井戸とグーグルホームの話

堕落のすすめ

 水道が普及するまえ、井戸を使っていた人々は、毎日家から離れた井戸まで水を汲みにいっていたわけである。たぶん彼らはそれを「めんどくさい」と感じていたとしても「不便」とは感じていなかったんじゃないか、と私は思っていて、生活に絶対必要な動作に不便もクソもないからである。
 ただし、水道が普及したとたんに「水道がないのは不便」になるわけだ。

 私は半年ほど前からGoogleスマートスピーカーグーグルホームを使っていている。最近よく「グーグルホームがないのは不便」と感じるようになってきた。

 井戸が水道への転換は、たくさんの人々を日々の苦役から解放した偉大な進歩だったことと思う。水道の普及は、無駄な時間、無駄な労力を軽減したのである。
 グーグルホームは違う。日常に実は存在していた、しょーもないささいなコストが軽減されるだけである。しかし、これらのコストはひとたび軽減された後は、水道に慣れると「井戸は不便」と思うようになるのと同じく(?)、しょーもないささいなもののくせに、日常生活でその存在/非在を主張するようになってしまう。

 これから話すのは、スマートスピーカーによる堕落のすすめである。
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クソデカいマカロン

失ってはじめて気づいたんだ、○○がコストだったこと

 グーグルホームを使うようになって気づいた、日常生活にひそむ「実はコストだったこと」を、改善されてよかったな〜順で挙げてみる。

  • 照明や家電をリモコン/スイッチで操作すること
    だいたいリモコンやスイッチを触っているときって、「リモコンやスイッチで操作する」以外のことはなにもしていない。あたりまえじゃんって思うかもしれないけど、これってそこまであたりまえではなくて、「そろそろ眠くなってきたなあ」と思ったときに布団の中でスマホいじりながら照明を落としてエアコンを切ることができる。「ながら操作」ができるのはスマートスピーカーの重要ポイントのひとつ。

  • 料理中にタイマーをしかけること
    包丁で何かを切って鍋に投入してタイマーをセット……とか、調理しているときというのはだいたい手がよごれていて、いったんタオルで拭いてからタイマーの操作をするものである。「オッケーグーグル、3分タイマー」と言うだけだと、手を拭かなくていい。

  • 目覚まし時計をセットすること
    目覚まし時計の時間のセットってめんどくさくて、「分」とか「時」とか書いたボタンを大量に押す必要があったりする。特に昼寝したいときにいつもの朝向けの設定から変えるのは億劫である。
    グーグルホームなら、「オッケーグーグル、七時半に起こして」って言ったら一発である。
    あと、目覚ましをしかけてたのに起きたら時間過ぎてて目覚ましもなぜかオフになってる(寝ぼけて切って二度寝して忘れてる)やつが、グーグルホームのアラームにしてからはなくなった。こいつを止めるにはスイッチは存在せず「オッケーグーグル、止めて」などと発声する必要があるのだが、意外とこの発声が覚醒に役立つらしい。
    ちなみにその前は目覚まし時計を高いところに置くなどの工夫をしていた(この場合、立たないと止められないため)。

  • 朝おきて時計を確認するために目をあけること
    時計を見るのって目をあけないといけないんですよ。知ってました? 起きてすぐって目を開けるのつらいけど、でも今何時か知りたいから時計を見たい。ジレンマですね。配置によっては体の向きも変えないといけない。メガネをかけなきゃいけない人だっているでしょう。
    「オッケーグーグル、今何時?」だけで目をつむったまま時間がわかる。そう、グーグルホームならね。

