分岐する物語:「アンチ・選択肢」の試み

以前、ゲームにおける選択肢がもつ性質やある種の禁止事項について書いた。

xcloche.hateblo.jp

簡単に要約すると、この過去記事では遡及的な選択肢(その選択肢をとることで、選択肢以前に決まっていたはずのものごとが変化するような選択肢)の奇妙さについて書いた。たとえばDQ1のりゅうおうによって提示される選択肢では、「この世の半分をお前にやろう!」の選択肢に「いいえ」と答えるとラストバトル・エンディングに続くが、「はい」と答えると宿屋で目覚めてそれまでのやりとりが夢だった夢オチの展開になる。選択によってそれまでの状態が夢だったか現実だったかが遡って決定されるのは奇妙だろう、という話である。

また、記事の後半では、この奇妙さを逆手にとった演出への利用の試みについても触れている。

選択肢についてはもうちょっといろいろ書きたいなと思っていたところ、先日、フォロワーが、ゲームにおいてどの選択肢を選ぶかは事前に決定されている(「選択」は行われていない)話題などあれこれ語っていて、オモロそうだなと思った。 okimochivation.hatenadiary.jp
(このへんの記述は詳しく書かれていなかったので残念、書いてほしいな〜)

今回の記事では、ゲームにおける「選択肢」とは何かを歴史から振り返り、さらに、選択肢の存在に疑問をなげかけるアンチ・選択肢の実例と、その試みや演出意図について書く。

「選択肢」前史

まず、物語構造における「選択肢」がかつてどのような形をしていたかをみてみよう。

チュンソフト弟切草」(1992)は現代のノベルゲーム・ビジュアルノベルの形式の草分け的存在と言われている。
ここでいう現代的な形式とは、

①文章が主で、テキスト中に「選択肢」が挿入されること(テキストの主体化)

②選択肢によって展開が分岐すること(フローチャート式)

③エンディングが複数あること(マルチエンディング)

といった特徴をもつことである。

これらの特徴を「弟切草」以前や、この頃にでた90年代のアドベンチャーゲームと比較してみよう。弟切草以前に選択肢のメインストリームは、おおよそ

コマンド入力式:
コマンド待機画面で「シラベロ」「イケ」などのコマンドを文字で入力する。
ポートピア連続殺人事件」「MYSTERY HOUSE」など

か、

コマンド選択式:
コマンド待機画面で、「調べる」「話す」などのコマンドの中から次の行動を選択する。コマンド入力式から発展したもの。
北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ」や「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」など

で、「弟切草」がテキスト→選択肢→テキストと、テキストのみで進行する()のと比べて、コマンド式はコマンド待機状態→コマンド入力(選択肢)→テキスト→コマンド待機状態と、コマンドの待機状態をベースとしたプレイが行われていた。

また、「弟切草」が選択肢で物語を分岐させ()、複数のエンディングをもつ()のに比べ、コマンドタイプのゲームはそれぞれのコマンド待機状態で正しい選択肢を選ぶことで次の段階にすすむ一本道の構成であり、エンディングも基本的に1つである。

以後、チュンソフトは「弟切草」を皮切りに、サウンドノベルと銘打ち「かまいたちの夜」など、同様の形式の作品を発表した。「弟切草」方式は革新的だったようで、それからの他社のノベルゲーム・ビジュアルノベルでも盛んに用いられるようになっていった。

後にマルチエンディング方式が大きく花開いたのはアダルトゲームの世界だったが、その先駆けであるLeaf「雫」(1996)にはこんなエピソードもあったそうだ。

サウンドノベルの手法でアダルトゲームを作るという前代未聞の試みについては、当初Leaf社内でも賛否両論が巻き起こった。協議の末、Leaf上層部からGOサインと引き換えに提示された条件は「開始5分でHシーンに辿り着けるようにせよ」というものであった。ゲームの形式はどうあれ、まずはユーザーが性的な欲求を手軽に満たせるものでなければ、アダルトゲームの市場には送り出せないという判断である(1998年「TECH GIAN」インタビュー記事より)。
その結果、本作では物語序盤の選択肢において捜査依頼を断るだけで簡単に性的描写を伴うシーンに辿り着くことが可能となっている。尤も、その内容は「主人公は無気力な暮らしのままに卒業の日を迎えるが、卒業式の最中に突如参加者全員が発狂し、「仰げば尊し」を合唱しながら乱交を繰り広げる」というバッドエンドである。(Wikipedia「雫 (アダルトゲーム)」より)

マジで何?

