2017年3月28日、一大ブームを引きおこした「けものフレンズ」が最終回を迎えた。
タイトル「けものフレンズ」とは何だったのか、作中で提示される「ヒトのなわばり」とはいったいどこなのか。シリーズ全体の構成を読み解きながら探っていきたい。
ジャンプ!
*ネタバレがあるので、未視聴者はブラウザバックを強く推奨する。
人類史としての「けものフレンズ」前半
「けものフレンズ」第一話で示されたストーリー前半部の目的はこうだ。
「〈サバンナ〉で目覚めた〈かばん〉は、自分がなんの動物なのかわからない。〈かばん〉は、自分の正体を調べるため、〈図書館〉を目指すことになる」
まずはこの構図について考えてみよう。
人類発祥の地はどこだろうか。〈サバンナ〉である。
〈図書館〉とはなんだろうか。人類知の集積、人類の積み上げてきた歴史の象徴といえるだろう。
では、〈サバンナ〉で生まれた〈ヒト〉が、〈図書館〉を目指す物語は? ヒトの歴史、人類史そのものだろう。
ヒトはサバンナで生まれた。
第一話でサバンナを出発、第七話で図書館に到着するまでの物語を第一部として、これを「人類史」という視点から、一話ずつ詳しくみていこう。
第一話 「さばんなちほー」 動物としてのヒト
第一話については、まだ三話放送前の段階で骨しゃぶり氏(id:honeshabri)によって書かれた秀逸な記事があるので、ぜひこちらに目を通していただきたい。
http://honeshabri.hatenablog.com/entry/kemono-friends
要約すると、第一話には
- (長距離を移動しても疲れない)持久力
- (紙飛行機を作る)手先の器用さ
- (紙飛行機を投げる)投擲能力
といった「動物としてのヒトの特徴」が示されている、というものだ。
「けものフレンズ」は、ヒトの歴史を描くうえで、はじめに動物としてのヒトとけものの分岐点、生物としてのつくりの違いを示している。
第二話 「じゃんぐるちほー」 自然とヒト
- 大きな川に飛び石を設置して、向こう岸に渡れるようにした。
川を渡るなら橋をかければいいのでは、と思いがちだが、橋が発明される以前には倒木や飛び石による渡河が行われていたと考えられており、ある意味で、より原始に立ち帰った解決になっている。
自然を征服するもの・自然の形を作り替えるものとしてのヒトの姿が描かれている。
第三話 「こうざん」 歌・いっしょにものを食べること・地上絵
- トキといっしょに歌った。
人類史上、音楽の中でも歌声は最も初期のものであると考えられる。歌は楽器を必要とせず、どこでも行える娯楽である。
歌が言語のもとになったのではないか、という仮説もある。
https://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/049/research_21_2.html
(リンク先:テナガザルの複雑な求愛のデュエットから言語の起源を考えよう、という霊長類学の一般向けの記事)
- トキといっしょにジャパリまんを食べた。
誰かといっしょにものを食べる、という行為について、「同じ釜の飯を食べる」という表現があるが、実はこれとほとんど同じ成り立ちの語が英語にもあって、"companion"(ともだち)は "com-"(ともに)と "panis"(パン)を組み合わせてできている。いっしょにものを食べる、という行為がヒトに特有のものなのかどうかはわからないが、コミュニケーションの方法という面で象徴的なシーンだといえるだろう。アルパカ・サーバルとの合流後にいっしょにお茶を飲むシーンも同様である。
柱の上で食べるジャパリまんはおいしい
- 喫茶の場所を示す大きな地上絵を描いた。
絵を描くという行為は、モデルから特徴的な要素のみを取り出す捨象の能力、それを二次元の平面に実際に描く器用さなどが求められる高度なものである。
動物がどのていど実際のモデルと抽象化された絵とを同一視できるかは興味深いところだ。少しおもしろいのが、ショウジョウトキは
「ここで何やってるの? 上から変なもの見えたんですけど。あと何か歌も聞こえたんですけど」
と発言していて、絵を見て「何か変なものがある」のはわかったものの、「カフェがあること」がわかったわけではないようである。
第四話 「さばくちほー」 文明再訪(通貨・ピクトグラム)
この回は少し特殊な立ち位置で、人類史を再演しているというより、かつてのヒトが遺したものを探訪することで、直接的にヒトの姿を描き出している。また、動物というには少し外れた枠のUMAのフレンズ、ツチノコが案内役を務めることで、一般のフレンズに説明させるには難しい話題にタッチしている。
- ジャパリコインを発見した。
かつてのジャパリパークの通貨、「ジャパリコイン」が発見される。言わずもがな、通貨は価値基準を統一する有用な発明である。
- 非常口のピクトグラムから出口を推測した。
〈かばん〉が非常口をさすピクトグラムから出口の位置を推測する。第三話の「喫茶を表す地上絵」が絵を描く能力だとすれば、こちらは他者によって描かれた絵を読み解く能力で、ちょうど対をなす構造になっている。
なお、この回にも「ジャパリまんを一緒にたべる」シーンがある。
第五話 「こはん」模型・分業・知識の伝達
- 家を作る前にまず模型を作ってみることを提案した。
- ビーバーとプレーリードッグに分業を提案した。
絵・ピクトグラムに連なる、モデルを抽象化した「模型」づくりの提案と、人員を得意なことに割り振ることで能率をあげる「分業」の提案、この二つが人類史上で大きな役割を果たしたのは確かだろう。
