人間乱数についての覚え書き

人間乱数

人間に「乱数列を書いてください」と頼むとけっこう変な偏りをもった数列を書いちゃうらしくて、人間乱数とか human random number generation とか呼ばれているようである。これがなかなかにおもしろい。
今回は、人間乱数の性質や成り立ち、その利用などについて、ちょこちょこ調べたことをいろいろ紹介してみようと思う。

ブツ切り傾向

いちばんわかりやすい例が「コイントスを100回やったときにできる裏表の列を想像して書いてみてください」というもの。

人間が書いた乱数列は、コインの裏表それぞれの頻度こそだいたい50:50になるものの、「裏が出た次の回に表が出る確率」および「表が出た次の回に裏が出る確率」、つまり「コインの裏表が入れ替わる頻度」が期待値(0.5)に対して異様に高くなるらしい。

ギャンブルに「流れ」はあるか、物語を作る生き物、煮つめられた人生 - 吹風日記

これはギャンブラーの誤謬と呼ばれる現象があらわれたものと見ることができる。ギャンブラーの誤謬とは「表が連続しているから、そろそろ裏が出るはず」というように、実際には独立な事象に対して「確率の揺り戻し」があると考えてしまうバイアスのことだ。このバイアスによって、裏と表の連続が必要以上にぶつ切りにされてしまうわけである。

引用したブログでは、人間は「何回も連続して何かがおこること」の発生確率を実際より少なく見積もるので、単なる乱数列のゲーム結果に対して「流れ」や「ツキ」を見いだしてしまうのではないかと結論している。これは「ホットハンド理論」と呼ばれるものと強く関連したもので、非常に重要な指摘であるように思う。

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手前でも適当にコードを書いて作ってみたが、たしかに上の「正しいコイントス(表裏の入れ替わり確率50%)」よりも下の「入れ替わり過剰なコイントス(表裏の入れ替わり確率65%)」のほうが自然なように感じた。

「期待される頻度」に寄る傾向

人間が書いた乱数コイントスの裏表の頻度はだいたい50:50になる、と書いたが、実はここでも、人間乱数と正しい乱数の齟齬がある。コイントスを100回くらいやると、40%くらいの確率で裏表に10個以上の差がつく(45:55/55:45以上に偏る)のだが、人間乱数ではあまりこういったことは起こらず、50:50に近い出現頻度をとりがちである、という性質があるのだ。

この現象は、コイントスよりもちょっと複雑なタスク、「サイコロの目(1~6)を適当に並べて書いてください」を人間にお願いしたとき顕著に見えるようだ。

http://blog.livedoor.jp/lunarmodule7/archives/4523745.html

引用したページでの

F1: 全体で出た目の回数のχ2値(5.0)

がこれにあたるもので、だいたい「頻度の期待値(1/6)への近さ」を表している。これが理論値に対して人間乱数が半分ほどの値を取っていることからも、人間乱数の均等すぎるという性質が見えてくる。

これは小数の法則と呼ばれるバイアスに関連した現象のようである。「小数の法則」は、数学の定理である「大数の法則」をもじったもので、大数の法則が「無限回試行を繰り返せば頻度は期待値に一致する」(意訳)のに対して、「試行回数が少ない場合でも、頻度が期待値に近くないと不自然に感じるバイアス」のことだそうだ。

人間の思う乱数と実際の乱数がズレるそもそもの理由

ここまでで「連続するイベントを切りがち」「出現頻度を過剰に期待値に寄せがち」という二つの人間乱数の特徴を紹介した。じゃあ、なんで人間はそんなに乱数作るの苦手なんだよ、と考えると、どうも(進化の過程で遭遇してきた)現実世界のイベントはたいてい独立事象じゃないからというのが説としてあるようだ。以下の論文を参照した。

Frontiers | The Gambler’s Fallacy: A Basic Inhibitory Process? | Psychology

該当箇所を引用しよう。

The answer may stem from the probabilities associated with particular events and outcomes in both the real world and the casino. In a casino, outcomes are designed to be random whereas in the real world this is usually not the case. For example, when we developed the evolutionary account of IOR using the apple-picking scenario, we postulated that apple pickers inhibit an area of visual space, or perhaps an action associated with a just-picked-apple, in order to turn their attention to new locations and new apples. In fact, the probability of a new apple being in the same location as a just-picked-apple is zero (at least until next year). That is, the probability of event N + 1 is contingent on event N.