世界の整合性:弟切草かまいたちの夜

前節では「弟切草」「かまいたちの夜」が現代ノベルゲーム・ビジュアルノベルの草分けであると述べた。

しかし、実はチュンソフトによるこれらの作品、現代的なメインストリームのマルチエンディング作品の構造とは決定的に違う点がある。

現代のメインストリームでは、選択肢によってストーリー・エンディングが分岐するものでも、背後にある過去・設定は共通で、静的なものである。ここでは、選択肢による分岐は現実世界における「あの時ああしていればどうなったかな……」という、ありえたかもしれない可能性、別の行動をとったIFの世界に対応している。

対して、「弟切草」「かまいたちの夜」は、選択肢によって分岐する世界が整合していない。

どういうことだろうか。「かまいたちの夜」や「真・かまいたちの夜」シリーズを例にとって説明しよう。「かまいたちの夜」のメインストーリーは、雪山の山荘に訪れた人々が不可解な事件に巻き込まれる「ミステリー編」だが、選択肢によってはそれとは全く違う物語が展開する。「スパイ編」で登場人物たちは各国からきたスパイであるということが明かされて諜報合戦がはじまるかと思えば、ダンジョンと化したペンションを探検するストーリー、エッチな展開になるストーリーもある。ミステリー編では登場人物はスパイではないし、ピンク編ではミステリー編ベースだとすでに死んでいたはずの人が死なずに出てきているなど、選択肢によってドンドン過去が遡及的に決定されていく。

ここでの選択肢の機能はもはや先の例のように、現実世界の「あの時ああしていればどうなったかな……」のIFの可能性分岐とは大きく異なる。ここではいわば、選択肢が選ばれる前は、たくさんの物語の可能性(可能世界)が重なりあって存在していて、選択肢は「それがどの世界の話だったか」を後付けで決定する機能を持っている。

チュンソフトは以降の作品でもこのような後付けで世界を決定する機能の選択肢を用いていたが、後のノベルゲームのメインストリームは、わかりやすい一貫した世界(過去・設定)でのIFを見せる機能の選択肢が覇権をとることとなった。

分岐する物語

前章で、選択肢は「あの時ああしていればどうなったかな……」という、ありえたかもしれない可能性、IFの世界を分岐させる機能として用いられるようになったと述べた。そこからさまざまなゲームがマルチエンディングとして生み出されていったわけだが、ここで注目したいのが、「エンディングが複数ある」のは小説や映画など既存の物語の形式にはあまりなかった特徴だということだ。

考えてみると、「お話」が複数の結末をもつというのはとても不可解な状況である。

実際にあったことがストーリーとして語り直される場では、物語が分岐することはありえない(過去はひとつしかないため)し、時間芸術である映画や戯曲、はじめから順番に読むよう方向づけされている小説でも、分岐の構造は基本的に生じえない。

強いてあげるなら「女か虎か」のような、「このあと、どっちになったのだろう?」を想像させるリドル・ストーリーのオープンエンドがこれに近いだろうか?

https://ja.wikipedia.org/wiki/リドル・ストーリー

が、リドル・ストーリーも「どちらの結末が正解なんだろう?」を考えさせる「どちらかが正しい」想定な以上、分岐した物語のどちらもが正しいマルチエンディングは、物語構造において全く新しいパラダイムと言える。

こうして、「あそこでああしていればどうなっただろう……」を実際に見せることができるこの方式は、物語展開の可能性を大きく広げることとなった。が、別の選択を行ったIFの世界が物語として描写されることは、同時に、「選んだ選択肢の先」と「選ばれなかった選択肢の先」が比較されることを意味する。

恋愛シミュレーションゲームでは、各キャラクターに個別ルートとエンディングが割り当てられており、多くの場合、そのキャラクターのもつ問題とその解決という筋立てになっている。あるキャラクターを選ぶと、選ばれなかったキャラクターの問題は(表面化されないことも多いが)未解決のままである。プレイヤーが選択肢を能動的に選ぶことによって、あるキャラクターの問題は解決され、別のあるキャラクターの問題は解決されない。ここで、プレイヤーは選択によって救済と放置の能動的な決定を司っていることになる。*1*2

おそらくこういった気持ち悪さ・後味の悪さが、KID「Ever17」(2002)をはじめとする後の「グランドフィナーレ(すべての問題が解決される、最終的なルート)」の発明・流行へと繋がっていくのだが、本稿では、「選択肢」によってさまざまな分岐を生じることとなった物語世界の、最近のもうひとつの潮流、アンチ・選択肢の試みを紹介しよう。


アンチ・選択肢の誕生

テキストが流れ、途中で挿入される選択肢によって物語が分岐する━━この物語構造が一般的になって陳腐化するのにしたがって、ゲームにおける「選択肢」という装置自体を対象化し、その機能を解体しようとする作品が現れはじめた。

ここからは、選択肢がどのような機能をもっていて、その機能がいかにして解体されてきたかを実例をあげて解説する。

各章で、章題に挙げた作品の核心部分に触れるので、ネタバレが嫌な人は各自自衛すること。それぞれネタバレしてなお面白い作品であることは保証するが、鑑賞の姿勢は変化するだろうし……

①選択肢の特権性:DDLC、君と彼女と彼女の恋

そもそも、「プレイヤーが選択肢を選ぶことができる」というのはどういうことだろうか?

②選択肢の可能性:2236 A.D.

次に解体されるのは「選択肢によって、よい未来に到達できる」という、選択肢の可能性である。

③選択肢の実在性:デイグラシアの羅針盤

いや、そもそも、選択肢なんてものは本当にあるのだろうか?

