(小市民のための)何もしない節約術

昔、格安SIMを使ってる人は高所得者のほうが多い!という記事を読んでびっくりしたのを覚えている。
www.mdn.co.jp

今でこそ業界全体的に安くなったり三大キャリアが格安SIMの価格帯に参入したりと、格安とそうでない回線の差は近づきつつある(それでも大きい)が、調査結果が出た2017年ごろといえば、その価格には雲泥の差があった。

「安い価格で携帯回線をもてる」サービスが、情報リテラシー格差や端末の初期投資の必要性などを原因に、結果的に経済格差を広げているのは皮肉な話である。

めんどくさい税

ぼくは極度のめんどくさがりなので、節約のために自分の行動を変えるのはイヤだし、節約のために手間をかけるのも苦手である。

一回設定するとその後いっさい変更しなくていいくらいの手法(年に一回くらいはメンテしてもいいかも)くらいでないと実践する気になれない。ので、細やかな日常のライフハックではなく、上であげた格安SIMのように、固定費を下げるわざをいくつか実践している。

携帯回線などは最たる例だが、惰性で昔のものをそのまま使い続けること、制度について無知であり続けることは、継続的に少しずつ、累積としては相当の額の資産を目減りさせる。ぼくはこれをめんどくさい税と呼んでいる。現代においてめんどくささはキッチリ確実に搾取されているし、逆進性もあるように思う。

ここでは特にインフラと税金について、一度やったらあとは何もしなくていい、スイッチングコストをかけるだけでできる節約術を紹介する。

インフラ

格安SIM(格安プラン)は使っているか?

目安:20000〜30000円/年

まずはじめに見直すべきはこれである。携帯回線といえばドコモ、ソフトバンクauの三大回線しかなくて、携帯電話の本体は携帯ショップで買うものである――十数年前の惰性にそのまま身をまかせ続けていないか?

各社の携帯回線のプランを調べてみて思うのが、その複雑性である。いわく、はじめの6ヶ月間だけ割引がある。いわく、光回線といっしょに契約すると割引がある。機種代金が割賦払いになっていて毎月それと同額のキャッシュバックをしている。家族割引がある。学割がある。サブスクのサービスがついている。前の月使わなかったギガを引き継げる。LINEはいくら使ってもカウントフリー。

お得感を煽るこれらはすべてまやかしであり、どんなに積み上げたところで格安SIMどころか、三大キャリア自身が提供している格安プランのほうが安い。

人が格安SIM、格安プランに変えない理由はだいたい次のようなものである:

SIMロックがあるから
回線業者で携帯を買ったとき、その回線でしか端末を使えなくしている仕組み(SIMロック)は、最近は撤廃されている。昔のものもショップで3000円くらいで解除できる。

電話番号が変わるから
変わりません。MNP(携帯電話番号ポータビリティ)という仕組みがあって引き継げる。

回線の契約期間内で、解約金(や端末の残債)がかかるから
大手の通信回線は2年契約などの縛りを設けていて、2年区切りの月のタイミング以外で解約しようとすると解約金が発生する。数年前までは10000円かかっていたが、2019年以降は1000円になっているため、更新月以外で解約しても一月で回収できる。端末の残債も、払ってでも抜けた方が安くなることが多い。

親が払ってるから
学生に多いケース。支払いが自分ではないので気にしていないパターン。気にしよう。
上に述べたように、三大キャリアの回線を家族割で使ってる、学割で使ってるという場合も、割引かれたところでそっちのほうが高い。

三大キャリアは通信品質がいいから
そんなすごい通信してるんですか?
まれに業者によって通信品質に問題があることもあるが、ぼくはMVNOで回線品質に不満をもったことはない(UQ Mobileを使っている)。いずれにせよそんなに気になるならキャリアが同じ格安プラン(ahamo、LINEMO、povo)には切り替えるとよい。

キャリアメールが使えなくなるから
このケースも多いっぽい(三大キャリアの格安プランでもキャリアメールは使えない)。 お前はこれから一生、毎月数千円のコストを支払ってキャリアメールのアドレスを維持し続けるんか?

ATMで手数料を払っていないか?