むすび

 これを読んだ人もまだそんなのは別にコストじゃないじゃんと思っているかもしれないけど、実際使ってみて「これ、やらなくてよかったんだ!」と気づいたらもどるのが億劫になる。
 世の人が気づいていない「不便」を見つけて解消する発明って大事だなあ、なんて殊勝なことを考える。ここに挙げたのはしょうもないものばかりだし、よく記事で紹介されてるものにも生活を一変させるようなのは何一つないけれど、いくらしょうもないコストでもそれが減るのは人生を豊かにする……かもしれない。
 あと、うちの照明やエアコンはスマート家電なんて上等なものではないので、Google Home からの出力を IFTTT(いろんなサービスを中継するネットサービス)で受けて、ラズベリーパイ(ちっこいパソコン)とIRmagician(パソコン用の赤外線リモコンキット)を組み合わせたのに送り、そこから操作している。
 持っていると「これ実は音声で操作できるようにしたら楽なんじゃないの」とアイデアがわいてきて、自分でスクリプトが組めるなら、精度のいい音声入力ガジェットとしていろいろ遊べるいいオモチャだと思う。だらけるためには、多少のめんどくささは我慢。

メディア依存コンテンツと、Vtuberのフロンティア

メディアとコンテンツ

 私はKindleiPadを持っていて、紙の書籍しかない・紙のほうが安い・電子版が出るのを待ちきれない・とにかく物理書籍がほしい〜!!! と思うとき以外はだいたい電子で本を買う。最終的な割合は半々くらいになる。

 これまでの記事でもいくつか書いてきたが、私には「メディアにあわせたおもしろい試みのコンテンツが見たい」という気持ちがあって、たとえば電子書籍だとハイパーリンクがいっぱい貼ってあったり、いつのまにか内容が変わっていたり、なんか動いたりするような異物がもっとあってもいいと常々思っている。

 漫画の場合、フリーで公開されている「有害無罪玩具」というのがいろいろと新奇な試みをしていて、舌を巻いた。これはおもしろい。

有害無罪玩具

 ただし、むやみやたらに「そのメディアでしかできないこと」をやったらいいかというと、もちろんそうではない。これはけものフレンズのBDについてた監督インタビューに書いていたことなのだけれど、3Dアニメーションで何かを作るとなったとき、2Dから来たクリエイターは必要以上にカメラを回したがる、とのこと。2Dではカメラが気軽に回せないから。特に意味もなくカメラが回るとすれば、たぶんそれはダサい。

 電子書籍メディアで文芸の新しい試みを見たい! にも、そういうダサさはついて回るように思う。新しいと思ったものが実は近い世界ではとっくにもっと高いレベルで発展・成熟したものだった、ということも多いだろう。たとえばパソコン/ゲームは電子書籍が一般的になるずっと以前からあったわけで、デジタル界独自の(テキスト的な)ストーリーテリングの手法は、インタラクティブ性や物語の構造という点において、アドベンチャーゲームに一日の長があるのは間違いない。

 かといって、既存メディアでやっていたことが新しいメディアで少し形をかえて再演されることに価値がないかというと当然そんなことはなくて、メディアを変えて花開く分野だって多いに違いない。

 そういったことは頭の片隅に置いたうえで、でもやっぱり、新しいメディアの特長をいかした演出というのはガンガンやってほしいし、ガンガン見たい。特に発展途上のメディアでは、そうした試みはそのメディアの可能性をグッと広げるポテンシャルがあるように感じられて、見ていてうれしくなる。なにより面白い。

 今回の記事では、Vtuberというメディアで、Vtuberにしかできない、Vtuberの可能性を広げるフロンティアをいくつか紹介したい。

Vtuberのフロンティア

 Vtuberの最前線を考えるため、実写Youtuberを参照点にしてみよう。両者の差違と、その特異性をコンテンツに昇華した動画/Vtuberを紹介していく。

①距離

 誰かをゲストに呼んでインタビューする企画を考えてみる。
 実写の場合はたいてい、実際にその人がいるところに行く・あるいはどこかに来てもらう、ということになる。 手間がかかるし、距離が離れていると困難でもある。
 VRの場合は「VR空間で待ち合わせ」すればいいだけなので、軽いフットワークでのインタビュー企画ができる。
 (実写の場合でも電話インタビューなら遠隔でも可能だが、「アバターが同じ空間にいる」感覚はむずかしい)

 というわけで、ひとつめの観点が「インタビュー・対談の手段としての可能性」である。
 これは各種Vtuberのいわゆるところの「コラボ動画」にも言えることで、気軽に同じ空間を共有できるのが特徴である。