むすび

ノベルゲームの界隈でいまこうした実験的なことを試みているクリエイターはごく限られているのだが、商業ゲームでそれをやってる大体みんなが集ったおもしろインタビュー記事があるので一読をオススメする。

www.4gamer.net


今回は、「分岐する物語」という定型が広がって、その分岐の機能を批判的にみたり対象化したりした「アンチ・選択肢」とも呼ぶべき切り口・演出がいろいろ試みられていることを書いた。既存の定型の特徴をあれこれ解体してみて、何か新しい「アンチ」のアプローチを探すとオモロいものが見つかるかもしれない。

落穂ひろい

  • 選択肢の機能へのタダ乗り

RPGや一部のノベルゲームには、選択によって物語がほとんど(あるいは全く)変化しない選択肢が登場する。これは、選択行動によってプレイヤーに主体的に物語に介入している感覚を錯覚させながら、内部的には選択が行われていない、巧妙なトリックと言えそう。

  • 群像劇と選択肢

いろいろな登場人物の視点をザッピングしたり、三人称的に物語を追う群像劇の場合(「街」「428」など)、選択肢は主体的な選択というより、話を目まぐるしく動かす相互作用の起点として扱われているように思う(このときAさんが「はい」「いいえ」のどちらを選ぶかによってBさんの行動がどう変わって、Cさんにはどう波及するだろう?といった感じ)。神の視点から「ここでの選択が変わったらどうなるだろう?」で変化を楽しむような機能もありそう(「prismaticallization」など)

  • オタクあるある

ゲーム的リアリズムの誕生』には、「メタ構造をもつゲーム、オタクが批評しがち」というオタクあるあるが書いてある。たすけて〜

*1:KANON問題と呼ばれる、非常に込み入った議論が存在する。

*2:主人公である主観キャラクターの層では問題がないものの、プレイヤーの層で取捨選択のジレンマ・選択の責任が生じる構造になっている。このあたりの批評は東浩紀動物化するポストモダン』『ゲーム的リアリズムの誕生』あたりに詳しい。

*3:この主題はカタリストが「デイグラシアの羅針盤」を「Ever17」のオマージュとして作っている、と発言していることともよく関連付いていることのように思う

この記事にはこんなことが書かれています

面白そうなタイトルに惹かれて記事を読みにいくと、ぜんぜんそのタイトルのことを書いていない━━あるいは、タイトルの問題提起が記事内でまったく解決されていない━━そういう事例に本当によく当たって、「また騙された〜」となることが多い。

実際の内容とは乖離した魅力的な見出し問題は、記事の読まれる・読まれないがクリック率などで簡単に数値化されうる状況で、即物的に数字を高めようとするSEO戦略の行き過ぎた結果なのだろう。

最近ではGoogleも「タイトルと内容が乖離している」コンテンツの信用ランクを低く評価して、検索で上の方に出ないようにする枠組みなどを実装しているそうだが、まあこのテの話はいたちごっこだったり、検索でなくtwitterで回ってくる記事などについては無力だったりで、今日も私たちは扇状的なタイトルの氾濫に曝されつづけている。

誰も本文を読んでいない

この問題の根深いところは、そもそも読者はタイトルだけみて記事の内容を読んでいないということだ。

アメリカ大統領選が本格化したころ、Twitter社がリツイート機能を「一度引用リツイート画面を遷移しないと、リツイートできない」ように仕様変更して、ユーザーにリツイートを行う前にワンステップだけ考えさせるように誘導したことがあったのは記憶に新しい。

それと時を同じくして、TwitterURLつきの記事をリツイートしようとしたとき、その記事のリンクをクリックしていない場合、「見出しだけでは記事の中身はわかりません」警告を表示する機能が追加された。

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nlab.itmedia.co.jp

かくいうぼく自身も、ネットニュースの見出しだけをみて「ふーん、そんなことがあったんだ」と思って、その見出しだけの知識で人に話してしまうことがたびたびある。

タイトルが内容のサマライズであるという約束事はもはやあまり守られていないのだが、守られていたころの慣性で、ついついタイトルの情報を過大評価してしまう、という状況が続いているように思う。

タイトル・内容・記事内の論理の乖離という点で、最近特に気になったものが3例あった。

マイバッグ普及で「万引き増加」約3割…どんな対策が必要?スーパーの協会に聞いた

www.fnn.jp

FNNプライムオンラインのこの記事、タイトルからはレジ袋有料化にともなうマイバッグの普及で万引き件数が3割増えた……というふうにしか読めない。

が、記事の内容を読んでみると、この「3割」の正体は、全国スーパーマーケット協会が全国のスーパーマーケットにマイバッグの普及により、万引きや盗難は増加したと感じますか」とアンケート調査したところ、約3割が「増加していると感じている」と回答した、というもので、記事タイトルから想像されるものとはまったく違うことがわかる。

さらに、このアンケート調査のを詳しくみると、
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選べる回答が「かなり増加」「やや増加」「変わらない」「わからない」の4つで、どう転んでも「減少した」が結論になりえない、「万引きが増加した」既定路線の結論を導く相当のバイアスのかかったヤバげな調査だったらしいことがわかる。

