ダメ暮らし最適化の覚え書き(ホン篇)

最近は精神がいよいよダメになったときにマジで最低限のことしかしなくてもそこそこ成立する環境づくりをやっていて、なかなかうまい感じにできつつある。今回は全三回予定の第一弾で、本がいっぱいあるオタクがいかに本を減らすかの、〈ホン篇〉をお届けする。

本を減らす

本棚のキャパより本が多いと溢れて置き場所がなくてウワ〜〜〜〜〜〜!!!ってなってしまう。本に限らず置くべき場所が定まっているものについてはそこに置けばいいだけなので自然と片付きやすいのだが、あぶれた本など置くべき場所が定まらないものはどこに置くかを考えなきゃいけなくてめんどくさいし、そういうものは精神がオワッているときにはそのへんに置いちゃうわけで、部屋もオワッて精神にそのフィードバックがきてオワオワスパイラルが生じてしまう。

というわけで、だいたい常に8割くらいの容量になるよう、本減らしをしている。
本の減らしかたは2つ、

  • 売る
  • スキャンして捨てる

である。

読んでる読んでないとか積読であるとかないとかは関係なくて、本を減らすかどうかの基準は、

  • 今後読みそうか
  • 紙として持っておきたいか

の2点のみである。
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積読でも今後たぶん読まへんな〜と思ったら売ったらいいし、二度と読まない本はいらないし、既読でまた読みたくなりそうでも紙である必要ないな〜と思ったらスキャンしてしまったらいい。物体として残したいと思う本以外はドンドン売るかスキャンして火にくべてしまおう。

売り先

近所のブックオフに箱いっぱい本を持っていってもどうがんばっても牛丼代くらいにしかならないんだけど、ちょっと専門性が高くて売り場を持ってる古書店に郵送で送ると存外に高い値段がつく。10倍〜になると言っても過言ではない。近所のブックオフで本を売るのをやめよう。

オタクにオススメの売り先は駿河屋で、ちょっと古めの小説とか漫画、オタク・コンテンツを30点以上箱詰めして本社に送りつけると高値で買い取ってくれる「かんたん買取」「あんしん買取」というサービスをやっている。

www.suruga-ya.jp

着払いで郵送料もあちら持ちなのでバンバン送ろう。DVDとかゲーム、TCGのカード、フィギュアなどもいっしょに送って処分できる。

スキャン

スキャンは代行業者に依頼するのが手っ取り早い。

scanb.jp
www.bookscan.co.jp

本を小包で送ると一ヶ月後くらいにデータになって納品されるイメージだ。送った本の物理的実体はスキャン業者によって処分される(使いまわされることはない)契約になっている。
カバーの有無やカラー/白黒、OCRの有無あたりでプランが違うが、経験上はどれでもだいたいきれいに読める。一冊50円〜150円程度かかるが、本の増加とともに本棚も増やしていく無間地獄の金銭・空間コストと比べても十分割にあっているように思う。

三者による無許可の複製は法で禁じられており、スキャン代行業者はこの著作権上の問題を回避するため、「ユーザーが著作権者から許可を得てスキャンを依頼してきている」という建前でスキャンを行っている。実態はぜんぜんそんなことないだろうけど、問題がおこったときユーザーに「きみ著作権者に許可とったって言ってたよね?」と言えるつくりになっている、というワケである。

すぐに電子化したい場合や、とにかくこのグレーな法的リスクを避けたい場合は、裁断機とドキュメントスキャナで自炊しよう。

本のスキャンは非破壊にこだわるとろくなことにならない(めんどくさい上、結果がきたない)ので、割り切って断裁してオートドキュメントフィーダーつきのスキャナにぶち込んだほうがよい。