本山らののバーチャルラノベ読書会 第1回
www.youtube.com

 上に挙げた動画は、ラノベ好きバーチャルYouTuber・本山らののチャンネルの生放送企画で、Vtuberがラノベ作家をゲストに招いた企画を行っている。

②仮面

 引き続き「インタビュー・対談の手段としての可能性」の話。
 実写でないのでゲスト側も顔出ししなくてよい。これは非常に大きな要素である。
 というのも「顔出ししなくてよい」というのは顔を隠したいだとか、そういう話をはるかにこえた気軽さを生み出すものなのだ。
 べつに撮影準備に部屋を片付ける必要もないし、化粧をしたり髭を剃ったりと身だしなみを整えなくてもいい。なんならパジャマでもいい。
 FaceRig が何もかもを覆い隠す完璧な仮面をつけてくれる。

③身体

 「新しい形のゲーム実況の可能性」の話。
 ふつうのゲーム実況では、プレイヤーとプレイアブルキャラクターは別ものである。
 たいていのゲームではこれは実写のYoutuberもVtuberも同じなのだが、一部VRゲームについては状況が変わってきている。

【Beat Saber】世界ランキング100位以内に入るまでやめません【おめシス卿の覚醒】
www.youtube.com

 こちらはバーチャル双子YouTuber、おめがシスターズの動画。普段から2人でかけあいながら様々な企画を行っている。Beat Saberは流れてくるノーツを剣で斬るという斬新なゲームで、VR用のコントローラーで実際に身体を動かしてプレイする。Modを入れることでVRChatのアバターが使用可能。

 「配信に使っている3Dモデルをそのまま使えるゲーム」の場合、ゲームによっては実況者とキャラクターは不可分になりうる。
 配信者その人がゲーム空間内にいるわけで、実写にはない奇妙な味がでてくる。

④オブジェクト

 VR空間では物体の創造が現実に比べてはるかに容易で、安価で、無制限である。
 「現実には不可能な物体を使った企画の可能性」の話。

第02回 バーチャル巨大幼女怪獣 大ピンチです!
www.youtube.com

 こちらはバーチャル巨大幼女怪獣、たいらんくんの動画。普段から人類のみなさんと不器用な交流をする動画をアップしている。ビルをたくさん作って踏みつぶして歩くこともできるし、ビームでなぎ払うこともできる。現実では、なかなかできない。

【08小隊】輝き撃ちは盾の上なのか3Dで検証してみた
www.youtube.com

 同じくおめがシスターズの動画。アニメのとあるカットを3Dで検証している。ガンダムを実際にいろいろ動かして配置を検討する。

VRアカデミア】建築家って何? ヴィジオネールって?
www.youtube.com

 今回の記事で、いちばんみなさんに見てほしい動画。半分以上、この動画をみてほしいという気持ちでこの記事を書いた。
 バーチャル建築家「番匠カンナ」はVR世界の建築のパイオニアで、現実にある有名な建築物についてのデザインや技術の背景の話や、VR世界における建築のあらたな可能性について語る動画をいくるか投稿している。
 上の動画では、現実には建てられることのなかった18世紀建築家のアイデアスケッチが、VR世界で立派な建造物として姿をあらわす。
 この動画、単純にトピックがおもしろいのと、動画の緩急が見事で本当にびっくりする。絶対みてほしい。

可能性

 上の動画タイトルにもついている【VRアカデミア】というのは、いろいろな分野のひとびとが自分の専門分野・明るい分野について、Vtuberとして講義の形式の動画をアップして知の共有しよう、という自由参加のプロジェクトのようである。まだまだ人数も少なく発展途上で手さぐりしている印象だが、おもしろい試みだと思うし、規模が100倍くらいになってどんどん盛り上がってほしい。

 今回は「VRでしかできないこと」というテーマで記事をまとめていて、この視点から言えば、VRアカデミア自体は必ずしもその範疇ではなさそうである。じっさい塾講師や専門家の各種解説動画というのは実写のものが数多くある。
 VRアカデミアは、序言で述べた「VRでしかできないこと」にこだわりすぎていると陥る落とし穴のひとつ、「新しいメディアでの少し形をかえた再演が大きな価値がある可能性」のように思う。