さらに記事の後ろのほうには

今回の調査はあくまでも、スーパーマーケット側の印象を調査したものですので、「マイバッグの普及で万引きが増えている」と断言はできません。
警視庁の調査では、昨年の同じ時期に比べ、万引きの件数自体が減少しているとの報告もあります。

とあり、マジで何……?の気分になる味わい深い記事だ。

https://www.fnn.jp/articles/-/109838 - Twitter Search この記事を引用したツイートの言及を検索したもの。マージで誰も記事を読んでないのがわかる

開業医3割が「閉院」検討 コロナで減収影響か

www.kobe-np.co.jp

神戸新聞NEXTに載ったこの記事は、タイトルというより取材源の推論が怪しくて、それを取材した本文が怪しくなって、タイトルで怪しい部分がクローズアップされる……というケースだ。

兵庫県保険医協会が、開業医らを対象に、自らの医療機関の将来に関する実態調査をしたところ、3割が「閉院」を検討していると回答した」というアンケートの結果をうけて、協会が

閉業予定と答えた開業医らが多かったことについて、同協会は「新型コロナの影響による減収が大きなきっかけになった」とみている。

と推論を述べている、というのがこの記事の要旨である。

ここで疑問になるのが、
* 「閉業予定と答えた開業医らが多かった」はこのアンケートから言ってよいか?

で、そもそもこの「開業医の継承、閉業の予定」の聞き取り調査を行ったのは今年の調査からなので、閉業予定が前と比べて増えているか減っているかわからないし、あらたに開業する医院もあるはずで、「閉業が多い」とも言えない(閉業と開業の代謝が常におこっている)からである。

地域医療の限界についての危惧を発信することの価値は大きいと思うが、そのための勇み足の怪しい推論にはウーンと思ってしまった。
ただ、正しい手続きの推論であることが問題を解決する助けにならなくて、虚飾でも危機感を煽ることの方に問題解決の糸口があるのカモ……と考えると、だんだんポスト・トゥルース時代の報道の正解がわからなくなってくる(この記事はそこまでの感じでもないが)。

宮崎駿、『鬼滅の刃』大ヒットは「僕には関係ないこと」複雑な胸中を明かした

smart-flash.jp

この記事は本当に好きで、何回読んでもタイトルのように宮崎駿鬼滅の刃への複雑な胸中を語っているようには見えず、ただただ記者に日課のゴミ拾いの邪魔をされて気分を害している空気だけを感じるので笑ってしまった。

見出しも本文もオーバーな週刊誌らしい記事だが、さすがにまるっきりのウソをつくわけにはいかなくて、ウソでないギリギリのラインまで宮崎駿の「複雑な胸中」をがんばって演出しているものの、その筆致にも限界があって、結局最後まで「ゴミ拾いを邪魔されて気分を害されているおじいさん」の印象から脱却することができなかった……そんな印象をもつ楽しい記事である。

タイトルだけをみると、全然そんな感じはない。

サマライズ

ちゃんと記事を読むように意識しようと心がけているものの、限界はあるし、なんでもない記事を読むためにも尋常でないリテラシーが要求される現状にはけっこう怖いものがある。

最近はこういったミスリードを有害と考えて、メディアポリシーとして扇状的なタイトルの記事を減らす試みをしている媒体も出てきているようだ。

メディアも読者もしっかりしてくれ〜、自分もしっかりしないとヤバいな〜と思う反面、本音を言うと、いかにウソをつかずに扇情的なタイトルをつけうるか━━そういう記事をコレクションする面白みのほうが多分に勝っていて、やはり見つけると嬉しくなる。

ぼんくら大学生体験の記録

今年で都合10年ほど学生をしていた京都を去るので、大学や日常生活で体験した、ぼんくら大学生体験を記録としてまとめておこうと思う。ずいぶん昔の学部時代の話で、多少の記憶の変質による脚色はあるかもしれないが、努めて誇張抜きに書く(少し盛るに留めるという意味)。

張出(はりだし)副部長

ぼくは大学・学部生活の4年間を落語研究会で過ごした。落研には奇妙な伝統や風習が数多くあった。手はじめに例を挙げると、ぼくが落研で就いていた役職は「張出副部長」である。張出副部長って何だよとお思いの方は多いと思う。安心してほしい。当然ぼくもそうだったし、そもそも「張出副部長」はインターネットで検索しても一切ヒットしない、純然たる造語である。

昔の相撲に詳しい方であればご存知かもしれないが、「張出(はりだし)」が何に対して張り出しているのかというと、その答えは番付表である。
かつて相撲において三役(大関・関脇・小結)や横綱は、それぞれの役職で東・西一人ずつの定員二名とされていた。これが、後にふさわしい成果をもつ人間がいたなら定員を気にせずどんどん役職に就けようというノリになって、だんだん大関が5人いたり横綱が3人いたりするようになっていったという歴史があるのだが、相撲の番付表は「各役職は東西に一人ずつ」という理念に基づいて対称形に設計されていたので、3人目の名前を書くスペースがない。ここで用いられたのが「張出」というメカニズムである。