目安:3000円/年

学生のころ、夜や休日に時間外やコンビニのATMでおろして100円だの200円だのの手数料を取られて「損したな〜」と思ったことが何度もあった。超低金利の現代では、ATM手数料をいちいち払っていては銀行に預けているだけでお金が減っていく。

メガバンクや銀行の中には、預金口座のオプションに「スーパー普通預金(三菱UFG)」「SMBCポイントバック(三井住友)」「みずほマイレージクラブ(みずほ)」などの優待サービスがあり、ある程度の条件を満たすとATMの時間外手数料やコンビニATMの手数料が無料になる*1

これらの優待は前の月の金融サービス利用状況を踏まえて次の月に適用されるかが決定される。

メガバンクの三行を比較すると、優待を得るのに必要な条件として軽いのは

  • 給与口座にしている(「給与」や「年金」の名目での一定額以上の振り込みがある)

だろう。また、定期的な収入がない場合でも

  • 三菱UFG:インターネット通帳を利用している
  • 三井住友:SMBCのクレジットカードの引き落としがある or 若者(24歳未満)
  • みずほ:みずほのクレジットカードの引き落としがある or 預金残高30万以上 or 学割(25歳未満、学生)

などの条件でこれらの優待を利用できる。一番簡単なのは三菱UFJ銀行をインターネット通帳で使うことで、口座を開設するときスマホアプリで登録するだけで誰でも条件を満たすことができる。

地方銀行も調べてみるとこの手のサービスを展開していることがあるが、申し込んではじめて適用されるものも多い。使っている銀行にこの手の優待サービスがあるか、あるならそれを利用できるか確認して、場合によってはメインバンクを鞍替えすることも検討してみてはどうか。

一年につく利息より高いATM使用料を毎月のように支払ったり、時間外利用にならないようスケジュールに気を遣ってATMに行くのはアホらしいので、やめよう。思考に使うリソースが減るという点でも、強くオススメする。

税金

生命保険料控除枠は使っているか?

目安:7000円〜10000円/年(所得税率による)

所得税・住民税の控除に「生命保険料控除」というものがある。生命保険料控除は「生命保険料控除」「介護医療保険料控除」「個人年金保険料控除」の三つにわかれていて、それぞれの区分の保険に加入して保険金を支払っていると、そのぶん税金がちょっと引かれる、国が国民に保険に入るよう推奨する目的で作られた制度である。

お金の面だけでいえば、一見「いや、保険に金払ってるんだったら税金がちょっと安くなってもトータルで損してるじゃん」と思ってしまう。が、積立型の保険(ある期間を過ぎると支払ったお金が帰ってくる)はそうはならない。保険会社に将来帰ってくる資産として保険料を積立てつつ、控除の恩恵に与れるというワケである。

控除額は三つとも最高で(年間保険料80000円以上で)所得税40000円、住民税28000円である。所得税率によるが、保険に入るだけでそれぞれ年間7000円〜10000円の税が軽減される計算になる。

以下に示す理由で、三つのうち生命保険料控除だけが何も考えずに気軽に使える。

介護医療保険料控除
医療保険は積立てるものではないので、入っていれば控除の申請をすればよいが、このために入る、という話にはならない。

個人年金保険料控除
個人年金保険については年金の定義上、60歳まで積立した資産がロックされるうえ、節税効果は個人型確定拠出年金iDeCo)の方が高い。iDeCoの枠を最大限利用して、それでも(老後になってから使いたい、ロックされてもいい)資金が余っているなら検討すれとよい。

生命保険料控除
今回の本題。一般的な生命保険のほか、学資保険なども対象となる。
いま控除枠を使っていなくて特に生命保険に入る予定がないなら、これを埋めるために作られたとしか思えない、唯一無二の「じぶんの積立(明治安田生命)」という保険商品があるので、利用を強くおすすめする。

特徴はこんな感じ:

  • 一口5000円/月。
  • 保険期間は10年で、5年の払込み期間の後、さらに5年待つと満期になる(103%で帰ってくる)。
  • 払込期間中は、いつ解約しても返戻率が100%である

(控除枠までしか使えないが)節税効果だけでみても、10年のうち振込時に約7%、解約時に3%と、実質ほとんどリスクなく年利1%以上をあげる定期預金といえる、超優良投資効率の金融商品である。

契約を途中解除しても払い込んだ保険金がつねに100%返ってくるうえ、生命保険料控除の恩恵に与れる、つよつよ定期預金みたいなこの保険、なぜ存在するかというと、いわゆる(?)ドアノック商品(これをエサに他の保険への加入を勧める、保険勧誘の入り口の役割の商品)であるらしい。

この保険はWebで申し込みを完結させることはできず、保険会社の人と対面で契約する必要があって、他の保険を強く勧められるのかな……と身構えてアポを取って保険ショップに行ったのだが、特にそんなこともなく、一時間ほどですんなりとこれだけ契約することができた。

保険料控除の手続きとしては年末調整の際に関係書類を提出するだけでいいとのことである。

ふるさと納税しているか?

