人が「キャラクター」になる日、キャラクターが「人」になる日

VtuberとMR(Mixed Reality)ライブ

 最近Vtuber(バーチャルユーチューバー)にドハマりしていて、毎日のように更新をチェックしたり生放送を聞いたりしている。大変ですね。

 ……という感じでいたところに、つい先日アイドルマスターのMR(Mixed Reality)ライブイベントに参加する機会があって、3Dで動きまわり、またリアルタイムに会場の様子に反応するヴァーチャルなアイドルの姿を目の当たりにした。詳細は後述するが、これはかなり異常な体験だった。

 ちょっとした恐怖を感じたので大仰なタイトルにした。

Vtuberの現在

 今や2000を優にこえると言われるVtuberについて一絡げに語ることは難しいが、メインストリームの流れを概観すると、だいたい三つの時期に区分することができるかと思う。

  1. キズナアイの登場:
    キズナアイが史上初「バーチャルユーチューバー」を名乗る。
    初期の動画は(バーチャルでない)ユーチューバーに似た傾向の動画(~やってみた、など)が多い。
    スクリーンキャプチャしながらアキネイターなどのWebサービスを実演する形式の動画が定着。

  2. Vtuber四天王(ミライアカリ・シロ・ねこます・輝夜月)らの登場:
    徐々に人数が増え、Vtuber界が活気づいてくる。
    ゲームのプレイ動画が流行しはじめる。
    この時期のゲーム実況動画は、撮影後、編集を経て公開する形式が一般的。

  3. 2DVtuberも登場、群雄割拠の時代
    Vtuberが爆発的に増加する。
    これまでは3Dモデルをモーションキャプチャするのが主流だったところに、FacerigとLive2Dの組み合わせ、またiPhoneXのAR機能を使った「にじさんじ」などのフェイストラッキングのみの低コストな2DVtuberが増えはじめる。
    この頃から動画の配信形式として、(ゲーム実況・雑談などの)ライブ配信が流行しはじめる。
    ライブ配信のプレイ動画をそのままアーカイブとしてアップする形式が定着。

質的に異なる二つの「Vtuber」

 全体の流れを追うと、昨今のVtuberの興隆には、低コスト化とそれに伴う参入障壁の低下が大きく寄与していそうである。

 また、②と③の間には「配信者が用いる主なメディアが、投稿動画かLIVE配信動画か」という大きな断絶が存在している。
 この断絶については思うところがある人が多いようで、古参のVtuberファンの中には、3Dモデルや動画編集にくらべて低コストで手間がかかっていないLIVE配信者をこころよく思わないというような意見もあるようだ。

 同じVtuberという括りで扱われていること、近ごろでは従来のバーチャルユーチューバーも積極的にLIVE配信を行うようになってきたことなどから状況が錯綜しているので、従来式の編集動画投稿型の配信者をバーチャルユーチューバー、LIVEが主体の配信者をバーチャルライバーと呼んで区別してみることにしよう。

 編集が可能であるがゆえに、場合によっては綿密な台本まで用意するプロジェクト型のバーチャルユーチューバーが「(設定された)キャラクター」的にふるまいがちなのに対して、リアルタイムに流れるコメントへの反応やハプニングへの対応をするバーチャルライバーは、より配信者に属人的な傾向があるようである。

「LIVE配信」の効能

 このようなバックグラウンドをあわせて考えると、リアルタイムの音声ストリーミング/モーションキャプチャ/フェイストラッキング技術を使ったVtuberのLIVE配信には、まったく反対の二つの性質があることが浮かび上がってくる。

 ひとつは、すぐ上で述べた、生の人間をキャラクター化する過程、つまり現実を仮想化する過程としての性質である。
 キャラクター化の恩恵には、視聴者層の拡大や、配信者の匿名化が可能であることなどがあり、これによって野に眠っていた多くの才能がざくざくと頭角をあらわしてきているようだ。こちらは主にバーチャルライバーのほうに特に顕著な傾向のように思う。
 そもそもの話、ぽんぽこ24(2018/05/03~2018/05/04にチャンネル「甲賀流忍者ぽんぽこ」で行われた24時間コラボ企画)のコーナー「Vtuber有識者会議」でも言及されていたように、バーチャルライバーの隆盛は従来のバーチャルユーチューバーの系譜というよりは、(生配信はやってみたいがフィルタを通してキャラクター化したほうがやりやすい配信者/実在人物の生声配信よりキャラクターのフィルタを通した配信を好む視聴者)の需給の一致によるものが大きいように見える。
(ただし、こちらは決してLIVE配信に限った話というわけではない。)  こちらの側面については語るべきことがたくさんあるが、今回の趣旨とはすこし外れるので、また別の機会にあたることにしたい。