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右上、左上に「張出」がある
http://blog.livedoor.jp/nagaseechizen/archives/298618.html

何のことはない、スペースがないなら番付表の外に書いちゃえ! というわけである。誰が名付けたか知らないが、そういうわけで、落語研究会の張出副部長というのは相撲になぞらえば「副部長にふさわしい成果をもつので定員をこえて副部長にした」という員数外の副部長(?)なのだ。
落研では「張出副部長」は定員1の決まった役職としてずっとあるので、もはやそれは張出でもないのでは? と思わなくもないが、まあ、そこはそれ、とにかくそういう由来でできた役職なのである。

会則では張り出し副部長は部の会計監査をしたり部長や副部長の仕事を助けたりることになっていたが、やらなければならない仕事も他の役職と比べると少なく、伝統的には会内でチャランポランだったりムードメーカーだったりの人間がおふざけで選ばれることが多かったように思う。
例に漏れずぼくも張出副部長として求められている仕事に精を出し、ケンカしている部員たちに熱心に茶々を入れたりまぜっ返したりして大いに楽しんだ。

ちなみに相撲では平成6年から番付表の中に全部書くようになったそうで、この張出表記はもはや残っていないとのことである。

謎かけ男の怪

そのような感じで毎日楽しくやっていた夏休みのある日、大学の学生課から落研に苦情がきた。なんでも落研部員を名乗る人が百万遍交差点周辺の街や大学構内でナンパをして連絡先を聞き出そうとしてくるそうで、迷惑しているとのことであった。

その人物というのが、「俺は落研の部員なんだけど、お題くれたら謎かけするよ〜。なんか適当な単語言ってみてよ」というように、謎かけを口実にターゲットに近づき、しょうがないかと適当な単語を言ったが最後、「その心は! 〇〇でしょう〜」と鮮やかに解いてみせ、感心して心に隙ができている隙に連絡先を聞き出すという手口だそうである。この「謎かけ男」、話に聞くと物語の怪人のようで愉快だが、当事者にとってはこんな人物に話しかけられるのはたまったものではない。

被害者が「落研部員と名乗っていた」と証言するので落研に苦情がきたわけで、苦情がきた次の落研の例会は「謎かけ男は誰か」という謎で大いに盛り上がった。そんなに特別にめっぽう謎かけがうまい部員というのも見当がつかないし、だとしたら落研内では実力を隠しているはずで、そうまでして他の部員に黙ってそんな怪しい活動をしているのは一体誰なのか。誰もが自分ではないと言うし誰も犯人に心当たりはないしで謎は深まるばかりで、結局解決されることもなく、その会では謎かけ男事件は迷宮入りとなった。
学生課には「うちの部員ではありません」と回答した。

状況が変わったのがそれから数週間が経ってからのこと。なんでも部員が絶賛ナンパ中の謎かけ男の現行犯に遭遇した(!)とのこと(部員が謎かけナンパを持ちかけられたのだったかもしれない、ここは記憶が曖昧だ)だった。謎かけ男の正体は、ストリートで謎かけを行う口実として便利なので落研を詐称していただけで、落研とは縁もゆかりもない人物だったのである。そういうわけで、遭遇した部員に連れられて、落研の部室へと怪人・謎かけ男がやってきた。

「謎かけ男が部室に来ました。暇な人は部室に来てください」てな感じのメールが落研MLから回ってきて、ぼくはそこではじめて謎かけ男の来訪という大イベントを知って、自宅から慌てて自転車を転がしたのだった。

ぼくが部室に着いた頃には部員たちによる尋問もひと段落といったところで、謎かけ男もポッキーなんかを食べながらくつろいでいた。謎かけ男の風体はよく覚えていないが陽気な大学生という印象を受けた記憶がある。うちからはとりあえず「迷惑なのでうちの看板は名乗らないように」と約束してもらい、落研と謎かけ男の関係としてはこれで手打ち、ということになった。

そこからどういう流れか謎かけ男と謎かけ勝負をしようという話になって、落研VS謎かけ男の謎かけバトルがはじまった。

ここで、謎かけというのはその場で当意即妙にすべて考えていると思われがちだが、その実態はだいぶ違う。謎かけは事前に大量の「解のタネ」を用意しておいて、出されたお題に適合するタネを頭の中でサーチして、お題に合わせて調整して出す、という流れで作られることが多い。

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謎かけに関連した過去記事

要は謎かけとは、良質で大量のストックがあるかないか、そこからうまく現状にあったものを取り出せるか否かという、ラッパーがライムになりうることばの候補を書き綴ったリリックノートを着想元にフリースタイルのラップを産み出すような営みなのだ(ほんとか?)