 いまいちど、そうしたことを心に留めつつ、でもやっぱり、VRでしかできないことのフロンティアは、おもしろい。話が散らかってきたので今日はここまで。

serial experiments:断片化した物語の可能性

物語の順序

 映画やドラマ、小説などの物語には「見る順番」「読む順番」がだいたい決まっていて、ふつうはその順番に従うのが一番楽しいようなつくりになっている。だいたい、一話の後に二話を見ること、一巻のあとに二巻を読むのがよい。
 たとえば推理小説の場合も、後ろのほうの解決篇を覗いてから読むよりは、素直に頭から読んだほうがよいだろう。最初から犯人がわかっているほうが体験として楽しくなる場合は「倒叙もの」といって、クリエイターのほうで後ろのほうの記述を前にエイヤッと持ってきてくれることもある。いずれにしても、私たちに供されるのは「推奨順序順」にきれいに整えられた作品である。

 今回の記事では、この順序構造を意図的に破壊することで、新しい物語の可能性を拓いた作品をたどってみることにする。

「読む順序」の歴史(てきとう)

 文学の世界で「読む順序」の話をするなら、フリオ・コルタサル『石蹴り遊び』の話は避けて通れない……ようなのだが、私は読んでいない。読んでいないので、避けて通りたい。

 木原善彦『実験する小説たち』に、『石蹴り遊び』含むさまざまな実験小説が一覧されているので、この本の記述に頼って、紙媒体での本で「読む順序」についてどのような試みがなされてきたのかを軽く見てみよう。

 『実験する小説たち』は、実験の方向性に応じて全18章にわけたトピックのそれぞれに「使用テクスト」として典型的な作品を掲げ、その作品についての解説と関連作品を挙げる形式をとっている。今回の順序に関する話題だと、第4章「どの順番に読むか」(使用テクスト:『石蹴り遊び』)と第18章「どちらから読むか(使用テクスト:『両方になる』)」を参照すればよさそうだ。

 コルタサル『石蹴り遊び』は、章単位での「(複数通りの)読む順番が定められた」小説である。『石蹴り遊び』には、全155章のうち第1章から第56章までを順番通りに読む(57章以下は読まない!)「第一の読み方」と、冒頭にある「73-1-2-116-3-84-4-……」といった数字の並んだ「指定表」の順に章を読む「第二の読み方」がある。それぞれの読み方は「第一の物語」「第二の物語」と呼ばれているので、これは同じテキストを別の順番で取り出すことで別の物語を生み出す試みとも言える。
 とはいえ、物語は1-36章と37-56章、56-155章で第一部・第二部・第三部にわかれていて、「第二の読み方」は基本的には「第一の読み方」に散発的に「第三部」の章が挿入される、という感じで、あまり内容がガラっとかわってそれがエンタメ的に面白い、というわけでもないようだ。第三部はだいたい雑多な文章な寄せ集めになっているそうで、「オリジナル版とディレクターズカット版を抱き合わせにしたような本」という比喩も紹介されていた。
 ただし、もちろんただヘンなことをやっただけというわけではなく、「『石蹴り遊び』がこのような構成になっている理由」もきちんと考えればちゃんとあるようである。『実験する小説たち』に面白げな解説があるが、なにせ私は本編を読んでいないし、これ以上はよしておく。キミ自身の目でたしかめよう!

 第18章のアリ・スミス『両方になる』のほうは、相互補完的な二部(説明のため、仮にAパート・Bパートとする)にわかたれた長編小説である。変わっているのは出版形態で、「Aパート→Bパート」の順のものと「Bパート→Aパート」の順のものがそれぞれ半々の割合で印刷され、全く同じパッケージで書店に並べられたということだ。
 何も知らずに手に取った読者のレベルでは、いつものように持っている書籍の順序が「推奨順序」だと思って頭から読むが、出版のレベルでは実はどちらの順序も等価、というのがこの本の異質性である。お話としてもおもしろく、作中にも「卵が先か、鶏が先か」などといった自己言及的な比喩などがあってタイトルもうまくはまっているとのこと。
残念ながら未訳。