電子リーダー

いろいろ試した結果、電子化した画像データの本を読むのにおすすめの環境はiPadのi文庫HDで読むのが最適って結論が出た。最近全然アップデートされてないのでここのところ低評価がたまってきているが、まだこれを超える読書体験のアプリは出てないのでiPadユーザーはゴタゴタ言わずこれで読むとよい。早くアップデートしてほしい。

i文庫HD

i文庫HD

  • DWANGO Co., Ltd.
  • ブック
  • ¥860
apps.apple.com

Androidアプリには明るくないが、SideBooksっていうのがジェネリックi文庫HDでそこそこよかった気がする。

play.google.com

本棚

入れる本にあわせてピッタリしたものを選ぶとデッドスペースが少なくていい感じになる。 xcloche.hateblo.jp

まとめ

ぼくはこれで本棚一棹減らして残りも8割くらいの占有率にした。精神衛生上たいへんよい。貴族ではないので棚をおく空間もバカにならず、棚一棹ぶん部屋が広いのはけっこう違う。

たぶん、〈モノ篇〉〈コト篇〉に続く。

錬金術師をしていた話

おおむねノンフィクションで、失敗談です。

錬金術ことはじめ

金融の世界では、相場で勝ち続ける方法のことを「聖杯」と呼ぶ。

およそ3年ほど前の話になるが、そのころのぼくは大学院の修士課程で研究をする傍ら、錬金術師をしていた。同じ境遇の多くの人にとってそうなのではないかと思うが、博士課程への進学を考えていたぼくにとって大学院の修士というのは、お金がないことと、お金がないことへの焦燥感がいちばん高まっていた時期だった。同級生たちが次々と就職して稼ぎを得だす一方、自分はむこう数年間もしかしたら無収入(いわゆる「学振」に研究計画が通れば給料をもらえるが、そうでなければゼロ)どころか奨学金という名の借金を重ねつづけるうえ、それが終わった後のアカデミア内外でのよい就職の目処がたっているわけでもない——将来的な展望の欠如と、即物的な金のなさのピークなのである。アルバイトもしていたが、この焦燥感は小銭を稼いだところで満たされるものではいっさいなかった。

国内のドクターコースの就職のポスト・待遇の不充実っぷりの話も耳が痛くなるほど聞いていて、誰かから雇われて金をもらうのではなく、自分の力でもってゼロから金を稼ぐことはできるのか? と、自分の才覚を試したい野心もあった。

そこで、無から金を汲み出す錬金術をすることにした。

現代の錬金術

その頃、ビットコインが爆発し、仮想通貨への投機が大流行した。

ぼくは今も、市場の値動きの様子から未来の株の値上がり・値下がりを予測して儲けようとするような個人投資家による投資・投機の有効性をまったく信用していない。祖父も父も株で損をこいていたし(株で得をしたのはずっと売らずに持ち続けていた祖母だけだった)、多少なりとも統計数学や時系列予測まわりの研究をしていた自分にとって、「市場価格の変動のグラフがこの形になったら買いどき/売りどき!」などとのたまう個人投資家向けのノウハウ(?)はまったくのお笑いぐさだった。儲かった人ほど声がデカく損をこいた人ほど小声になるおそろしいバイアスもある。

もちろん、業界情報に通じて動向を予測するようなまじめな投資もあるのだろうが、ぼくは金も持ってないし、専門知識も持ってないし、別にその業界動向を読むスキルを磨くことにも興味がなく、金融商品としての仮想通貨はぼくにとってぜんぜん魅力的ではなかった。ぼくは分の悪い賭けはきらいなのだ。

とはいえ金はほしく自分の力を試してみたいという動機があったので、それでもここに何かつけいる先がないものかと、ブロックチェーン技術や仮想通貨の採掘、取引のシステムをけっこうリサーチした。