ストリートで能力を磨き続けた謎かけ男のストック・謎かけ力はすさまじく、バトルの場に落研部員は10人弱くらいいたがあえなく負けてしまった。残念ながらどんな題が出てどんな解であったか大半は忘れてしまったが、「落語」という落研部員にとってはおなじみのお題にもたちどころに

「「落語」とかけまして、「受験生」と解く」
「そのこころは?」
「おちないよう(落ちないよう/オチ・内容)頑張ります!」

というなかなかのヒットを見せてくれたのが印象的だった。

謎かけナンパ時に必ず持ち歩いているというB6の小さなノートにはたくさんの名前と連絡先が連なっており、謎かけでナンパってわりとうまくいくんやなあ、と妙に感心したのを覚えている。

入部こそしなかったもののそれから謎かけ男との交流はしばらく続き、寄席などのイベントに呼んで来てもらったときは、大喜利で持ち前の謎かけパワーを十全に発揮してもらった。

ちなみに落研に「呼び出し」されて学生課からの苦情の話を聞いて何か思うところがあったのか、伝え聞くところによると、それからの謎かけ男はしだいに謎かけをしなくなり、ただのナンパ野郎になったそうである。

銅鑼と選挙

選挙は落研の一年の中でも屈指の大イベントで、会長・副部長・張出副部長・書記の四役を選ぶ催しは夕方から朝まで、夜を徹して行われた。どうして選挙が大イベントになっていてそんなに時間がかかるのかというと、まるで終わるつもりのない、妙ちきりんな形式をしていたせいである。

選挙の流れはこうだ:

  • 選挙権を持っているのは現会員。
  • 候補者は、OP以外の森羅万象。
  • 会員は白紙(A4コピー用紙を8分割したもの)に候補者の名前を書き、4ツ折にして、投票箱である裏返しにした銅鑼(寄席で使っているもの)に入れる。
  • 現会長が開票し、書かれていることを読み上げる。記録係が集計する。
  • 過半数が同じ候補の名前を書いていたら当選。
  • 票の記録係は投票が10回行われるごとに交代する。

細かいところに目をつぶれば、候補者の名前を書いて投票して過半数を超えてたら当選、という至極真っ当なもののはずなのだが、この投票用紙に書かれるのはまともな落研メンバーの候補者の名前のみにあらず、ここにはまさしくOP以外の森羅万象が書かれた。

開票作業はこのような感じですすむ:

  • 会長が投票用紙を読み上げる。「◯◯(部員名)」
  • 会長が投票用紙を読み上げる。「△△」
  • 会長が投票用紙をしばらく見てから読み上げる。「◯◯と××が即興コント、1分 お題:ラーメン屋」 それを聞いた◯◯と××がしぶしぶ立ち上がって、見切り発車でコントをはじめる。「ラーメンください」「ハイ、一丁!」……こんな無茶振りコントはたいていうまくいかないのだが、たまにたいへん面白くなったりスベリ芸として楽しめたりするので、この手の投票人気は根強い。コントが終わって〇〇と××が座り直したところで、会長が票の続きを読み上げる。「投票は△△」
  • ……
  • 全ての開票がおわり、記録係が票数を読み上げる。

つまるところ、落研の選挙とは、「選挙」の名前を冠した大・大喜利大会であった。

思い出せる例をいくつかあげると、このような投票があった:

  • カレーのレシピ
  • キャストを指定した即興コントの依頼
  • 前開票時の出来事の感想(「さっきのコントはあんまり面白くなかったです、ので投票は△△」)
  • 匿名をいいことに公表される部員のゴシップ(「この前□□と××がスーパーで仲良く晩ごはんの具材を買っているのを見ました!」)
  • 突然はじまる絵なぞなぞ(解くと候補者の名前になるようになっている)
  • 深夜三時に開票される「うんち」
  • 休憩の提案(「お腹すいてきた、そろそろ休憩にしませんか?」)
  • 票操作の提案(「誰がどう考えても会長に適しているのは◯◯です! はやくこんな茶番を終わらせるためにも、次の投票ではみんな◯◯と書きましょう。◯◯に清き一票を! ◯◯をよろしくお願いします! あ、投票は△△」)
  • 謎かけの出題(「「銅鑼」をお題に謎かけ 投票は解いたのが一番うまかった人」)
  • あからさまな票の水増し不正(投票用紙がさらに8分割され、小さい紙に全部同じ名前が書かれている)

ほか、ここに書くには憚られることも含め、あらゆることが書かれた。めんどくさかったり用事があったりで参加したくない/できない人は現地にいる部員に委任して代筆させた。白紙委任をもらった人は忙しそうにペンを走らせ、人の2倍ふざけた。

投票はひとつの役職を決めるのに少なくとも数十回、時には100回を超えて行われるので、事前に百枚単位で投票用紙が配られるし、空いた時間を使って熱心にカリカリやっている部員もいるし、負担がすごいので記録係の交代も必要なのであった。

ある種とても楽しく、ある種ひどい地獄でもあるこの空間は、過半数が同じ候補者に投票するまで終わることがない。この過半数というのがまたけっこうなクセモノである。そもそも選挙の性質上、みんなが本当にその役職になってほしいと思っている候補者の票田が割れているその上におふざけが乗っているわけで、たとえ半分以上の人が飽きてふざけるのをやめても、なかなか過半数に届くまでには票が固まらないのである。
都合8割くらいが飽きるか、奇跡的偶然によって決まるまで、この無為な投票がえんえんと繰り返された。