(中略)

The cognitive and neural systems that support performance in the real world cannot be expected to contribute to optimal outcomes in an artificial environment where the probabilities of one event are not contingent on previous events (i.e., the casino where outcomes are random).

例として「樹からリンゴを取ったら同じ場所からはリンゴが取れなくなる(N番目の状態とN+1番目の状態が相関している)」というのが挙げられている。
この例の妥当性は措くとして、まあ同じ独立事象が何回も繰り返されるようなことが自然界であるかと言われれば、たしかにあまりなさそうである。リンゴに限らずリソースは「取ると減る」ものなので、ブツ切り傾向と対応している……と言われればそうかもしれない。

最後の部分は「現実世界におけるパフォーマンスを支えるための認知/神経システムが、イベントが独立に発生する人工の環境(たとえば、カジノ)において最適な成果を出すとは期待できない」といったところ。
「イベント発生が独立でない世界(自然界)」で獲得したメソッドを「イベント発生が独立な世界(ギャンブル)」に持ち込んでしまっているから齟齬が生じるのだとすれば、人間の脳はその成り立ちのレベルでギャンブルに向いてないっぽい。

「人間の(一見)不合理に見える性質は、実は進化の過程で何かに適応した結果獲得したものである」をテーマに一冊、一般向けの本が出ていて、"The Rational Animal: How Evolution Made Us Smarter Than We Think" というのがそれ。邦訳が『きみの脳はなぜ「愚かな選択」をしてしまうのか 意思決定の進化論』というタイトルで出ていてパラパラと読んでみたところ、 実験でサルにも損失回避の性質があるなどのちょっとおもしろそうなトピックがのっていた。

人間のもつバイアスと成長

ではこれらの乱数へのバイアスを人間が「生まれたときから持ってる」のかそれとも「成長するうちに獲得する」のかというと、これは一口には言えないようだ。

人間乱数とは少し話題が逸れるが、確率に関するいろいろな問題をGrade 5, 7, 9, 11の学生(小5、中1、中3、高2にだいたい対応)に回答させた研究があって、成長にしたがって減少するバイアスと、成長にしたがって増加するバイアスがあるようだ。

The Evolution with Age of Probabilistic, Intuitively Based Misconceptions on JSTOR

成長して増大するバイアスの中で特に劇的なのが、

Q コインを3枚投げてうち2枚以上が表である確率は、コインを300枚投げてうち200枚以上が表である確率と比べて
① 小さい
②同じ
③大きい

という問題。
正解は「③大きい」なのだが、成長するにしたがって②が増え、③が減るというバイアスの強化がおこっている。子どもの頃は間違えなかった問題を成長するにつれ間違えるようになっていくというのはとても奇妙な印象を受ける。

もうひとつが「Time axis fallacy」と呼ばれるもの(あるいは同型の問題であるモンティホール・ジレンマのほうが通りがいいかもしれない)で、

AさんとBさんが、それぞれ白い石と黒い石が2つずつ入った箱をもらいました。

Q1 Aさんが箱から石をひとつ引くと、白い石でした。石を箱に戻さずに次の石を引いたとき、白い石が出る確率は、黒い石が出る確率よりも
① 小さい
②同じ
③大きい

Q2 Bさんは箱から石をひとつ引いて、色を見ずに脇に置きました。二つ目の石を引くと、白い石でした。一つ目の石が白い石だった確率は、黒い石だった確率よりも
① 小さい
②同じ
③大きい