仮想通貨の基幹技術・ブロックチェーンにおいて、PCの電気と演算能力を使って新たに仮想通貨を作り出す「採掘」は、何もないところから金を生み出しているようでその実、市場の原理によって、だいたいのところただの電気代と貨幣とのほぼトントンな交換(少なくとも電気代の高い日本では)である。電気代の安い発展途上国バラックに所狭しとPCが並べられ、せっせと仮想通貨が「採掘」されている――このビジョンにはSF的おもしろみはあるが、順張りで投資するのとほぼ変わるところがない。この頃、単にエネルギー/膨大な計算能力と貨幣価値の交換であったこの「採掘」には環境問題の視点からの苦言も出ていて、へぇ~と思った覚えがある。つい最近も電力不足の文脈で言及されていた。

通貨の採掘は電気代とトントンだが、計算にともなう熱はいっぱい発生するので、暖房器具としては実質電気代がかからないということで優秀らしい。マジで何?

採掘もせず、順張りも逆張りもせず、ではどうやって無から金を生むかといえば、現代の錬金術アービトラージ裁定取引)の登場である。

裁定の機会

アービトラージというのは言ってみれば商売の一番の基本で、端的に言えば安いところで買って高いところで売る、それだけの話だ。

仮想通貨や株の取引所では「何円なら売りますよー」「何円なら買いますよー」の注文が無数に投稿され(「板」と呼ばれる)、その注文を受けたい人がその条件をのんで取引を行うことで値段が上がったり下がったりする。買い注文より売り注文のほうが安かったときは取引が自動的に成立するので、(一番高い買い注文)<(一番安い売り注文)の間にはつねに少しのギャップがあり、取引所内で売り注文より買い注文のほうが高くなること、つまり買値より売値が高くなることはない。

じゃあ、いくつも取引所があったら?

取引所は世界中に無数に存在する。取引所①で商品Aを売る値段が取引所②で商品Aを買う値段より安い、ということは起こりうるし、今この瞬間にもおこっている。このとき、取引所①と取引所②で同じ数量の商品を同時に買い、売ることで、どこからかその差額分がポッケに入ってくる。

このお金はどこから来たんだ? バグか?

xcloche.hateblo.jp


これが裁定取引の原理である。

こういうチャンスは実は無数に存在するのだが、一瞬のうちに解消してしまい、たくさん取引所があってもほぼ価格が統一された、安定した市場の状態になる。実はこの取引所間の価格の統一に働いている力こそが、この「裁定取引」である。取引所間で(手数料をこえる)価格差があるかぎり裁定取引のチャンスがあり、裁定取引が行われることによってその価格差が解消される、というワケだ。

現代的な株の取引は手数料も高く、高頻度取引のアルゴリズムがしのぎを削り、おそらく素人にこうした手法で立ち入る隙はまあないだろうと思われた。なるべく取引所の近くにマシンを置いて、わずかな通信時間を詰めてでも同業者を出し抜くとかいう世界である。

当時はその点新しかった仮想通貨にはまだまだ隙が多く、客寄せのため各取引所の手数料も安かった。加えて金融商品としての投機性も高かったためか、プロによる本格的な裁定取引はそこまで参入がなかったようである。

ぼくはとりあえず取引所からの情報取得のコードを適当に書き、APIから1秒ごとにいくつもの取引所の板を取得しては裁定機会があるのかうかがった。はたしてそこにはけっこうな数の裁定機会が解消されないままに残されていた。

錬金術(第一段階)

なんかできそうな雰囲気だったので、とりあえずは実際にアービトラージを行うコードを書いて回してみることにした。状態を確認してから発注まで1秒未満のうちに終えなければいけないので、もちろん人の手ではなく、botによる自動取引である。自動取引bot御用達のライブラリまわりはけっこう整備されていて、各取引所のAPIを統一的にまとめたライブラリを通せば、取引所への認証から板の監視、数量を決めた取引などを一括で管理できるようになっていた。

毎回絶対に儲かる投資なんてのは存在しないわけで、リスクが少ないといわれているアービトラージの主なリスクは、スリッページと呼ばれるタイミングのズレ(板の確認をしたときと注文を入れたときの1秒以下の時間差のうちに価格が変わってしまう)である。あと、単純に取引している通貨自体の現実の通貨からみた価値が下がってしまうこと。

いざbotを回してみると、裁定機会に入れた取引は心配していたスリッページもほとんどおこらず、仮想通貨自体の額面(持ってる通貨の量)は少ない日でも日利0.2%くらいのけっこうスゴめの割合で増えていった。一年で軽く倍以上になる計算だ!