会長は開票読み上げ後即座にその票を傍らのゴミ袋に入れる(開票の透明性がない)ので、埒が明かないと思った会長が独断で書いているのとは別の内容を読み上げて、無理やり票操作して当選を決めてしまう、ということも歴史上にはしばしばあったと聞く。

その年に流行った有名人の名前が書かれることも多く、ある年の選挙では危うく書記がなぜか体操選手の「内村航平」に決まりかけたのを覚えている(同じおふざけをする人が過半数を超えないと当選にはならないので、おふざけのまま「決まってしまう」ことは滅多にない)。
滅多にないというのはたまにはあるということでもあり、そういえば当時の京都女子大の落研の前代表が会長に当選してしまって、なんやかんやちょっとした騒動になったこともあった。

元祖・韋駄天こたつ(ではない)

これは「森見登美彦ぽい」というよりそのまんま、『夜は短し歩けよ乙女』に登場した韋駄天こたつのおそらくオリジナルの話である。作中で描写された「韋駄天こたつ」は、大学祭中の学内を鍋やら何やらをやりながら移動するこたつ、というものであった。これにかなり近いものが実際の京都大学の大学祭に存在する(した)。

小説の影響か、百万遍の交差点上でこたつを囲んで逮捕されたマジの愚か者の集団がいてニュースにもなっていたようだが、元祖の人たちはこれとは全く違う。彼らには節度と信念があり、「森見登美彦が書く前から伝統的にずっとやっている」という高いプライド?をもって大学祭のこたつを運営していたのである。

ぼくがそのこたつに出会ったのは、大学祭で落語研究会の客寄せのために路上で「ストリート謎かけ」という催しをしていたときだった。「ストリート謎かけ」というのは5〜6人のチームで道ゆく人にお題をもらってその場でたちどころに解いてみせ(なかなか解答が出ないときは三味線をジャカジャカ鳴らして時間を稼ぐ)、感心してもらったところで屋内でやっている落研の寄席に誘導する……というちょっとばかし迂遠なアウトリーチ活動である。これはたしか「謎かけ男」に着想を得てはじめたのだった。

「お客さんからお題をもらう」とはいってもあたりは大学祭一色の空気なので、自然とお題も「NF(大学祭の名前)」「クレープ」「落語」「焼き鳥」「ゴリラ(大学総長の研究対象)」「豚汁」みたいな、だいたいが「大学」「お祭り」「落研」関係のものが多い傾向になる。

ある程度の時間内にひねり出せればちゃんと工夫を凝らして新しく解くのだが、一日のうちに大量にやる必要があること、聞いている人は次々と入れ替わることなどから、なかなか出なかったときなどは

「(大学祭関連のワード)とかけまして、「こたつにのってるミカン腐ってるよ〜」と解く!」
「そのこころは?」
「どちらも「だいがくさい」でしょう!」

といった、汎用性の高いいくつかのド定型のタネを使って捌く。

こうしてずっと同じようなネタを解いたりド定型を使っていると飽きがくるので、部員たちは交代交代にストリート謎かけが成立する最低限の人数を残して、いろんな出し物や屋台を見て回るのが常であった。このとき近くにあったのが、元祖韋駄天こたつこと、屋外こたつであった。

大学祭の屋外こたつは屋外に勝手に設置されたこたつとじゅうたんのセットである。例年は吉田南キャンパスに入って右手のところで行われていた。コタツの上にはたいてい鍋やツマミ、みかん、酒などが並べられているが、これらはコタツ設置者に持ち込まれたものではなく、こたつを訪問した有志が持ってきたものだ(鍋とコンロはこたつの設置者が持ってきてくれていて、訪問者がめいめいに具材を入れる)。

こたつ自体は大学OPのおじさんおばさん数人のグループで運営されているそうで、車で運び込んでいるとのことである。

要は、大学祭期間中、屋外にこたつを置いておくのであとは勝手にやってね、という気楽なもの——であればよかったのだが、残念ながら話はそう簡単はいかない。大学祭に毎年こたつを持ってきて置くだけの人がおとなしいはずもない。屋外こたつにはこたつを持ってきたおじさんが北側の位置に常駐して陣取っており、このおじさんが非常なクセモノなのである。

ぼくは肩にかけていた三味線を適当にその辺の後輩に渡してストリート謎かけをスルッとエスケープし、貝ひもなどを適当に買いこんでコタツの楽しげな集まりに参加してそこに集まった人とお喋りしていいたのだが、すぐにおじさんのクセの強さが見えてきたのだった。

屋外コタツには当然、電源がない。11月の寒空の下、じゅうたんの上にコタツが乗っている、ただそれだけである。正直ちょっと寒いのだが、こたつの暖かさについておじさんは次のような持論を展開する。