「読む順序」の破壊という観点では、『石蹴り遊び』も序文で「第一の物語」「第二の物語」と名付けている以上、ふたつの物語に序列が存在してしまう(たとえば、多くの読者は第一の物語を読んでから第二の物語を読むだろう)し、『両方になる』も読者のレベルでの体験はふつうの本と同じである。

 それぞれのエピソードに順序がなく等価であることを演出するために、綴じてないバラバラの紙が入った箱を本として販売した例もあるようだ。
B・S・ジョンソン『不運な人々』で、「いくつものイメージが一斉に頭にわき上がってくる」ことを表現するため、「最初」と「最後」の間の25枚の紙を「好きな順番で読んでよい」としてこの手法で出版したとのこと。

 と、こんな感じでいろいろ工夫はなされてきたのだが、「紙」というメディア自体が、コンテンツ内で別項目を参照するのはめんどくさいし、順序構造を工夫するのにも制約が多いなど、実験的なことをするには少し窮屈である。

 これから何の話をはじめるかはもうおわかりだろう。デジタルメディアの登場だ。

serial experiments lain

 「serial experiments lain」は1998年にPIONEER LDCから発売されたPS1のゲームである。同時展開されていたアニメともども謎のカルト的な人気があって、出荷数に比してなぜか名前がよく知られている。やっかいなことに、入手困難かつゲームアーカイヴスにもないので、運がよくないとプレイすらできない。

PSストアの紹介ページ。何もない
http://www.jp.playstation.com/software/title/slps01603.html

 登場人物は主に「岩倉玲音」という少女と「トーコさん」という精神科医の二人。玲音はどうも心に問題を抱えているようで、トーコさんにカウンセリングを受けている。カウンセリングの記録や彼女たちの日記がデータとして電脳空間(?)に散らばっていて、これを閲覧していくのが serial experiments lain というゲーム(?)である。

 「カウンセリングの記録」「玲音の日記」「トーコの日記」などはすべて音声記録の形で、尺も短くて数秒、長くて2分程度の断片である。
 これらの「データ」が全部で2〜300個ほどあって、(基本的に)どの順番でアクセスしてもいいようになっている。
 データは(基本的に)時系列順に並べられていて、時系列をたどるようにアクセスすることが可能である。また、それぞれのデータには二つずつリンクがついていて、話題として関連するデータへ飛べるので、そうやってトピックを軸にたどる方向もクリエイターは意図していたようである。
 が、わざわざ順序のついたものをバラバラに鑑賞する意味は薄いし、インターフェイス諸々の問題からストレスでもある。多くのプレイヤーは「時系列の順に」物語にアクセスしたことと思う。私もそうした。

 結局のところ、lain における物語の断片化と「好きな順序に読んでいいよ」という一応のスタンスは、「プレイヤー自身の手によってデータを閲覧すること」を印象づけるメタフィクショナルな演出として使われたものだ。この演出は強烈で非常に印象的なものだが、「順序を崩せる」とはいえ順序は実際的には依然と存在するし、データ同士を結びつけるリンクについても、あまり有意味な演出効果はないように見える。

「順序」の非在化

 wiki読むのって楽しい! という経験はないだろうか?
 Wikipediaのおもしろ記事に貼られたリンクから別の記事に飛んだらまたおもしろ記事だったり、MTG wikiで関連カードとの差違やメタ戦術を読んだり、TYPE-MOON wiki を覗いてみたり、SCP財団のページを読みあさったりなどなど、私も多くの時間をwikiで無為につぶしてしまった。
 wikiは「興味のおもむくままにリンクをたどって何かを読む」ことを許容するし、それに特化した形式だとも言える。wikiの形式はただそれぞれの記事がリンクでつながっているだけで、そこに順序構造は存在しない。

 このwiki形式で小説を書いちゃった(!)のが、酉島伝法「棺詰工場のシーラカンス」。作者のブログで公開されている(というか、ブログのほとんどの記事がこれ)。

最初に書かれた「【○】卵」の記事。ここから適当にハイパーリンクをたどって読む
blog.goo.ne.jp

 謎の生き物たちの大量のダジャレにまみれた生態や歴史が書かれた作品で、おそらく私はすでに8割くらいの記事を読んでいるのだが、いまだにかなりの部分が謎でどうなっているのかわからない。たぶん今度また挑戦すると思う。