ぼくは無から金を汲み出すbotのパフォーマンスにけっこう満足し、ターミナルに出力される取引履歴を眺めてはニンマリした。バグ技でお金が増えるのは実際、かなりおもしろい。

錬金術(第二段階)

バグ技でお金が増えるのはメチャクチャ楽しいのだが、金のない学生のため元本が異常に少額で(許容できるのこれくらいかな〜とはじめに入れた3万円だけで、いろいろ試しているうちにそれも目減りして残念な金額になっていた)、増えてもぜんぜんたいしたことなかったというのが実情である。

botを手で書くにあたって同業者がどれくらいいるかな〜、どんな風に書いてるのかな〜、と軽くリサーチしてみたところ、同じようなことをやってるっぽい人はいたものの、アルゴリズム自体を高額で販売したり、「詳しいことが知りたい人は連絡を……」とアヤシゲな勧誘をしている人が多かった。もしかしてこのbot、売れるものなのか?という考えがよぎった。

ぼくが個人で回していてもたいしたことにはならない。同じようなものは販売されている。これはイケるぞ!と思ったぼくは、錬金術の第二段階目を試みることにした。これを商品として売るのではなく、オープンソースで無料で一般に公開し、botを使うならぜひこのアフィリエイトリンクから取引所に登録してね、という記事を書いて利用者を募ってみたのである。

当時の仮想通貨取引所は新規参入の顧客を増やすため、大々的にさまざまなアフィリエイト・キャンペーンを打ち出していた。ぼくがアービトラージの標的としていた海外の大手取引所は、取引量に応じた報酬プログラムを使っていた。紹介リンク経由で登録した人が取引をするたび、取引手数料である0.1%のうち、半分や四分の一を紹介者にバックしますよ、という仕組みである。

10000円の取引につき5円とか2.5円と考えるとわびしい気持ちにもなるが、投資としてやっている人はもう一桁〜二桁くらい上の取引をするだろうし、アービトラージは一日に20回も30回も同じ通貨ペアを売ったり買い戻したりするわけである。こうした総取引量に依存する出来高制の報酬プログラムとの相性はすこぶるよかった。

アービトラージbotが高額で販売されてたりアヤシイ勧誘に使われているところに、オープンソースの明朗コードで取引botを公開し、botを使うかわりにアフィリエイトリンク経由で取引所に登録してもらい、そこでbotを通した裁定取引が行われるたびチャリンチャリンと小銭がぼくのもとに入ってくる——ぼくもbot利用者もwin-winの、完璧な計画……の、はずだった。

錬金術と秘密主義

中世の錬金術は多分に秘密主義的な側面をもっていたといわれる。

というのも、現代的な視点からいえば、本当に卑金属から金が作れていたはずがないわけで、金を作れない偽の錬金術師にとって「金を作り出す秘法」は絶対に秘密でなければならなかった(そんなものはないので)。「金を作り出せる」と騙ってデモンストレーションし、パトロンを手に入れて研究をしていた錬金術師たちが、どのようなインチキで金が現れたように見せていたかには、多少の資料が残っている。

銅にヒ素蒸気を反応させると、表面が白くなり、銀っぽい見た目になるそうである(亜鉛や水銀でもできるらしい)。
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https://sodiumlamp.tumblr.com/post/116939433111/arsenic-no-soapより引用。表面がヒ素と反応した銅の鉱石。

さらにここに細かい金粉を加えると、きれいな黄金色の発色になって、まるで金のように見えるようになるそうである。このトリックはインチキのデモによく用いられるものだが、実は同時に錬金術の成立に大きく寄与した現象でもあった。