「足(が出す熱は)は1本50ワットやから! 6人入ったらこたつ(の消費電力:600ワット程度)とおんなじや!」

こたつは普通、電源を入れたうえでさらに足を入れるはずである(おじさん計算なら600+50×12=1200ワット)。置いてあるのが寒い屋外なのも大きな違いだ。あと6人は入りすぎである。いったい何をもって「おんなじ」なのかはサッパリわからなかったが、追い出されたくなかったのでぼくは混沌とした寄せ鍋(おいしい)をつつきながらフンフンと話を聞いていた。おじさんの持論はともかく、外で立ってるより暖かいのは確かだったので。

タツおじさんはクセは強いが話していてとても楽しい人物で、例によって大半は忘れてしまったが、ITに非常に明るく、iPhone販売だか修理関連の何か(忘れた)を仕事にしているのだそうである。「俺はiPhoneの全機種を持っているんだ」と誇らしげに大量のiPhoneを見せてくれたのをよく覚えている。

要注意なのが「これ『夜は短し……』に出てくる「韋駄天こたつ」ですか? いつ動くんですか?」と聞かれるのが甚だ心外のようで、「「韋駄天こたつ」ちゃうねん、うちは移動せえへんしこっちの方が歴史もあるのに! 森見のせいで……」と非常にご立腹だったのが印象的だった。一方で、森見読者の屋外コタツを発見した人は嬉々として「小説で見たやつだ!」と寄ってくるわけで、おかげで鍋をつついているうちに何度かコタツおじさんのお怒りを見る羽目になってしまった。

この趣深いコタツは、2015年か2016年を最後に姿を消してしまったようである。そういえば、ストリート謎かけをしていると大学祭の事務局に「屋外企画申請はしていますか?」と問われ、申請するよう求められるようになったのもこの頃である。企画の申請には学籍が必要だろうし、大学祭の時期にふらっときてコタツを出すOPの居場所はなくなってしまったのかもしれない。

深夜のプール

落語研究会の部室は二階にあって、そこから見下ろせる位置に大学の所有するプールがある。このプール、日中は水泳部が使っているのだが、夏休み、深夜まで部室に入り浸ってアホなことを言い合っていると、草木も眠る丑三つ時、プールの方からパシャパシャ、パシャパシャと水の跳ねる音が聞こえてくるのだ。

やだな〜、怖いな〜、と思うなかれ、これは別に怪奇現象でも何でもなく、夏の陽気にあてられた愚かな大学生が忍び込んで泳ぐのである。

深夜のプールへ侵入者があるのは毎年恒例(毎夏、2〜3回)で、その時とるべき対応も落研で伝統的に引き継がれている。

部員の誰かがパシャパシャ、という水音に気づくと、まずまわりの部員に静かにするように言い、部室の照明を落とす。寄席のとき使う客寄せ用のメガホンを取り出し、舞台照明に用いるスポットライトを延長ケーブルのコンセントに挿す。メガホンを構えた部員とスポットライトを肩に担いだ部員の用意ができたら準備完了で、そろそろと部室の入り口の鉄扉を開けて、プールの中に不埒な侵入者がいるのを確認する。

そういった侵入者たちは大抵の場合2〜3人ほどのグループで、泳がずにプールの真ん中らへんで立って談笑していることが多かった。

部室から静かに出てきた部員たちは、スポットライトをプールの人影に向けてカッと最大照射する。闇夜の中の人影があらわになり、驚きの声が上がる。ここでメガホンのスイッチを入れる。

「えー、こちら、鴨川東署、バカなことはやめてはやくプールから上がりなさーい! こちら、鴨川東署、はやく上がりなさーい!」

サーチライトのように水面を照らしながらメガホンで警告を呼びかけるのである。メガホンのサイレン機能(ウー!ウー!ウー!ウー!と鳴る)も場を盛り上げるSEとしてよく用いられた。

動転した彼らは慌ててプールから上がるのだが、夜中にプールに忍びこむアホが服を着ていることは少なく、だいたいは全裸である。全裸の侵入者たちがスポットライトに照らされて、こっちに曖昧な会釈なんかをしつつプールサイドの服を掴んで逃げていくのをゲラゲラ笑いながら見る、毎年恒例の落研の夏の風物詩であった。

大抵の場合はびっくりして侵入者たちはみんなそのまま逃げてしまうのだが、鴨川東署なんてものは存在しないし、こちらの悪戯だと気づかれることも多く、プールから上がった人が「ほんと驚いたわ〜」と言いながら落研の部室にやってくる、なんてこともたまにあった。

長らく伝統だったこの行事も、ぼくが所属しているうちに落研の部室が移転して、プールから遠く離れた吉田寮近くの建物の地下に幽閉されてしまったので自然消滅した。今でも夏の夜のあのプールに侵入者がいるかは知らない。

むすび

ほか、碁盤を酔歩する話、オルデ事件、七割増しの話、大津の女神中間搾取事件、長野四往復の話など、学部時代には主に落研まわりで本当に様々な体験をした。とてもインターネットには書けないこと、語っても面白みをなかなか伝えられないこと(これらは上で書いたことにも当てはまる部分があるように思う)も数多い。こうしてつらつらと書いてみたのが、すでに失われてしまったものばかりで、少し寂しくなった。もどかしく名残も惜しいが、ここで筆をおく。