という問題。

正解は「Q1. ①小さい、Q2. ①小さい」なのだが、成長するにしたがって、Q2のほうで②同じの回答が増えるというバイアスの強化がおこっている。

Q1. については言わずもがなだが、Q2. で「②同じ」と回答してしまうのは「後に引いた石の色が前に引いた石の色に影響を及ぼすはずがない」という考えにミスリードされるから、という説明がなされているようだ。(実際は二つ目の石の色が何だったかという「手がかり」が与えられることで、一つ目の石の色をより正確に予想できるようになる。)

こうした因果関係を過信(?)する傾向が年齢とともに高まって問題を間違えやすくなるのはおもしろい。

人間乱数と成長

人間乱数そのものについても8歳と10歳に0~9の乱数列を書かせてみた研究があるようだ。

An exploration of random generation among children

TPIって指標(相関が強ければ強いほど大きくなる)が8歳から10歳になると大きくなっていて、成長にしたがって「正しい乱数からのズレが拡大している」のがわかる。

「ある数字を書いた後に次にどの数字を書いたか」のグラフが以下のものだ。
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グラフは「前の数字との差」を示していて、5の次に6を書いたら1、5の次に0を書いたら-5、ということになる。最も大きな山が立つべき0の部分に、逆に大きな谷があるので「同じ数字の連続」が異様に避けられているのが読み取れる(どうせなら、iからjへの遷移確率の行列をそのまま描いてほしいが……)。
8歳の+1の部分に大きなピークがあるのも要注目で、数を習って間もない8歳児がついつい「4567……」のような連続して1ずつ増えるシークエンスを書いちゃっているということで、ほほえましい。

逆にバイアスにあわせる

上で紹介したブログで、ファイアーエムブレムの確率表示のかなり興味深い工夫が書かれている。

たとえば、ファイアーエムブレムシリーズの封印の剣蒼炎の軌跡新・暗黒竜と光の剣では、攻撃命中率が表示されるにも関わらず実際の命中確率は、表示が50%以上の時には表示よりも高く、表示が50%以下の時には表示よりも低くなるように調整されている。これにより、90%なのにやたら攻撃が外れるとかいうプレイヤーの不満を減じることができる。

これは「ブツ切り」とも「平均化」とも明らかに違ったもので、「90%と言われたとき、90%以上の確率を想像してしまう」ような認知バイアスがあるようだ。

そういえば、ポケットモンスターのゲームは表記通りの確率を用いているが、「ねむりごなは表記75%だけど絶対そんなに当たってない」「ハイドロポンプの80%はウソ」といった「表示されている確率と体感確率が違う」話がよく聞かれる。

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背後には「重要な局面での高命中技の失敗」「ダメ元でやった低命中技での逆転劇」などが印象的で記憶に残りやすい、といったバイアスもありそうではある。

実装した例は知らないが、たとえばゲームにおけるアイテムのドロップ率を「人間乱数にあわせた(自然な印象をうける)ものにする」ことは可能なはずだ。
1%の確率でドロップするアイテムがあるとしよう。直感的には「100回チャンスがあったら出そう」と思いがちだが、100回やって1%のものが出る確率は実は63%程度しかない(期待値は1になるが、これは2回以上ドロップした人によって値が押し上げられているため)。
はじめのほうのドロップ率を1%以下にして、以後は試行回数にしたがってドロップ率が上昇するように設計すると、(2回以上ドロップする確率を押し下げることで)期待値を保ったまま「100回チャンスがあったらだいたい出る」ようなアイテムドロップが実装できるはずである。

かつてソーシャルゲームの有料ガチャの確率操作が問題になっていたが、これは公平性の問題であって、確率カーブをいじいじすること自体が悪なわけではない。
競技むけのゲームでもない限り、コンシューマゲームの「人間向けにチューニングした「快適な」確率」はどんどん工夫をこらしてやっていいと思うし、そういった話をいろいろ聞いてみたい。