やり得。

おまけ(投資)

「普通の人が資産運用で99点をとる方法とその考え方」って有名な記事があって、
hayatoito.github.io

結論としては「リスク資産として考えてよさそうな余剰資金をとりあえずインデックス(ある方法で株の価格を平均したもの)に投げておけ」という話をしている。(投資自体に楽しみを見出したりギャンブルをやりたいのでなければ)まことにその通りだと思う。
株の銘柄買いをするな、そこらの投資家よりもインデックスのほうが賢いのに素人が勝てるワケがない、素人が投資に思考のリソースさくほどアホなことない、インデックス積立で買うなら年間30分考えるだけで済む、といった感じである。
けっこう面白いので一読をおすすめする。

金と効用の話

ぼくは刹那的に生きており、60歳までロックされる金(確定拠出年金個人年金)を貯めるよりは、若いうちに使ったほうが同じ金額で得られる効用/満足度もずっと高いと思っている。入り用になったとき使える状態にしておきたいのもあって、企業型確定拠出年金を少し積み立てているほかはiDeCo個人年金もやらず、余剰資金は積立NISAに回している*2

金は若いうちに使ったほうがええ。

*1:コンビニなど提携先のATMは月に一回や二回の回数制限あり。ちょうど最近(2021年の7月ごろ)から各銀行でこれらのプランに見直しが行われ、少しだけ条件が厳しくなっている。

*2:めんどくさがりの人間が積立NISAを登録し、使えるまでには本当に長い長い物語があった

SNSマーケティング戦略2021おぼえがき

SNSを利用した広告の戦略ってスゴくて、ここまでやるのか〜 といつも唸らされている。
ここ最近で特に感心したバズマーケティングの事例をいくつか紹介したい。

事例①:グラブルの誤字広告

summercampaign2021.granbluefantasy.jp

2021年8月1日から行われている、Cygamesによるグランブルーファンタジーの「1000万もえらるグラブルキャンペーン」は、ゲーム内の無料ガチャ(2週間のキャンペーン期間中、毎日引ける)を引くと、ゲーム内アイテムのほか、毎日3名に現金100万円が、10名に現金10万円が、期間全体で2名に1000万円が当たる、というキャンペーンである。

異常にカラフルな動画にキャッチーな音楽で「いーっせんまん も〜らえる グラブル♪」が繰り返されるこのCM、注意深く見ないと見落としてしまいがち*1だが、このデカデカと書かれた広告には「もらえる」が「もえらる」になっている誤字がある。

この堂々たる誤字については、SNS上で「ちょっと! Cygamesさん! でっかい誤植してますよ!」系の書き込みが多くなされた。

togetter.com

上記のTogetterまとめにも、いや、この「もえらる」はわざとなんじゃないか?という指摘がある。わざとでないわけがないだろう。これは誤字マーケティング(ぼく命名)である。

ナンプレのアプリ広告

ある日、ナンプレアプリのTwitter広告が流れてきた。


130回やってもクリアできません。と書かれたこのナンプレ問題、じっさい絶対にクリアできなくて、数字が決定できないとかではなく真ん中の行に2が2つ入っているので、どだい無理で問題として成立していない。

この広告は現在122RT、202引用RTというかなり変わった割合で拡散されている。引用RTの内容はだいたいご想像の通り、このナンプレに取り掛かろうとして問題が不成立なことに気づいた人たちの、「絶対できないはず」とか「不成立な問題出すあたり出題者側のIQが足りてない」といった、出題への不満である。

しめたものである。

問題に不備があるおかげでこの広告は多くの人々に拡散されて広まっていく。「クリアできない」と書いてて実際クリアできないのだからどこにもウソは書いていない。この広告はまわりまわって不満の言及が目に入らなくて「あっ、数独のアプリがあるんだ〜、インストールしてみよう」となる人のもとに届き、その人たちの中から課金が行われる……という流れになるのだろう。