というのも、表面だけとはいえ一見別の金属に変わったように見えるために、すべての物質は相互変換可能で、金もまた別の金属をいくらか処理することで作ることができる、という錬金術の根本のアイデアを導いた原因と考えられることだ(初期の錬金術師もまた、このトリックにだまされていたとも言える)。

いろいろ読んでみるとこのあたりのトリックの話はThe role of gold in alchemy. Part III の Fraudulent Transmutationsに詳しく、

link.springer.com


西暦300年頃のエジプトのパピルスに書かれたレシピの話(銅に金と鉛の粉をまぜたものを塗って数回加熱を繰り返すと、鉛が溶けて金だけが残り、ぶあついメッキのような状態になり、表面は実際に金なので試金石では区別できない)、 1390年代のカンタベリー物語のインチキ錬金術師の話(石炭の内部の空洞に銀(アマルガム)を詰め、蝋でふたをして暖炉に放り込むと、蝋が解けて銀が流れ出し、水銀が蒸発して銀が残る。結果、石炭が銀になったように見える)ほか、さまざまなトリックが引かれている。

錬金術インチキについて調べてるとかなり楽しくなってしまって脇道にそれてしまったが、何が言いたいかというと、ぼくは錬金術を公開することで利益を得ようとしたわけだけど、やっぱり錬金の秘術は隠匿するものなんだな〜、ということである。

秘密の共有

裁定取引botオープンソースで公開する、ということについての利害関係を整理してみると、次のようになる。

公開者:利用者に紹介リンク経由で取引所を利用してもらうことにより、利益を得る。
利用者:取引botを利用し、ローコスト・ローリスクで利益をあげることができる。

さらに、報酬プログラムが一時金でなく出来高制である都合上、ぼくが利益をあげるためには取引をずっと継続してやってもらう必要があり、ぼくにはbotを改良する動機こそあれ、だまして登録者を増やす利益がない(そもそもソースコードは公開していて騙せない)。

この関係だけ考えればwin-winなのだが、このゲームに利用者2(ツー)や公開者2(ツー)が絡んでくると、話はそう単純ではなくなる。

この状況、公開者であるぼくにとっては利用者が多ければ多いほど利益があがるシステムなのだが、市場に存在する裁定機会は限られているので、利用者としては競合する利用者が少なければ少ないほどいい、という理屈が生じる。つまり、ロジックでは利用者にとってはbotを褒めたり拡散したりする動機は存在せず、むしろ秘密にしたり悪い評価をすることのほうに利得が生じる。他の似たbotの開発者にも当然、ぼくのbotを褒めたり拡散したりする動機はない。

つまり、実はぼく以外のだれにもbotを利用しこそすれ高評価したり拡散する動機は存在しない。ぼくとしてはwin-winでみんなで幸せになろうくらいの気持ちで公開したのだけれど(情報商材の煽り文句みたいになってしまってなんかイヤではある)、利害関係によって錬金術の秘密を知っている人だけにとどめようとする秘密主義の方向性が自然に生じうるんだな~、と、やたら感心してしまった。

ゲーム理論的な最適戦略はさておき、実際公開したところではけっこうあたたかいお言葉や改良案、質問などもいただき(アンチもいた)、数十人ほど定期的に取引するユーザーがついてくれた。取引所からは紹介リンク経由で登録してくれた人にどれだけ取引があったかの日次レポートが届くのだが、みんなけっこう長い間使ってくれていたので、一応ちゃんと本当に儲かるアルゴリズムとして成立していたのだと思う。

おわり

この話にはオチがあって、通信速度が早くて手数料が安い大手の取引所をメインに推していっぱい登録してもらっていたのだが、その取引所が急に「報酬プログラムの管理システムのバージョンアップをします」とアナウンスして旧ページを閉鎖して3年が経つが、いまだにバージョンアップのバの字も行われてないし報酬も一銭も支払われていない。業を煮やした人たちが取引所の公式アカウントに連日「いつバージョンアップが終わるんですか?」とリプライしているのだが、取引所は「今やってるとこです!乞うご期待!」みたいな毎回まったく同じ文面を返信してくれていて、まったく上手の錬金術師もいたもんだな、といった感じである。