 そして、こららの技術がもつもうひとつの側面が、すでに確立したキャラクターを現実の時間スケールに飛び出させる仕掛け、いわば、仮想を現実化する過程としての性質である。
 「そのキャラクターがどのような存在か」ということが視聴者によく周知されている場合、LIVE配信によってキャラクターと視聴者の時間軸が共有されることによって両者の関係性は劇的に変化する。彼らはキャラクターでありながら、我々の行動に対してリアルタイムに応答するのである。

 キャラクターをリアルタイムに現界させる技術がもたらす認知への強烈なハックは、Vtuberではない他の世界にも革命をもたらした。
 さあ、もう一つのリアルタイム・音声ストリーミング/モーションキャプチャ/フェイストラッキング技術の結晶、THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC GROOVEの話をしよう。

THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC GROOVE

 THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC GROOVE、というのは2018年の5月に横浜のDMM VR THEATERで行われたアイドルマスター初のMR(Mixed Reality)ライブイベントのことである。聞き覚えのない単語がたくさんあるのでひとつずつ順を追って説明する。

 アイドルマスターと一口に言っても、最近ではシンデレラガールズ・ミリオンライブ・SideM・シャイニーカラーズなどなど手広く展開していて、総数も軽く500人を超えそうな一大コンテンツである。
 THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC GROOVEではその中でも元祖(765ASと呼ばれる、アイドルマスターSPまでに揃ったメンバー)の13人が出演するライブイベントである。PS4コンシューマゲームがあるために、彼女たちにはアイドルマスターシリーズの中で一番デティールの優れたリッチな3Dモデル・3Dダンスのモーションデータが存在している。

 DMM VR THEATERは、ハーフミラーによって3Dオブジェクトを実際に存在しているかのように見せる「ホログラフィック映像」を売りに2015年に作られた新しい劇場で、これまでにも演劇やライブなど、3D投影を活かしたさまざまなイベントが開催されている。

http://realsound.jp/movie/2017/09/post-113222.html

 要は3Dオブジェクトを実空間に投影できるすごい劇場、と思っておけばだいたいOK。

5/12のライブ体験

 5/12の夜、如月千早センター回、このMRライブを実際に体験した。
 VRのイベントもアイドルマスターのイベントもこれが初めてだったので、いったいどのようなものになるのかなと気もそぞろにメロンソーダをすすっているとまもなくイベントがはじまり、あたりの人々が立ち上がったのであわてて一緒に立ち上がった。ステージ上では3Dで投影されたアイドルたちが踊りはじめていた。

 3Dモデルがステージ上を動いている! という感動はあるものの、3Dモデルの見覚えのあるモーション(多少の調整はしているだろうが、おそらくPS4のダンスモーションからの流用)と聞き覚えのある音源に、初見の印象は決してよいものではなかった。どうやら標準装備らしい光る棒を持っていなくて気まずかったのもあって、私は会場の端のほうの席でいまいちノリきれないまま、こんなものかと重いながらまわりにあわせて体をゆすっていた。
 光学装置で投影している以上しかたない面もあるとは思うものの、曲と曲の間の暗転でアイドルたちの姿がフッと虚空に消えるのも気になる。
 3Dのアイドルがステージ上を走り回っていたのはなるほど目新しかったが、それはあくまでよい再生環境を使った見覚えのある動きの再演に過ぎず、それは決して私が期待していた「ライブ」ではなかった。

リアルタイム・キャラクター

 変化があったのは10曲ほど終えたあと、MCパートからのことだ。如月千早がリアルタイムに応答していた。ここからがMRライブの本領だった。

「声出しをしたいんですが、何の歌でやればいいでしょうか?」
の問いに会場からの「インフェルノ!」の声が大きかったのを拾ってInfernoの一節を歌ってみたり、
「実は今日、あまり声の調子がよくないんです……、最後の曲は「眠り姫」にしようと決めているのですが、ちゃんと歌えなかったらどうしましょう……」
の発言に対する一ファンの「オレが歌う!」というトンチキな叫びに「プロデューサーが歌う?! 大丈夫ですか? 歌詞は覚えていますか?」と返してみたり、
たまに台詞を噛んでわたわたしたりしていた。