零細アプリがどんな形であれまずバズで知名度を得る手段として、この広告は相当にクレバーなもののように思う。

誤字マーケティング

この不備/誤字マーケティングの特徴は、本来の広告ターゲットではない人が拡散してくれることだろう。「1000万もらえるグラブル」なら見向きもしない人々が、「もらえる」が「もえらる」になっていることを "発見" したとき、この誤字の "発見" をSNSで共有してくれるのである(その人がグラブルで毎日ガチャを引いて1000万当てる気がまったくなかったとしても)。このブーストの効果によって、もともとの広告だけでは届かなかったはずの広告ターゲットの目まで、「もえらる」が到達する。

summercampaign2021.granbluefantasy.jp
キャンペーン公式サイトも「ツッコミどころ」満載で、誤字に加えて「なんぼでもツッコミで拡散してくれ〜」という姿勢を感じる

事例②:キンチョールの新聞広告


俺たちのキンチョールがまたやってくれた! うおおおおおおお! Web広告って最悪だよな! リンク先のサイト*2もシャレがきいてていいな!

パーソナライズされたWeb広告に日々触れて、インターネット活動を誰かに監視されているような気持ちになる人は多い。最近は業界でパーソナライズ規制の動きも出ている。新聞広告はそのへん気楽でいいよね、Web広告って疲れるよね、というメッセージが込められたすばらしい新聞広告である。

でもちょっと待ってほしい。この広告のターゲット、どこの、誰向けのものだろう? 新聞広告だから新聞の購読者向け?

本当に?

この広告のメインターゲットは新聞の購読者ではなく、SNSをやっている層ではなか?

すでにブランドがしっかり有名でどこでも売っているキンチョールの広告戦略は知名度を上げることではなく、いかに他社製品に対して差別化を行うか、自社ブランドのイメージアップを図るかにあるように思う。

Web広告への所信表明などは殺虫剤の効能とは全く関係ないのだが、「あの会社は日ごろから不満を抱いているWeb広告に一言物申してたな……」という情報は、商品を選ぶときわずかながらキンチョール側に背中を押してくれるだろう。

この広告は大変にバズり、上記ツイートの1.3万RTほかに加え、各種のインターネットメディアでこの広告について記事が組まれた。よく見ると広告にはバズらせるため多くの仕掛けが施されている(キャッチーなフレーズ、自己言及的なユーモア、Web広告への問題提起、URLがInternet/daisuki、珍妙なリンク先ページ)し、推定されるインプレッションは新聞の購読者数を軽く凌駕するだろう。はたしてこれは本当に「新聞広告」だろうか?

SNS外からのバズマーケティング

似た例として、2020年の化粧品メーカーの駅広告があった。


これらを "発見" して拡散する人がどういう意識なのかとは別に(ところで、どういうわけかこの手のものを "発見" するのはインフルエンサーなことが多い)、これははっきり駅広告よりWeb広告として活用されることを意識して作られたものに見える。

「1000万もえらる」の件のTogetterまとめで言及されている、ヴァニラの逆さ広告(街頭の広告を上下逆にして掲載することで、SNSでの拡散を狙ったと思われるもの)もそうだろう。SNSでのバズを狙ったマーケティングは、今やSNSの外からも盛んに行われている。

事例③:音圧爆上げくんのコラッツ予想懸賞広告


7月に展開されて仰天した広告手法がこれ。

「あらゆる正の整数は「偶数だったら2で割って、奇数だったら3倍して1を足す」を繰り返すと1になること」を証明したら、1億2000万円の賞金を出します、と、株式会社音圧爆上げくんが数学の問題に懸賞をかけたのである。

実はこの問題、昔から「コラッツの予想」という未解決問題として知られているもので、否定的にも(ならない数が存在するのを示す)肯定的にも(必ず1になるのを示す)解決されていない、正真正銘の整数論の難問である。

懸賞の詳細は次のPDFに掲載されている。
https://mathprize.net/files/collatz-conjecture-rule-ja-20210707.pdf

もちろん、この整数論の難問の解決は音圧爆上げくんの本業である、音源の音圧爆上げソフトウェアの機能にいっさい寄与しない。音圧爆上げくんは数学の発展を願った社会貢献のスタンスを取っているが、懸賞の期限である2031年まで解かれることはないと踏んで「音圧爆上げくんが数学の未解決問題に高額の賞金をかけた」ニュースをメディアリリースすることで知名度をあげよう、というのが一番大きな本音だろう。