追記
記事を公開して、「ランダムエンカウントのゲームで、戦闘後、一定歩数までエンカウント率を0にするという工夫はこれに当たるのではないか」との指摘をいただいた。これを実装しているという話はけっこう聞くように思う。
敵の出現確率が定数なら「戦闘後すぐに次のバトルがはじまる」ことも当然あり得るのだが、これを人間が「不自然」と感じるのももっともかもしれない(なぜなら現実界での「敵の分布」は一様ではないので)。
ただ、単にすぐ次のバトルがはじまるのは煩わしいのでユーザーエクスペリエンスを損なう、という側面もあるだろうとは思う。

シンボルエンカウントのゲームでは敵は「ある広さのエリアごとに一匹」というふうに配置されることが多く、これが生き物の「縄張り」と対応していると見ると、ある意味「自然な配置」かもしれない。

メダルゲームと標本平均の収束

「人間が自然に感じるように」とも「利益を最大化するように」とも別の方向で確率の動的な操作を行ってきたゲームのジャンルがあって、メダルゲームである。
http://iroirogames.blog.jp/archives/8921473.html

メダルゲームの機械には、週とか日の単位であんまり成績にバラツキが出てほしくないという事情があるそうだ。
ここでいう成績というのはペイアウト(投入するメダルの割合に対する放出するメダルの割合)のことで、これが日によらず一定になってほしい、とのこと。ギャンブルと違って公平性を厳密に守る必要もないので、履歴に応じた確率操作を行ってパフォーマンスを安定させているのである。

ある時間単位で頻度が過度に期待値に近づくわけで、傾向としてはまさに「小数の法則」に対応する。

日単位で収束することを利用して、一日中記録をとって閉店間際に勝てるかどうか予測できる(あるいは、予測して勝った)という話を聞いたことがあるが、ここまでくると眉唾ではある。

バイアスが強化される可能性

ゲーム内で使う人間向け確率なり、メダルゲームの収束機なりによって「チューニングされた確率」に慣れちゃうと、逆にふつうの乱数へ持つ違和感が今以上に増大する可能性はありそうだ。ほどほどにしたほうがいいかも。

どうでもいい話

中にコンピュータと可動おもりをいれて確率のある程度の操作を可能にした、「人間乱数実装サイコロ」ができたらちょっとおもしろいかもしれない。

「対戦チンチロリン」というゲームがあって、プログラムにおけるサイコロの実装が非常にまずくて

「1,3,4,6」の出る確率がそれぞれ1/8、「2,5」の出る確率が2/8になっている

とのこと。
対戦チンチロリン - ゲームカタログ@Wiki ~名作からクソゲーまで~ - アットウィキ
このゲームの場合は残念ながらまごうことなきバグでクソゲーになっちゃったようだが、既存の「同様に確からしい確率」を前提にしていたゲームの中には、確率を変えることでガラリとゲーム性を変えるようなものがあるかもしれないと思う。

確率の話とは少し離れるが、私はゲームで「50回戦闘したな~」と思ったとき、カウントをみるとだいたい30回もいってない、という経験がよくある。常に過剰な見積もりをしてしまうこれにも、何か変なバイアスがかかっている気がする。

井戸とグーグルホームの話

堕落のすすめ

 水道が普及するまえ、井戸を使っていた人々は、毎日家から離れた井戸まで水を汲みにいっていたわけである。たぶん彼らはそれを「めんどくさい」と感じていたとしても「不便」とは感じていなかったんじゃないか、と私は思っていて、生活に絶対必要な動作に不便もクソもないからである。
 ただし、水道が普及したとたんに「水道がないのは不便」になるわけだ。

