鏡の国のティーポット:仮想空間の右と左

バーチャルな空間での右利きと左利きについて。

右利きと左利き

 右利きと左利きの割合はだいたい9:1と言われていて、世の中のいろいろなものが気づかぬうちに右利き用にデザインされている。特に文房具には顕著で、ハサミの刃の合わせ(左手で持つと切っているところが見にくい)や、定規の目盛りの順序(左から右に線を引くと数字がわかりにくい)などの問題があるらしい。そもそも左から右への横書き自体、左手で書くと書いた文字がすぐ見えないし手にインクがつくし、大変そうである。

 左利き向け/ユニバーサルデザインのアイテムもいろいろ発売されていて、左利き向けのハサミ、左利き向けのマウス、ユニバーサルな定規、ユニバーサルなトランプなんていうものまである。トランプにどう左利きの不便があるかといえば、数字とスートが左上と右下だと左手でファンを作ったとき隠れて見えなくなってしまうとのことで、ユニバーサルなものには四隅すべてに数字とスートを書いているらしい。

 おもしろいところでは、最近「iOSのハサミの絵文字は左利き用」という話を見た。

絵文字のスクリーンショットを撮ったのがこれ。
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ティーポットの向き

 何かのきっかけで「ティーポット」で画像検索してビックリしたことがあって、下の画像を見てもらえばわかるんだけど、ほとんどのポットの写真が決まったように持ち手を右、注ぎ口を左に配置している。
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 どうも「マグカップ」や「ティーカップ」で検索しても同様の傾向があるようだ。
 おそらくこれも右利きの人が多いからで、素直にテーブルにポットを置いて正面から写真を撮るとこの構図になるんだと思う。意外なところに隠れていた左右の非対称性がを発見してメチャメチャ興奮した。

Utah Teapot

 ところで、CGの世界には「Utah Teapot」と呼ばれるメチャ有名なティーポットがある。これはCGの黎明期に作られたヴァーチャルな茶器で、マーティン・ニューウェルって人が自宅のティーポットをもとにモデリングして数値データを公開したんだけど、丸みとかくびれとか取っ手の穴とかがあって適度に複雑で、いろいろやってみるのに便利だったのでみんな使うようになったらしい。一緒にミルク入れのデータも作ったけど失われたとか、初期のモデルには底がなかったとか、逸話にも事欠かない、3DCGオブジェクト界の有名人である。便利なので、今でもいろんな3Dモデリングソフトにはじめから入っているらしい。

 んで、コンピュータグラフィックス界のティーポットがどのように撮影されるかというと、現実と同じで右側に取っ手の画像ばかり、ということには、ならない。「computer graphics teapot」で画像検索した結果が下の画像である。

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 現実界の画像が圧倒的に右側取っ手優勢だったのに対して、コンピュータグラフィックス界では取っ手の向きの左右は半々になっている。この世界ではほとんどのティーポットは宙に浮かんでいるし、仮にテーブルに置く場合も「利き手で取っ手を持って」置くわけではないため、右側に取っ手がくる蓋然性が高くなることもない。
 Utah Teapot で左右の非対称性が失われているのは、単純なオブジェクト配置のレベルのCGモデリングには身体性がないからと考えられる。この世界ではオブジェクトが体の延長にないため、「利き手」によって左右のどちらかが優遇されることがない。

 余談だが、ニューウェル自身がモデリングのために作った資料では取っ手が左側に配置されている。ニューウェルは左利きだったのだろう。
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Computer History Museumより引用 The Utah Teapot - CHM Revolution

身体性を獲得したCGの世界

 CGの黎明期や単純なオブジェクトの配置のレベルでは「オブジェクトが身体性を持たない」ため左右が同権になりえたことを上で述べた。しかし、モーションキャプチャや表情の認識によって、「身体的な」現実の動きがどんどんCGの世界に取り込まれるようになってきている。いま、左右の非対称性は、現実と同じ姿のまま、あるいは現実とはまったく真逆の姿でCGの世界に入り込んでいる。現実と鏡写しの「左利き優位」なのが、FaceRigの世界だ。

FaceRigの鏡

 FaceRigというのはSteamで買えるすごいソフトウェアで、PCのカメラで顔を撮影して、その表情を画面の中の3Dキャラクターが再現してくれるという、すごいソフトウェアである。
store.steampowered.com  ちょっと前におっさんでも画面の中で美少女になれる!というので話題になっていた。内部的には、撮影した画像から目や口の開き具合を数値として取得して、その数値に応じて3Dモデルの対応した部位を動かす、ということをやっている。
 印象的なのが、FaceRigではデフォルトのモードが鏡像になっていること。
 この仕掛けによってFaceRigはかなり鮮烈なアプリケーションになった。というのは、モニタの中で異形のキャラクターが自分と同じ表情(の鏡像反転)をしているのは、おとぎ話の魔法の鏡そのものの体験である。

 Facerigの世界では現実の体の動きに対応して画面の中の(仮想的な)体が動くわけで、この動きは物理的身体と直結している。Facerigの世界は、現実世界の左右の非対称性とちょうど「鏡写しの」非対称性を持つことになった。
 というわけで、モーションキャプチャで駆動される鏡写しのコンピュータグラフィックスの世界は、左利きが多い不思議な世界だ。

鏡の世界はどこにあるか

 とは言ったものの、上で述べたような、自分の表情を写したキャラクターと対面する「鏡」インターフェイスは少々特殊な例である。モーションキャプチャで動く仮想の体の多くはFPS視点やTPS視点で、そこに鏡像反転の関係は存在しない。身体性を獲得したところで、現実世界と同じ左右の関係が再演されるだけのことだろう。

 もし鏡像の仮想世界があるとすれば、「キャラクターの顔がこちらを向いて対面しているタイプの動画」にあらわれるはず——ちょうど最近話題のバーチャルユーチューバーがそれである。

バーチャルユーチューバーの右利き左利き

 意気揚々とバーチャルユーチューバーの利き手を確認した(ヒントが少なくて難しかった)ところ、(仮想世界での)右利きが多いようだった。左右反転してるはずだから現実では左利きのユーチューバーが多いんだね! と主張するのはちょっと無理筋だろう。

 考えられるのは、バーチャルユーチューバーが撮影に使っているインターフェイス「鏡」ではなく「カメラ」なのではないか、ということ。かれらは「鏡」で自分のパフォーマンスを確認しながら撮影しているのではなく、実写の撮影と同様に、カメラの前で演技をしているだけなのかもしれない。

 身体性の欠けた左右ニュートラルな世界や、左右が反転した鏡の世界の住人はどこかにいるのだろうか。

 CGの世界で、こいつ左右反転してるで! っぽい動きをしている人がいたら相当おもしろいので、見かけたら教えてほしい。たぶん反転していてもそこまでの違和感はなくて、ラジオ体操の左右の順番が逆だったり、何人もいる中で左利きの割合が多かったり、どこか些細な違いにあらわれるものだと思う。

追記:仮想空間で左右反転してるやつら

 と思ってたら、にじさんじ(基本的にフェイストラッキングだけでやってる新興のバーチャルユーチューバー)のキャラクターが左右反転してるらしい、との情報が入った。

 どうも画面の中で「みぎめーひだりめー」と目を動かす? のがキャラクターの左右に対応していない、ということらしいのだが、残念ながら動画の過去ログが消去されていて閲覧できないとのこと。  残念。