この広告においては社名が音圧爆上げくんであることが実に巧妙である。通常であれば、無名の会社が数学の未解決問題に賞金をかけたところで、誰も社名なんて見ないし覚えもしないだろう。そこへこれでもかというくらい明快なプロダクト名音圧爆上げくんが入っていることで、記事を読んだ人に「音圧爆上げくんって何だろう……」と思わせ、それがプロダクトへの導線になっているように思う*3

社名を明快・印象的にして数学のしばらく解けなさそうな難問に勝手に賞金をかける、すごい方法を発明したものだと思う。

本当に解決されたら会社が倒産しそう。

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない

これらの話題は真相が世に出ることはなくどうしても陰謀論的になってしまうのだが、家の前にレアなカブトムシが転がってたからって空き巣に狙われてるとは限らないし、ツッコミ待ちみたいに見える広告が全部バズマーケティングを指向しているとも思わない。ぼくはバズマーケティングの専門家でもなんでもないし、狙ってやったわけではないものを邪推してるケースやトンチンカンな推論だってあるだろう。そもそもバズマーケティングを狙ってやるのは難しいとも言われる。

世の中には危険な広告もたくさんある。一瞬だけ立ち止まって「粋なことをしている広告だな」「ツッコミ待ちみたいな状況だな」の先に、何か隠された目論見がないか考えてみる時間は、無駄ではないように思う。

ぼくは最近あらゆるものが広告に見えて困っている。

*1:タイポグリセミア - Wikipedia

*2:https://www.kincho.co.jp/internet/daisuki/

*3:タイトルで全てを説明するのは現代の通販サイトの商品名やweb小説などにも特徴的な傾向のように思う。このことについては今後気が向いたら書く

頂点から消失点へ:レヴュースタァライトにおける「塔」と遠近法

アニメ・少女☆歌劇 レヴュースタァライトTVシリーズ)のシンボルは何か? といえば、いちばんに思い浮かぶのはだろう。「二層展開式少女歌劇」と銘打たれた*1この作品において塔は、現実世界においては東京タワーとして、作中作のレヴュー「スタァライト」においては星摘みの塔として存在する。

塔のモチーフは作品の随所に見られる。観客のメタファーでもある登場人物(動物)のキリンはしょっちゅう東京タワーを模したポーズをとるし、主人公の華恋は東京タワーから突き落とされる夢を見る。TVシリーズにおける塔は、演者にとっての観客のメタファーであり、ひとつの頂しかもたない演者同士の競争のメタファーであり、タロットカードで象徴されるように、試練のシンボルであった。

塔の変遷

聖翔音楽学園99期生にとって、1年時に上映した第99回公演「スタァライト」における塔は、塔である。

TVシリーズの舞台である、99期生たちが2年時に上映した第100回公演「スタァライト」における塔は、はじめは塔であったが、演出が変更され、橋として捉えられるようになった。

では、劇場版レヴュースタァライトにおいて99期生が卒業公演として演じた第101回公演「スタァライト」における塔はどうだろうか?

塔は鋳つぶされ原型を失い、まっすぐに伸びる線路となる。

本稿では、TVシリーズ・劇場版レヴュースタァライトの作中で用いられる象徴の変化に注目しながら、「スタァライト」という演目が各年度ごとにどのように再解釈され、再生産されたかを考察する。

演出の変化

聖翔音楽学園99期生は在学中の三年間、学園祭でレヴュー「スタァライト」を上演するが、その演出は毎年度ごとに大きく異なる。

TVシリーズの舞台である第100回公演「スタァライト」において塔は、序盤・中盤にかけてはいわゆる「塔」のメタファーとして、試練や競争の象徴として演出される。
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頂点の華恋と地上のななが対峙する象徴的なカット

塔には頂はひとつしかないので、「スタァ」は一人だけである。塔には頂はひとつしかないので、クレールとフローラが塔を登ってともに幸せになることはできない。

戯曲、スタァライトは悲劇。結末は別れと決まってるんだよな〜

この状況を演出によって転化してみせるのがTVシリーズ、第100回公演「スタァライト」の終盤で、ここで塔は横倒しになり、橋へと変身する。

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もちろんロンドン・タワーブリッジのダジャレ

横倒しになることで塔は競争や頂点の唯一無二性を失い、逆に孤立やディスコミュニケーションの解消のシンボル(橋)になり、悲劇の必然性が失われる。塔を橋として見ることがTVシリーズ・第100回公演の「スタァライト」再解釈であり、これによって「二人でスタァになること」が可能になる、というロジックである。