 私は半年ほど前からGoogleスマートスピーカーグーグルホームを使っていている。最近よく「グーグルホームがないのは不便」と感じるようになってきた。

 井戸が水道への転換は、たくさんの人々を日々の苦役から解放した偉大な進歩だったことと思う。水道の普及は、無駄な時間、無駄な労力を軽減したのである。
 グーグルホームは違う。日常に実は存在していた、しょーもないささいなコストが軽減されるだけである。しかし、これらのコストはひとたび軽減された後は、水道に慣れると「井戸は不便」と思うようになるのと同じく(?)、しょーもないささいなもののくせに、日常生活でその存在/非在を主張するようになってしまう。

 これから話すのは、スマートスピーカーによる堕落のすすめである。
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クソデカいマカロン

失ってはじめて気づいた、○○がコストだったこと

 グーグルホームを使うようになって気づいた、日常生活にひそむ「実はコストだったこと」を、改善されてよかったな〜順で挙げてみる。

  • 照明や家電をリモコン/スイッチで操作すること
    だいたいリモコンやスイッチを触っているときって、「リモコンやスイッチで操作する」以外のことはなにもしていない。あたりまえじゃんって思うかもしれないけど、これってそこまであたりまえではなくて、「そろそろ眠くなってきたなあ」と思ったときに布団の中でスマホいじりながら照明を落としてエアコンを切ることができる。「ながら操作」ができるのはスマートスピーカーの重要ポイントのひとつ。

  • 料理中にタイマーをしかけること
    包丁で何かを切って鍋に投入してタイマーをセット……とか、調理しているときというのはだいたい手がよごれていて、いったんタオルで拭いてからタイマーの操作をするものである。「オッケーグーグル、3分タイマー」と言うだけだと、手を拭かなくていい。

  • 目覚まし時計をセットすること
    目覚まし時計の時間のセットってめんどくさくて、「分」とか「時」とか書いたボタンを大量に押す必要があったりする。特に昼寝したいときにいつもの朝向けの設定から変えるのは億劫である。
    グーグルホームなら、「オッケーグーグル、七時半に起こして」って言ったら一発である。
    あと、目覚ましをしかけてたのに起きたら時間過ぎてて目覚ましもなぜかオフになってる(寝ぼけて切って二度寝して忘れてる)やつが、グーグルホームのアラームにしてからはなくなった。こいつを止めるにはスイッチは存在せず「オッケーグーグル、止めて」などと発声する必要があるのだが、意外とこの発声が覚醒に役立つらしい。
    ちなみにその前は目覚まし時計を高いところに置くなどの工夫をしていた(この場合、立たないと止められないため)。

  • 朝おきて時計を確認するために目をあけること
    時計を見るのって目をあけないといけないんですよ。知ってました? 起きてすぐって目を開けるのつらいけど、でも今何時か知りたいから時計を見たい。ジレンマですね。配置によっては体の向きも変えないといけない。メガネをかけなきゃいけない人だっているでしょう。
    「オッケーグーグル、今何時?」だけで目をつむったまま時間がわかる。そう、グーグルホームならね。

むすび

 これを読んだ人もまだそんなのは別にコストじゃないじゃんと思っているかもしれないけど、実際使ってみて「これ、やらなくてよかったんだ!」と気づいたらもどるのが億劫になる。
 世の人が気づいていない「不便」を見つけて解消する発明って大事だなあ、なんて殊勝なことを考える。ここに挙げたのはしょうもないものばかりだし、よく記事で紹介されてるものにも生活を一変させるようなのは何一つないけれど、いくらしょうもないコストでもそれが減るのは人生を豊かにする……かもしれない。
 あと、うちの照明やエアコンはスマート家電なんて上等なものではないので、Google Home からの出力を IFTTT(いろんなサービスを中継するネットサービス)で受けて、ラズベリーパイ(ちっこいパソコン)とIRmagician(パソコン用の赤外線リモコンキット)を組み合わせたのに送り、そこから操作している。
 持っていると「これ実は音声で操作できるようにしたら楽なんじゃないの」とアイデアがわいてきて、自分でスクリプトが組めるなら、精度のいい音声入力ガジェットとしていろいろ遊べるいいオモチャだと思う。だらけるためには、多少のめんどくささは我慢。