他のいくつかの取引所のぶんを集めるとそこそこのおこづかいくらいにはなったのだが、結局コーディングに投じた時間や労力の費用対効果を考えると、結局そのへんでバイトしたときくらいと同じくらいかな……程度のものである。

思い返してみると、儲けたいというよりも、バグ技みたいな方法論がぼく好みで、それに駆動されてやっていたところが一番大きかったように思う。botは公開してしばらくしたら飽きて放置していたのだが、1年も経つと仮想通貨ブームが去ってしまって、手数料が高くなって利益が出しにくくなったり、報酬プログラムが時限式で切れたりといった兼ね合いで、利用者も報酬も少なくなった。ちょうどその頃になんとか学振の研究員になることができ、研究専念義務があるため錬金術はきっぱりやめてしまった。

残ったのはちょっとのおこづかいと、「どこかに無からお金がうまれる仕組み、ないかな~」と探す癖(これがわりと厄介)ばかりである。

公共化するツイート:小さなインターネットと大きなインターネット

いつものように漫然とインターネットをしていると(漫然とインターネットをするのはよくないことである)興味深い投稿を見かけた。詳細は忘れたが物議を醸すツイートがバズっていて、発信源の投稿を開いてみるとツイートの投稿者が(比較的初期に)リツイートした人へ

フォロー外から勝手にリツイートすんなや

とリプライしていたのである。

「この人には、フォロー外からリツイートするのはマナー違反」という規範があるんだ! という驚きがあった。

スケールと公共化

バズったツイートを見て思うのは、ある程度以上の衆目を集めた投稿は公共化する、ということだ。バズったツイートに寄せられた大量のリプライを見ると、これらは投稿者へ向けたメッセージではなく、投稿に対して各々が思ったことを書くスレッドになっていることがわかる。バズがある閾値を超えると、ツイートのリプライ欄はYahoo!ニュースのコメント欄のように、投稿を見た感想であったり、批判であったり、似たような体験談であったりといった(投稿者ではなく)同じようにコメントを見ている他者へ向けた発信の場になるのである。

逆にいうと、バズっていないツイートが共有されるのはある程度私的な空間である。オーディエンス(≒フォロワー)の反応はある程度予測可能であり、コミュニティ内で倫理観やミームが共有されていて、内輪ネタがウケる下地が存在する。しかし、この小さなインターネットに向けて発信されていた投稿はバズによって突然、シームレスかつ徹底的に大きなインターネットに接続され、公共化する。

ネットワーク全体がある種の倫理観やミームを共有している場合(狭いコミュニティや、閉じた趣味のコミュニティなど)はいい。巨大なSNSは残念ながらそうではなく、拡散された先には膨大な数の予測不能なオーディエンスが存在し、内輪ではさほど問題でなかった行為が大いに非倫理的であるように解釈され、炎上する。

公共化するツイート

※追記(2021/02/16)


「ある程度以上拡散されるとネットの言説は公共性をもつ」ことに関して、中国で次のような法的判断があるようだ。

网络谣言转发超500次 可构成诽谤罪

中国語はサッパリなので自動翻訳と雰囲気からだいたいのところを類推すると、どうもこれは中国の最高人民法院及び最高検察院から発表された法律判断で、

  • 誹謗中傷のメッセージの閲覧回数が5000回、あるいは500转发(Weiboにおけるリツイート)を超えた場合、重大性があるものとして名誉毀損罪の構成要件とすることができる

ということらしい。政府がことの重大性をしきい値によって厳密に数字で定義し、市民は「500RTを超えそうなら投稿を消す」ことで自衛する、というのはなかなかに面白い状況である。