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塔を横倒しにしてひかりちゃんへの架け橋に用いることが暗示されている

舞台の多義性

所与の「舞台の原案」をどのように演出して上演するかは、与えられた「絵」をどのように見るか、のアナロジーとして捉えることができるだろう。スタァライトの原書の挿絵や聖翔祭のポスターの画像は、砂漠にたつ孤独な塔に見えるだろうか?

塔の上端が細くなるのをパースと思えば、この絵は同時に、星と星のあいだにかかる橋として見ることもできるのではないか?*2
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TVシリーズは、「スタァライト」という戯曲を咀嚼や再解釈しながら完成にむけて練習を重ね何度も演じる、同じ戯曲の再生産の話であった。聖翔音楽学園では生徒たちは三年の在学期間中ひとつの戯曲を毎年演じることになっており、去年よりも、昨日よりも進化した「スタァライト」を再生産しつづける。劇中のモチーフの通り、戯曲「スタァライト」自体が彼女たちにとっての塔であり、のちに橋として再解釈された。

では、「スタァライト」が終わったらどうなるだろうか? 次の演目になったら?

次の舞台へ向かうための徹底的な再生産、レヴュー「スタァライト」を完全に解体しきったのが、劇場版・レヴュースタァライトである。

対応表

公演 第99回公演 第100回公演 第101回公演(卒業公演)
舞台 TVシリーズ TVシリーズ 劇場版
塔? 線路
てっぺん 頂点 対岸 消失点(無限遠
レヴュー オーディション 舞台
塔の破壊 しない 横転 改鋳
キリン
ひかりの武器 長剣(*イギリス) 短剣(白いワイヤー) 短剣(赤いワイヤー)

線路

キービジュアルから見える通り、劇場版のモチーフは線路である。
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劇場版・レヴュースタァライトの序盤に、神楽ひかりが短剣についた赤いワイヤーを東京タワーの鉄骨のように張り巡らせていて、それを巻き取って崩す——というシーンがある。巻き取られたワイヤーは一本の線として伸びていき、やがて果てしなく続く線路になる。神楽ひかりのワイヤーの色は劇場版で白から赤に変化しているのは象徴的で、もちろん、これは塔の解体や再生産を意味すると同時に、「運命」のモチーフでもある。

劇場版では、線路は塔である。第100回目の公演では横倒しにして橋として解釈された塔は、今回は原型を失うまで完全に解体され、鋳つぶされ、線路として再成形・再解釈される。

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華恋とひかりが子どものころに行った「スタァライト」のデザインの変化に注目したい。TVシリーズ(左)のパンフレットでは、ルビンの壺のように掲げられた二つの手の影が塔を形作るデザインなのだが、劇場版(右)のポスターでははっきりとピンクと赤の(線路のような)塔に変更されている。線路としての塔の描写がわかりやすい一例である。

前にあげた短剣の赤いワイヤーのほか、塔の影のように見えていたものが線路として伸びていく演出、東京タワーの先端がずっと伸びていき空へ溶けていくカットなど、塔を線路として捉えなおす表現は作中にいくつも発見することができる。

地平線まで続く線路が象徴するものが何かといえば、卒業後の99組を待ち受ける広大な未来の展望や不安、可能性といったところだろうか? 乗り越えた試練(塔)の骨組みをバラしてその素材を自分のすすむ道へのレールとして敷くのは、力強く明るい象徴であるように思う。

舞台と遠近法

f:id:xcloche:20210619100840p:plain 同名の舞台(戯曲)ではだいたいの筋書きや登場人物は決まっていて、その戯曲のアイデンティティーとして変えてはいけない(変えるとその戯曲ではなくなってしまう)一線が存在する。

たとえば「スタァライト」では、塔のモチーフがそれである。上の図のポスターのように、スタァライトスタァライトであるためには、第99回、第100回、第101回で画面中央に塔がそびえている構図を変えることはできない。これはスタァライトの核であり、ここを変えると別の戯曲になってしまうからだ。