メディア依存コンテンツと、Vtuberのフロンティア

メディアとコンテンツ

 私はKindleiPadを持っていて、紙の書籍しかない・紙のほうが安い・電子版が出るのを待ちきれない・とにかく物理書籍がほしい〜!!! と思うとき以外はだいたい電子で本を買う。最終的な割合は半々くらいになる。

 これまでの記事でもいくつか書いてきたが、私には「メディアにあわせたおもしろい試みのコンテンツが見たい」という気持ちがあって、たとえば電子書籍だとハイパーリンクがいっぱい貼ってあったり、いつのまにか内容が変わっていたり、なんか動いたりするような異物がもっとあってもいいと常々思っている。

 漫画の場合、フリーで公開されている「有害無罪玩具」というのがいろいろと新奇な試みをしていて、舌を巻いた。これはおもしろい。

有害無罪玩具

 ただし、むやみやたらに「そのメディアでしかできないこと」をやったらいいかというと、もちろんそうではない。これはけものフレンズのBDについてた監督インタビューに書いていたことなのだけれど、3Dアニメーションで何かを作るとなったとき、2Dから来たクリエイターは必要以上にカメラを回したがる、とのこと。2Dではカメラが気軽に回せないから。特に意味もなくカメラが回るとすれば、たぶんそれはダサい。

 電子書籍メディアで文芸の新しい試みを見たい! にも、そういうダサさはついて回るように思う。新しいと思ったものが実は近い世界ではとっくにもっと高いレベルで発展・成熟したものだった、ということも多いだろう。たとえばパソコン/ゲームは電子書籍が一般的になるずっと以前からあったわけで、デジタル界独自の(テキスト的な)ストーリーテリングの手法は、インタラクティブ性や物語の構造という点において、アドベンチャーゲームに一日の長があるのは間違いない。

 かといって、既存メディアでやっていたことが新しいメディアで少し形をかえて再演されることに価値がないかというと当然そんなことはなくて、メディアを変えて花開く分野だって多いに違いない。

 そういったことは頭の片隅に置いたうえで、でもやっぱり、新しいメディアの特長をいかした演出というのはガンガンやってほしいし、ガンガン見たい。特に発展途上のメディアでは、そうした試みはそのメディアの可能性をグッと広げるポテンシャルがあるように感じられて、見ていてうれしくなる。なにより面白い。

 今回の記事では、Vtuberというメディアで、Vtuberにしかできない、Vtuberの可能性を広げるフロンティアをいくつか紹介したい。

Vtuberのフロンティア

 Vtuberの最前線を考えるため、実写Youtuberを参照点にしてみよう。両者の差違と、その特異性をコンテンツに昇華した動画/Vtuberを紹介していく。

①距離

 誰かをゲストに呼んでインタビューする企画を考えてみる。
 実写の場合はたいてい、実際にその人がいるところに行く・あるいはどこかに来てもらう、ということになる。 手間がかかるし、距離が離れていると困難でもある。
 VRの場合は「VR空間で待ち合わせ」すればいいだけなので、軽いフットワークでのインタビュー企画ができる。
 (実写の場合でも電話インタビューなら遠隔でも可能だが、「アバターが同じ空間にいる」感覚はむずかしい)

 というわけで、ひとつめの観点が「インタビュー・対談の手段としての可能性」である。
 これは各種Vtuberのいわゆるところの「コラボ動画」にも言えることで、気軽に同じ空間を共有できるのが特徴である。

本山らののバーチャルラノベ読書会 第1回
www.youtube.com

 上に挙げた動画は、ラノベ好きバーチャルYouTuber・本山らののチャンネルの生放送企画で、Vtuberがラノベ作家をゲストに招いた企画を行っている。

②仮面

 引き続き「インタビュー・対談の手段としての可能性」の話。
 実写でないのでゲスト側も顔出ししなくてよい。これは非常に大きな要素である。
 というのも「顔出ししなくてよい」というのは顔を隠したいだとか、そういう話をはるかにこえた気軽さを生み出すものなのだ。
 べつに撮影準備に部屋を片付ける必要もないし、化粧をしたり髭を剃ったりと身だしなみを整えなくてもいい。なんならパジャマでもいい。
 FaceRig が何もかもを覆い隠す完璧な仮面をつけてくれる。