スモール・ワールド効果

複雑ネットワークの理論を勉強すると一番最初に出てくる有名な小話に、六次の隔たりがある。これは、どんなに離れていそうな人2人を選んでも、知り合いの知り合いの……を辿っていくと、6人で繋ぐことができるという仮説である。知り合いの知り合いの……を6回やると誰でもだいたい全人類と繋がる、というのは衝撃的だが、人的ネットワークやSNSのデータによってこれはある程度実際に検証されている。
Wikipediaにはこうある:

2008年、日本国内最大のSNSコミュニティmixiについて、同社のエンジニアによってスモールワールド性の検証記事が書かれ、6人目で全体の95%以上の人数に到達できることが明らかにされた。2011年には、Facebookミラノ大学による共同調査の結果、世界中のFacebookユーザーのうち任意の2人を隔てる人の数は平均4.74人であることが発表された。

また、ダンバー数と呼ばれる人類学の用語があるが、これは人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限、で、要は交流をとる知り合いの典型的な数(の上限)、と考えてよさそうな量である。100〜300とも言われるこの数は、われわれがふだん「私的なインターネット」で触れあう人々とだいたい一致するのではないだろうか。

階層化・クラスター化され、別クラスターとのやりとりの少ない小部屋の中で認知の上限いっぱいいっぱいを相手にSNSを運用しているときに、ひょんなきっかけでバズって未知の大部屋に放り込まれてしまう――なかなか絶望的な状況ではないか?

インスタント・SNS

原理的には、インターネットに何かを投稿するというのは、全世界に向けてその情報を公開することである。ただし、実効的には、決してそうではない。投稿を見ているのは平常時はその投稿者をフォローしている100人とか1000人とかであって、全世界がそれを見ているわけではない。

フォロー外から勝手にリツイートすんなや

という反応は愚かだろうか? 実効的なオーディエンスを考えると、私はこれがある意味で真っ当な反応だと思う。その投稿者をフォローしている100人とか1000人、そのフォロワーがリツイートして拡散する二次の隔たりまでが彼の想定していたSNSのオーディエンスであって、その外の人はお呼びではない/想像の外の世界の出来事である。

普段のSNS利用で「二次の隔たりより外の人」が介入してくることはないわけで、いくら投稿の閲覧が原理的にはーオープンであろうが、体験としてのインターネットはごく私的でクローズドなものである。この原理的にはオープンだが、実効的にはクローズドな構図の齟齬が「フォロー外から勝手にリツイートすんなや」発言の本質であり、この発言はインターネット体験を自分の想像下の私的な空間にとどめおくための至極まっとうな防衛なのである。

また、次のような話を聞くこともしばしばある。

  • インターネットではコンテンツの辛口の批評はしにくい(関係者がエゴサーチして傷ついたり、争いが発生するため)ので、クローズドな場がほしい(あるいは、やっている)

  • 思いつきを発言しにくい

「インターネットは公共の場だから放言せずしっかり考えて発言しろ」なんてのは耳タコかつある意味では当然だが、実効的にはクローズドな空間なのに、そのクローズドな場に応じたレベルの思いつきまで言いにくくなっているフラストレーションがある、というのがここの問題である。

このあたりの齟齬の息苦しさの受け皿が、一日で消えるしフォロワーしか見えないツイッターのフリート、インスタグラムのストーリーズであったり、音声通話のTwitterスペース、メモ禁止を規約に掲げるクラブハウス、これらはインスタントであることによって実効的にオーディエンスを想定圏内に制限する自己表現・言論の空間だったのかな~と、最近ボンヤリと考えている。

「インターネットは公共の空間なので、注意して投稿しなければならない」は、ぐうの音もでない正論だ。が、同時に、現代のSNSは実効上は「バズらないかぎり、私的な閉じた空間である」ことも常に意識されるべきである(多くの場合、あなたが目くじらを立てる必要はない)。