 MCの後は千早の「Arcadia」ソロ歌唱パート。アイドルマスターにはダンスモーションの既存データが存在しない曲(音源だけはCDで出ているものの、ゲームでプレイアブルでないもの)が一定数あり、Arcadiaはその中の一つである。必然的にこれはライブ初公開の新作ダンスモーションということになる。

アイドルマスターにおける「理想的なダンス」

 MRライブで行われたダンスの話をする前に、「アイドルマスター」というゲームにおけるダンスの特性を振り返ってみよう。

 そもそもの前提として、アイドルマスターのゲームの既存のダンスモーションは、客席とのインタラクションがないのを差し引いても、現実のライブにおけるそれと質的に異なる点がある。

  • 音とモーションが別撮りなので、ライブにおける「マイクを持つ必要がある」といった制約がない
  • モーションに偶発的に生じるはずの「ブレ」がない

 まず前者について。アイドルマスターのダンスはマイクを持たず体全体を使って行われる。音楽とモーションはそれぞれの内部で最適化されており、ゲーム内のダンスはライブ映像というよりどこかMVに近い性格がある。
(※例外的に、「MUSIC♪」の振り付けはマイクを持って歌うことを意識して作られている。)

 後者について。アイドルマスターのダンスモーションでは、人間が動くときに偶発的に生じうる「ブレ」のようなものが排除されている。わかりやすい例を挙げると、ダンス最後の決めポーズの部分では止まるべきところは完全に静止しており、ぷるぷる震える、あげていた手がちょっとずつ下がってしまう、などということはない。

 両者とも、ある意味「理想的」な動きであるがゆえに「ライブ的」、「身体的」でない、と捉えられてしまう側面ととれる。

 前回の記事では「仮想空間が身体性を獲得しつつある」という話題に触れた。 xcloche.hateblo.jp

 アイドルマスターにおいても、モーションキャプチャ技術自体はハードがPS3になったあたりからダンスモーションの作成に使われているようだ。
https://www.famitsu.com/game/news/1210850_1124.html

 しかし、そうして動きをデータとして取り込んだ後、編集の過程で偶発的なブレはきれいに脱臭されて失われ、「理想的なダンス」が作り上げられてきたのだろう。ただし、ゲームというメディアに関しては、身体性が多少欠落したとしても、見た目が洗練されることのほうが望ましいという可能性もある。あるいは今後、そうした「人間的なブレ」までもがモーションとして取り入れられていく可能性もある。

"ライブ的" なライブ

 ライブの話に戻ろう。結論から言えば、MRライブのソロ歌唱パートでは、声優によるリアルタイムの音声ストリーミング(いわゆる「生歌」)、モーションアクター(おそらく声優が兼任)による(おそらく)リアルタイムのモーションキャプチャーが行われていた。

 不覚にも無念の落涙をしていて詳しいことをあまり覚えていないのだが、MCパートと同じく歌唱中にも会場とのインタラクションがあるように感じたし、歌声とモーションは強く相関しているように見えたし、モーションは「身体的」にブレまくっていた。

 印象的だったのが、曲の終了後暗転せずなめらかにMCパートに接続されたこと。歌い終わった彼女の脚はたしかにふるえており、ただ肉がないという一点を除いて、仮想のアイドルがそこに現界していた。

 これまでのアイドルマスターのライブ(声優がパフォーマーとして出演するもの)では、よく「(パフォーマーに)キャラクターが憑依している」というような言い回しが使われてきたそうだ。
 いま、劇場にいたキャラクターの3Dモデルはゲームで用いられているものと同一のものである。ゲームの「物語の登場人物」としての存在と、リアルタイムに目の前でいきいきと動く姿とがシームレスに接続され、認知が変化するのがはっきりと自覚された。

 アイドルマスターの言葉を借りれば、まさしくこれは「ライブ革命」だった。

総括

 技術的に、表情表現の相当の部分がフェイストラッキングで拾えるようになってきたし、適当な設備さえあれば、体の動きもモーションキャプチャでかなり微細に拾えるようだ。声をそのまま使うのも合わせれば、人間の感情表現の大半をアバターで代替可能な時代はすでに到来している。