同名の戯曲の、劇団による味の違いや、再演されるたびに変わるバリエーションは、脚本をまったく別ものに作り替えることではなく、戯曲を再解釈し、演出として見せ方を変えることによって生みだされる。これは、同じ戯曲(ポスターの構図)を見るための視点(パースペクティヴ)を変えるアナロジーに対応する。

TVシリーズでは、「スタァライト」をどう悲劇でなく終わらせることができるかという話が、誰かひとりだけがスタァの座を得ることができる舞台少女の厳しいキャスティングの構造と照応しながら展開された。

「ポスターの図像をどう見るか」に還元すれば、塔を橋として見るTVシリーズの再解釈は、塔のてっぺんに見えていたところを奥行きのある道の先/向こう側の星として見ることで、平面だった塔に奥行きを与え、頂点の構造を解体する視点である。

劇場版のはどうか? 塔を地平線まで続く線路として見ると、塔の頂点は遠近法の消失点に対応する(ポスター参照)。消失点があるのは無限遠である。一人しか立てなかったはずの塔の頂点は、「橋」の解釈のさらに先にある「線路」の解釈によって、どこまでも続く先の見えない、しかし運命によって舗装されている道へと転化された。

この読み替えは、読み取る次元をあげる俯瞰的な視座が必要なものである。有限の一点を無限遠へと飛ばすこの再解釈が、文字通り、レヴュー・スタァライトに無限の奥行きを与える。

メモ:塔以外のモチーフ

華恋とひかりのシンボルである王冠と光の髪飾りもそれぞれスタァライトの呪縛として描かれており、砂漠にこれらを置いてきてこざっぱりとした二人が描かれていた。

TVシリーズにおける上掛けはオーディション残留の証であり、それを脱ぐ・外されることにはオーディション脱落というマイナスの意味しかなかったのだが、劇場版では「スタァライト」の呪縛をとして再解釈されており、能動的に手放すことが前進として描かれていてよかった。99組のみんなが上掛けを宙に投げ棄てるシーンがよすぎる。

メモ:キリン

劇場版でのキリンはぜんぜん塔ではなく(お得意の東京タワーポーズもとらない)、舞台を鑑賞するオーディエンスのメタファー*3に徹していた。オフィスビル街など大きなものと対比することで小さく見えるよう描写されていたのも印象的だった。

メモ:舞台を降りること、また上がること

再演すること・新しい役をやること(=アタシ🗼再生産)で生まれ変わるためには一度舞台から退場する必要があり、それは皆殺しのレヴューであったり、おのおののワイルドスクリーーーンバロックで描写されたことだったりした。鋳直すことのモチーフはTVシリーズでも描かれていた(溶かされた王冠が衣装の部品として鋳造される)が、今回は個人についてだけではなく、舞台そのものについても改鋳が行われていたのが新鮮だった。

落下や奈落に飛び込むことで生まれ変わる演出はたくさんあったが、やっぱり清水の舞台からデコトラが落下したら積んでたコンテナに桜の花びらが大量に詰まってるのはサイコー。

メモ:塔の破壊

第101回公演は99組にとってのレヴュー「スタァライト」の千秋楽であり、舞台を完全に解体し尽くす必要があった。巨大な東京タワーはスタァライトそのものであって、序盤に東京タワーを形作っていたひかりのワイヤーがくずれて赤い糸になるように、実際、クライマックスで東京タワーはきれいに真ん中から爆発・崩壊する。
よく見ると倒壊した塔の向こうには線路が続いていて、塔の鉄を原料にどこまでも続く線路が鋳造されていることがわかる。

劇中歌アルバムが出るらしい

* この記事内で用いられている画像は、少女☆歌劇レヴュースタァライトTVシリーズおよび、劇場版公式Webサイトから引用しています。

*1:もともとは「ミュージカルとアニメーションで展開する」表現として使われていたようだが、もちろん、アニメーション内での現実(日常生活層)とレヴュー(オーディション層)を意味しうる

*2:99回公演のポスターと100回公演のポスターは最終回前まではほぼ同じデザインであったが、最終回でひかりが戻った後に右上に星があしらわれるようになっている

*3:レヴュースタァライトではファンのことを「舞台創造科」と呼ぶらしい。 アイマスの「プロデューサー」呼びと同じく、この手の表現が好きになれない