempting to survive our time so we may live into yours." の部分を引いていて、これを「私たちの死後も、本記録だけは生き延び、皆さんの元に届くことで、皆さんの想像の中に再び私たちがよみがえることができれば幸いです」と訳するのはさすがに意訳が過ぎると思うのだが、どうもこれがボイジャーのメッセージの定訳っぽいのと、「息吹」との対応関係がわかりやすいのでそのまま使った。前後の文脈からも「(記録が再生されることで)あなたがたの中で生きる」のだ、といったニュアンスはまああると思う。

*4:チャンは『ブラインドサイト』巻末の日本版特別解説で、「2007年のSF大会で『ブラインドサイト』の名前を挙げたから解説依頼が来たのだろう」と書いている。内容は批判的ながら精密でおもしろいもので、「ほとんどすべての点で同意してない人」に解説依頼したのはグッジョブだったと思う。

*5:メタフィクショナルな読みはいくらでも可能だろうが、個人的な趣味として「読者が読書という行為を通して物語を再生している」とする読みは好みではない。