 この技術は、人間がアバターをフィルタとして用いて発信するのにも有用だし、物語上のキャラクターを現実の時間軸に連れてくる未知の領域の体験をも可能にするものだ。これからもどんどん面白い展開がなされていくだろうし、そうなっていくことを期待したい。

てきとうライトノベル案内

縁うすい世界に眠っているお宝

 ハーレクインって月に新刊が15冊、累計では3000冊以上出てるらしくて、ハヤカワSFがこの前2000冊記念で解説本を出してたことを考えても、これは大変な量である。

 マーケットが大きければその中には名作があるにちがいない、という話を最近よくしていて、私が好きそうなハーレクインおもしろ小説を勧めてくれるレビュアーがいたら喜んで読むのだけど、残念ながらそんな人はいなくて、あの3000冊の中にはきっと私が絶賛する作品が眠っているのだな……と思って悶々としている。

 他に市場規模がデカいけどあんまり触れたことのないジャンルがBLで、本屋のかなりの面積を専有しているアレには絶対私好みのものもいっぱいあるはずだな……と思う。こちらについてはブログのレビューを読んだり人のお勧めを聞いたりしてちょっとずつ読んでみていて、まだ大当たりに出会ってはいないものの、お宝が眠っていそうな確かな手応えを感じている。

 えっちな漫画、えっちなアニメ、えっちな映画、えっちなゲーム、etc…にもこの傾向が強い。特にアニメ/映画については「実験的なことをやりたいけれど、それだけでは商業的にキツいからえっちなシーンを入れてマネタイズする」ということが行われてきた経緯がある。話の筋に全然かかわらない不自然なえっちなシーン、「ノルマエッチ」が挿入されることすらあるそうで、売られるマーケットや消費者は分離されている傾向があるものの、内容的にはそこまで変わらなかったりするらしい。古いところでは日活ロマンポルノなんかが有名だ。

しかし、ロマンポルノには映画創作上のメリットもあった。予算も限られ、短納期の量産体制という厳しい環境ではあったが、後にある映画監督が「日活ロマンポルノでは、裸さえ出てくれば、どんなストーリーや演出でも、何も言われず自由に制作できた」と語った様に、「10分に1回の性行為シーンを作る」「上映時間は70分程度」「モザイク・ボカシは入らない様に対処する」など、所定のフォーマットだけ確実に抑えておけば、後は表現の自由を尊重した、自由度の高い映画作品作りを任された。(日活ロマンポルノ - Wikipedia

 本はけっこう読むけれどライトノベル/ジュヴナイルはあまり読まない、という人は多くて、そうした人たちにとってのライトノベルは、私にとって上にあげたような、縁はうすいがでかくて得体の知れないマーケットなのだと思う。私はいくらかライトノベルを読んでいて、その中には多少のいい出会いもあった。
 今回は、ふだんジャンル小説を読んでいるがライトノベルはあまり読んだことがない、という人に向けて、おすすめの作品を10個ほど紹介したいと思う。

ひとことレビュー

筺底のエルピスオキシタケヒコ

 この作品はわりとSF読者にリーチしてる気がする。たしか円城塔が絶賛してた。
 ウイルスのように感染して、感染者を狂わせて殺人を犯させる“殺戮因果連鎖憑依体”、通称「鬼」を狩るお話。主人公たち鬼狩りは「停時フィールド」と呼ばれるある一定空間の時間を停める能力(外形や持続時間は人によって異なる)をもっており、これが能力バトルに使われたり、時間SFのガジェットに使われたりする。作中に出てくるバラエティあふれる特殊能力すべてがこの「停時フィールド」の設定から演繹されるという非常にストイックな構成。
 「宿主が殺されたら他の宿主に憑依する」厄介な性質をもつ鬼を滅ぼすため、主人公たちは自ら感染しタイムトラベルして「人類が滅んでしまった未来」に行って自殺する(仮死状態になる)ことで鬼に行き場をなくさせ消滅させる、という手続きをとっている。タイムトラベルと「時間を停める能力」、強力な鬼との戦いや他の鬼狩り組織との争いが見事に噛み合って、傑作バトル時間SF(?)に仕上がっている。4巻まで読むとどんどんダシが出てくる。
 著者の他の作品だと、音をテーマとした連作短編『波の手紙が届くとき』、お肉がおいしい人類史SF短編「プロメテウスの晩餐」が特におすすめ。