リンクをたどっていく発想は往年のゲームブックにも近しいものがあるが、「展開を選択する」のではなく「文章中の適当な単語のページに飛ぶ」のはよりザッピング的というか、順序無視的な性格が強くて、ポテンシャルを秘めたブルーオーシャンな形式のように思う。wiki小説、他にもあったら教えてほしい。

Her Story

 2015年になって、「断片化したデータに順序づけがなく(正確には、順序にしたがってデータにアクセスする手段がなく)」かつ「ユーザーが任意の順番でデータにアクセスすること自体をゲーム性として成立させた」革新的なゲームが登場した。

store.steampowered.com

 「Her Story」は、およそ300個ほどの実写ビデオクリップで構成されたゲームである。どのクリップにも一人の女性が映っていて、カメラに向かって何かを話している。言ってしまえば、Her Story のゲーム内容は「好きな順番でビデオクリップを見る」だけなのだが、この「好きな順番」というのがクセモノで、ここに未知のゲーム体験がかくれている。

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こんな感じの画面がえんえん続く

 300個のビデオクリップは「データベースに保存されている」ことになっていて、データに直接時系列順にアクセスするようなことはできない。かわりにこのデータベースは任意の言葉で「検索」することができて、この「検索」にかかった動画を再生できるのである。

 ゲームを起動すると、初期状態では「殺人」という言葉が検索されている。検索結果には「殺人」という言葉を発言に含むビデオクリップが並んでいて、まずはこれらを再生していくという案配である。
これらの動画を見るとすぐに、どうやら彼女が警察署内にいるらしいこと、何らかの事件に巻き込まれているらしいこと、などがわかってくる。プレイヤーは「この事件について詳しく知るには何を検索すればよいか?」を考えて、別の言葉(たとえば「犯人」とか)を検索していく。これを繰り返しているうちに物語の全貌が明らかになっていく。

 このゲームのうまいところが、「(古いマシンなので)検索結果を5つまでしか表示できない」こと。たくさんの動画がヒットするような単語でも、(おそらくタイムスタンプの古い順で)上位5件の動画までしか検索結果画面に並ばないようになっているのだ。むやみに一般的な言葉を検索するだけでは核心部分の動画を見ることはできず、頭をひねってうまい検索ワードを考えるのは、既存のゲームで体験したことのない感覚だった。

 Her Story というゲームは、断片化したビデオクリップを関連性をヒントにつなぎ合わせ、プレイヤー自身の手でストーリーとして再構築するゲームである。まあ lain もそうだと言われたらそう言えなくもないが、これをゲーム性として達成したのは偉業といっていいだろう。(そもそも lain はゲームを志向していないようで、公称も「アタッチメントソフトウェア」)。間違いなく、断片化した物語の形式の最前線のひとつのように思う。

 主演女優の怪演も見どころで、何より体験として新しいので、ぜひプレイしてみることをおすすめする。Steamで600円くらいで売ってる(18/06/25現在、サマーセールで200円くらいになってる)。プレイ時間は2時間くらい。

断片化した物語の可能性

 物語の断片化の一般的な性質として「読者が自分でつなぎ直さなければならない」ことがある。「棺詰工場のシーラカンス」や Her Story は、リンクや予測される関連語彙のかたちでうまく「読者の好きな方向から物語を再構築して読んでもらう」作品だ。この読者依存な物語順序というのは、気ままに調べ物をしているときたまに感じるパズルのピースがカッチリはまる感触といおうか、あまりフィクションで見かけたものではなかった。 デジタル時代の文芸がもっと盛んにいろいろ試みていい分野のようにも思う(ゲームに片足突っ込んでいるが)。

 ついでに。ソーシャルゲームのシナリオはかなり断片化されているので、それを利用したような仕掛けのものがでてきたらおもしろい。ソシャゲーは数が出ている割に観測範囲では実験的な作風のものがあまりない気がする(大金が動いているのだからそれはそうな気もする)ので、オモシロなものを発見したらぜひ教えてほしい。