③身体

 「新しい形のゲーム実況の可能性」の話。
 ふつうのゲーム実況では、プレイヤーとプレイアブルキャラクターは別ものである。
 たいていのゲームではこれは実写のYoutuberもVtuberも同じなのだが、一部VRゲームについては状況が変わってきている。

【Beat Saber】世界ランキング100位以内に入るまでやめません【おめシス卿の覚醒】
www.youtube.com

 こちらはバーチャル双子YouTuber、おめがシスターズの動画。普段から2人でかけあいながら様々な企画を行っている。Beat Saberは流れてくるノーツを剣で斬るという斬新なゲームで、VR用のコントローラーで実際に身体を動かしてプレイする。Modを入れることでVRChatのアバターが使用可能。

 「配信に使っている3Dモデルをそのまま使えるゲーム」の場合、ゲームによっては実況者とキャラクターは不可分になりうる。
 配信者その人がゲーム空間内にいるわけで、実写にはない奇妙な味がでてくる。

④オブジェクト

 VR空間では物体の創造が現実に比べてはるかに容易で、安価で、無制限である。
 「現実には不可能な物体を使った企画の可能性」の話。

第02回 バーチャル巨大幼女怪獣 大ピンチです!
www.youtube.com

 こちらはバーチャル巨大幼女怪獣、たいらんくんの動画。普段から人類のみなさんと不器用な交流をする動画をアップしている。ビルをたくさん作って踏みつぶして歩くこともできるし、ビームでなぎ払うこともできる。現実では、なかなかできない。

【08小隊】輝き撃ちは盾の上なのか3Dで検証してみた
www.youtube.com

 同じくおめがシスターズの動画。アニメのとあるカットを3Dで検証している。ガンダムを実際にいろいろ動かして配置を検討する。

VRアカデミア】建築家って何? ヴィジオネールって?
www.youtube.com

 今回の記事で、いちばんみなさんに見てほしい動画。半分以上、この動画をみてほしいという気持ちでこの記事を書いた。
 バーチャル建築家「番匠カンナ」はVR世界の建築のパイオニアで、現実にある有名な建築物についてのデザインや技術の背景の話や、VR世界における建築のあらたな可能性について語る動画をいくるか投稿している。
 上の動画では、現実には建てられることのなかった18世紀建築家のアイデアスケッチが、VR世界で立派な建造物として姿をあらわす。
 この動画、単純にトピックがおもしろいのと、動画の緩急が見事で本当にびっくりする。絶対みてほしい。

可能性

 上の動画タイトルにもついている【VRアカデミア】というのは、いろいろな分野のひとびとが自分の専門分野・明るい分野について、Vtuberとして講義の形式の動画をアップして知の共有しよう、という自由参加のプロジェクトのようである。まだまだ人数も少なく発展途上で手さぐりしている印象だが、おもしろい試みだと思うし、規模が100倍くらいになってどんどん盛り上がってほしい。

 今回は「VRでしかできないこと」というテーマで記事をまとめていて、この視点から言えば、VRアカデミア自体は必ずしもその範疇ではなさそうである。じっさい塾講師や専門家の各種解説動画というのは実写のものが数多くある。
 VRアカデミアは、序言で述べた「VRでしかできないこと」にこだわりすぎていると陥る落とし穴のひとつ、「新しいメディアでの少し形をかえた再演が大きな価値がある可能性」のように思う。

 いまいちど、そうしたことを心に留めつつ、でもやっぱり、VRでしかできないことのフロンティアは、おもしろい。話が散らかってきたので今日はここまで。