〈とある飛空士シリーズ〉犬村小六

 高低差1300メートルの滝“大瀑布”によって海が上下に隔てられた世界を舞台にした少年少女の群像劇。この世界を舞台に『とある飛空士への追憶』、〈とある飛空士への恋歌〉、〈とある飛空士への夜想曲〉、〈とある飛空士への誓約〉の長編やシリーズが出ている(完結済)。船ではこの高低差を行き来できないため、水上飛行機の発明以後に上下の住人がお互いの存在に気づいた、という設定になっている。
身分違いの恋、仇をそうと知らずに好きになってしまった苦悩、元王族の大演説など、演出や展開の劇的な感じが妙に戯曲くさくて、くせになる。

〈賭博師は祈らない〉周藤蓮

 18世紀のロンドンを舞台にしたギャンブルもの。主人公はギャンブラーで生計を立てているだけあって、勝負には筋道立って勝つべくして勝っていく。
 賭け勝負の熱い展開(特に2巻)もさることながら、当時の様子やギャンブルの描写が見どころ。ブラックジャックのカウンティングが発明されていない時代、チェスのルールが変わる過渡期の物語。異常に綿密な取材をしている気配を感じる。ヒロインは中東あたりから連れてこられた奴隷で、言葉もわからなければのども焼かれていてまったく話すことができない。
 支倉凍砂のファンタジー作品群(〈狼と香辛料〉、〈狼と羊皮紙〉、〈マグダラで眠れ〉)に雰囲気が近いところがあるので、どちらかが気に入ったならもう片方を試してみるのもいいかもしれない。

〈ねじまき精霊戦記 天鏡のアルデラミン宇野朴人

 普段は昼行灯の主人公は実は軍師として天才的な手腕をもっていてピンチになると活躍しだす中世風戦記物ファンタジー……かと思いきや……という感じ。作中で技術が進歩して、気球/火砲/狙撃銃などの登場による、現実の世界でもあったであろう戦略パラダイムの変化が再演されていく。現実と違うのは「精霊」とよばれる妙に便利な存在(水を浄化したり火をつけたり動力になったりする)が人間と共存していることで、このあたりの事情について10巻で怒濤の設定開示がある。戦記物としてわりと面白いと思って読んでたら別のところからもパンチを食らう感じ。アルデラミンというのは実在する恒星の名前です。

『妖姫のおとむらい』希

 伝奇グルメ小説? 「旅をしつづけなければ食べ物の味がわからなくなってしまう」奇妙な体質をもった青年が訪れる先々で不思議な空間に迷い込み、いろいろなうまいものにありつく。主人公は案内人をつとめる少女「妖姫」に対して終始なぜか食欲を催してしまい、しきりに「舐めさせてくれ」などとお願いする。ノスタルジーあふれる内容と文体で読み進めるのがたのしい。著者は稲垣足穂のファンらしい。

りゅうおうのおしごと!白鳥士郎

 将棋もの。16歳で竜王となった主人公に女子小学生の弟子がつくことになって、ラブラブコメコメするロリライトノベル……と思いきや、熱い将棋の戦いや、つらい才能の話がいっぱい出てくる。主人公が属する一門のメンバーを中心とした群像劇で棋界の人々の奮闘が描かれる。才能ある人が努力したら才能がない人がどんなに努力しても到達できない遠いところにいってしまう話。才能ある人が「自分には才能がない」と思いながら努力しまくるのを、才能がない人が見る……といった構図がいっぱいあって、読んでいてウワーとなってしまう。
 謎のタイミングでラッキースケベ的謎展開が挿入されて読んでてキツくなることがあるので注意。
 棋界の綿密な取材をしていて、キャラクター造形やエピソードに活かされている。特に5巻が白眉の出来。

『ピニェルの振り子』野尻抱介

 生態系SFの傑作。辺境の惑星で蝶のハンターをしていた少年が、蒐集目的でやってきた宇宙船の水先案内をつとめることになり、なんやかんやあって超大なスケールの天体現象の謎が解き明かされていく。とにかくモチーフの扱いがうまくて、相似構造や演出がカチリカチリとはまっているのが心地いい。
 「銀河博物誌①」と銘打たれているが10年経っても②が出る気配はない、というかソノラマ文庫自体がなくなってしまった。 著者の似た傾向の作品では〈クレギオン〉シリーズの『フェイダーリングの鯨』、『ベクフッドの虜』など。
宇宙開発ものの〈ロケットガール〉シリーズ(特に3巻)もおすすめ。

〈赤村崎葵子の分析はデタラメ〉十階堂一系

 日常ミステリ……なのだが、変わった構成をしていて、謎が ①本編で解かれ ②チャットルーム(本編の謎について登場人物が話し合う断章)で解かれ ③あとがき後のおまけコーナーで解かれ ④さらにまだ解くべき余地があることが示される という4段以上の謎解きをする構え。読者に残された余地についてもヒントが十分に提示されていて、注意しながら読むとまた違った視点がひらけて、再読が非常に楽しい。

『ペンギン・サマー』六塚光

 昔話、ペンギン、謎の組織、宇宙船、夏休み…… 組み合わされている要素もバラバラなら語りの手法や視点もバラバラの、断章が組み合わされたような不思議な構成の小説。なぜか最後には一応シュッとまとまって快感があった。いま手元になくて記憶が怪しいので戻ったら追記する。

「あたらしくうつくしいことば」石川博品

 聾学校を舞台にした百合小説。転校生としてやってきた二人の少女は使っている言語(手話言語)が違っていて、受け入れ先の学校の生徒と転校生たちの間にはあたらしいことばが形作られていく。コミュニケーション方法の変化と人間関係の変化を絡めて扱う手つきがうまい。
 作者の他の百合作品には『四人制姉妹百合物帳』など。こちらでは洗練された文体でお下品な内容をやっていてたのしい。


 今回はこれくらいで。

鏡の国のティーポット:仮想空間の右と左

バーチャルな空間での右利きと左利きについて。

右利きと左利き

 右利きと左利きの割合はだいたい9:1と言われていて、世の中のいろいろなものが気づかぬうちに右利き用にデザインされている。特に文房具には顕著で、ハサミの刃の合わせ(左手で持つと切っているところが見にくい)や、定規の目盛りの順序(左から右に線を引くと数字がわかりにくい)などの問題があるらしい。そもそも左から右への横書き自体、左手で書くと書いた文字がすぐ見えないし手にインクがつくし、大変そうである。

 左利き向け/ユニバーサルデザインのアイテムもいろいろ発売されていて、左利き向けのハサミ、左利き向けのマウス、ユニバーサルな定規、ユニバーサルなトランプなんていうものまである。トランプにどう左利きの不便があるかといえば、数字とスートが左上と右下だと左手でファンを作ったとき隠れて見えなくなってしまうとのことで、ユニバーサルなものには四隅すべてに数字とスートを書いているらしい。

 おもしろいところでは、最近「iOSのハサミの絵文字は左利き用」という話を見た。

絵文字のスクリーンショットを撮ったのがこれ。
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ティーポットの向き

 何かのきっかけで「ティーポット」で画像検索してビックリしたことがあって、下の画像を見てもらえばわかるんだけど、ほとんどのポットの写真が決まったように持ち手を右、注ぎ口を左に配置している。
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 どうも「マグカップ」や「ティーカップ」で検索しても同様の傾向があるようだ。
 おそらくこれも右利きの人が多いからで、素直にテーブルにポットを置いて正面から写真を撮るとこの構図になるんだと思う。意外なところに隠れていた左右の非対称性がを発見してメチャメチャ興奮した。

Utah Teapot

 ところで、CGの世界には「Utah Teapot」と呼ばれるメチャ有名なティーポットがある。これはCGの黎明期に作られたヴァーチャルな茶器で、マーティン・ニューウェルって人が自宅のティーポットをもとにモデリングして数値データを公開したんだけど、丸みとかくびれとか取っ手の穴とかがあって適度に複雑で、いろいろやってみるのに便利だったのでみんな使うようになったらしい。一緒にミルク入れのデータも作ったけど失われたとか、初期のモデルには底がなかったとか、逸話にも事欠かない、3DCGオブジェクト界の有名人である。便利なので、今でもいろんな3Dモデリングソフトにはじめから入っているらしい。

 んで、コンピュータグラフィックス界のティーポットがどのように撮影されるかというと、現実と同じで右側に取っ手の画像ばかり、ということには、ならない。「computer graphics teapot」で画像検索した結果が下の画像である。

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 現実界の画像が圧倒的に右側取っ手優勢だったのに対して、コンピュータグラフィックス界では取っ手の向きの左右は半々になっている。この世界ではほとんどのティーポットは宙に浮かんでいるし、仮にテーブルに置く場合も「利き手で取っ手を持って」置くわけではないため、右側に取っ手がくる蓋然性が高くなることもない。
 Utah Teapot で左右の非対称性が失われているのは、単純なオブジェクト配置のレベルのCGモデリングには身体性がないからと考えられる。この世界ではオブジェクトが体の延長にないため、「利き手」によって左右のどちらかが優遇されることがない。

 余談だが、ニューウェル自身がモデリングのために作った資料では取っ手が左側に配置されている。ニューウェルは左利きだったのだろう。
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Computer History Museumより引用 The Utah Teapot - CHM Revolution

身体性を獲得したCGの世界

 CGの黎明期や単純なオブジェクトの配置のレベルでは「オブジェクトが身体性を持たない」ため左右が同権になりえたことを上で述べた。しかし、モーションキャプチャや表情の認識によって、「身体的な」現実の動きがどんどんCGの世界に取り込まれるようになってきている。いま、左右の非対称性は、現実と同じ姿のまま、あるいは現実とはまったく真逆の姿でCGの世界に入り込んでいる。現実と鏡写しの「左利き優位」なのが、FaceRigの世界だ。

FaceRigの鏡

 FaceRigというのはSteamで買えるすごいソフトウェアで、PCのカメラで顔を撮影して、その表情を画面の中の3Dキャラクターが再現してくれるという、すごいソフトウェアである。
store.steampowered.com  ちょっと前におっさんでも画面の中で美少女になれる!というので話題になっていた。内部的には、撮影した画像から目や口の開き具合を数値として取得して、その数値に応じて3Dモデルの対応した部位を動かす、ということをやっている。
 印象的なのが、FaceRigではデフォルトのモードが鏡像になっていること。
 この仕掛けによってFaceRigはかなり鮮烈なアプリケーションになった。というのは、モニタの中で異形のキャラクターが自分と同じ表情(の鏡像反転)をしているのは、おとぎ話の魔法の鏡そのものの体験である。

 Facerigの世界では現実の体の動きに対応して画面の中の(仮想的な)体が動くわけで、この動きは物理的身体と直結している。Facerigの世界は、現実世界の左右の非対称性とちょうど「鏡写しの」非対称性を持つことになった。
 というわけで、モーションキャプチャで駆動される鏡写しのコンピュータグラフィックスの世界は、左利きが多い不思議な世界だ。

鏡の世界はどこにあるか

 とは言ったものの、上で述べたような、自分の表情を写したキャラクターと対面する「鏡」インターフェイスは少々特殊な例である。モーションキャプチャで動く仮想の体の多くはFPS視点やTPS視点で、そこに鏡像反転の関係は存在しない。身体性を獲得したところで、現実世界と同じ左右の関係が再演されるだけのことだろう。

 もし鏡像の仮想世界があるとすれば、「キャラクターの顔がこちらを向いて対面しているタイプの動画」にあらわれるはず——ちょうど最近話題のバーチャルユーチューバーがそれである。

バーチャルユーチューバーの右利き左利き

 意気揚々とバーチャルユーチューバーの利き手を確認した(ヒントが少なくて難しかった)ところ、(仮想世界での)右利きが多いようだった。左右反転してるはずだから現実では左利きのユーチューバーが多いんだね! と主張するのはちょっと無理筋だろう。

 考えられるのは、バーチャルユーチューバーが撮影に使っているインターフェイス「鏡」ではなく「カメラ」なのではないか、ということ。かれらは「鏡」で自分のパフォーマンスを確認しながら撮影しているのではなく、実写の撮影と同様に、カメラの前で演技をしているだけなのかもしれない。

 身体性の欠けた左右ニュートラルな世界や、左右が反転した鏡の世界の住人はどこかにいるのだろうか。

 CGの世界で、こいつ左右反転してるで! っぽい動きをしている人がいたら相当おもしろいので、見かけたら教えてほしい。たぶん反転していてもそこまでの違和感はなくて、ラジオ体操の左右の順番が逆だったり、何人もいる中で左利きの割合が多かったり、どこか些細な違いにあらわれるものだと思う。

追記:仮想空間で左右反転してるやつら

 と思ってたら、にじさんじ(基本的にフェイストラッキングだけでやってる新興のバーチャルユーチューバー)のキャラクターが左右反転してるらしい、との情報が入った。

 どうも画面の中で「みぎめーひだりめー」と目を動かす? のがキャラクターの左右に対応していない、ということらしいのだが、残念ながら動画の過去ログが消去されていて閲覧できないとのこと。  残念。