ここでは、これら二つそのものではなく、それが伝達される過程に目を向けたい。
第四話までの〈かばん〉の行動は、結果はともあれ、どれも意図が理解されることのないまま実行されてきていた経緯がある。飛び石作り然り、地上絵然り、非常口のピクトグラム然り、フレンズたちは〈かばん〉の提案に従うものの、その意図を理解するという構図にはなっていなかったのである。
第五話では、ビーバーからプレーリードッグへの「望んだ向きへの木の倒し方」の伝達などがあり、自分の知識をいかに他者に伝達するか、というテーマが通底している。
フレンズ界の匠たち
第六話 「へいげん」 戦い・スポーツ
- ライオンたちとヘラジカたちの争いに「ルール」を設けた。
侵略すること、戦うこともまたヒトの歴史である。それと同様、和平を結ぶこと、ルールをきめて楽しく争うこともまた、ヒトの歴史である。
たのしくあそぼう
第七話 「じゃぱりとしょかん」 文字・火・料理
- 文字を読んだ。
文字の前に「矢印」への反応も示されている。文字を扱う動物は人間のみであり、もちろん、知識の伝達・整理に役立つ重要な発明である。
ここで注意しておきたいのが、識字能力は後天的なものであって、フレンズは「読む能力がないから」読めないのではなく、ただ「知らないから」読めない、ということである。これまでにも出てきたヒトの特徴の多くは、後天的な学習によって得るもので、〈かばん〉は元となったものから経験を継承しているからこそ、そういったことができるのだ、ということには留意しておきたい。
- 火をおこし、加減を調整した。
- 料理を作った。
「火」、「料理」に関してはちょうどいい本があるので紹介したい。

- 作者: リチャード・ランガム,依田卓巳
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
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リチャード・ランガム『火の賜物―ヒトは料理で進化した』では、「料理によって消化に必要なエネルギーが減少し、その分のエネルギー余剰が知性の発達を促した」という説が紹介されている。「火」が「狩猟者」と「火の番」のような「分業」を生み出したのではないか、といったなかなか興味深い仮説が並ぶ良書である。興味を持たれた方はぜひ読んでみてほしい。
火の番をする〈かばん〉。帽子で隠れて表情が見えない。
また、前半の旅の終着点である第七話では、これまでの旅の答え合わせがなされる。
ハカセ「目立つ特徴としては、二足歩行、コミュニケーション能力、学習能力などがありますが、多様性があり、一言で言いにくい……とてもかわった動物です」
助手「群れる、長距離移動ができる、それなりの大型、いろいろと特徴がありますが、我々がたいへん興味深いのが、道具を作る・使うことです。このパークにあるさまざまな遺物は、すべてヒトが作ったとされています」
次なる目的地
さて、これにて、〈かばん〉は自らの正体「ヒト」を認識するに至り、当初の謎であった「自分は何のフレンズなのか」が解決されてしまう。ここから先の旅の目的はなんだろうか。それは、第七話での
サーバル「ねえハカセ、ヒトはパークのどこによくいるの?」
助手「ヒトはもう、いないのです」
ハカセ「ヒトはもう、絶滅したのです」
ハカセ「もしくは、私たちの知らないところに今もいるのか……」
サーバル「じゃあ、そこを見つけることだね!」
助手「いずれにせよ、ヒトに適した地方に行くのがよいのです」
にある通り、「〈ヒトのなわばり〉をさがすこと」だ。
ここまでの旅では「図書館」を到達点とした人類史の再演が行われている。人類の足跡をたどりおえたいま、八話以降の旅はそうではない。次なる目的地は「〈ヒトのなわばり〉」「海の向こう」といった漠然としたもので、ここからは先のわからない未来の物語がはじまるのである。
第一部が、自分とは、ヒトとは何であるのかを探求する内向きの旅であったとすれば、第二部は、自分の居場所はどこなのか、他の仲間はどこにいるのかを探求する、外向きの旅といえるだろう。
じっさい、「けものフレンズ」は前半部と後半部で物語の構造が大きく変化している。
まずは後半部の特徴的な性質を挙げてみよう。
後半部の特徴①:物語の定型性
後半部のひとつの特徴が、各話が定型的な性格を持っているというものだ。順番にみていこう。
第八話 「ぺぱぷらいぶ」
アイドルアニメの形式をとっている。誤解や不理解にもとづくメンバー同士の関係のトラブルがあり、なんやかんやして問題が解決して、最後は華々しいライブシーンで幕を閉じる。
てちてち
第九話 「ゆきやまちほー」
いわゆる「温泉回」の形式をとっている。前半でトラブルが解決され、後半は温泉でくつろぐパート、というよくある構成である。
第十話 「ろっじ」
推理モノ、それも館モノの形式をとっている。外界から隔離された館で事件が起き、探偵によって事件が解決される。
犯人は……
第十一話 「せるりあん」
バトルものの形式をとっている。強大な敵と立ち向かうため仲間と力をあわせ、作戦を練って敵を倒そうとする、という構成である。途中までうまくいくものの、結局作戦通りにはいかない。勝負の結末は第十二話に持ち越される。
後半部の特徴②:フレンズの「動物性」
前半部と後半部に見られる別の差異、フレンズたちの「動物性」にも着目してみよう。
物語の前半では、第一話の「サーバルのジャンプ」、第二話の「土をなめるシカ」、第五話の「木をガリガリとかじるビーバー・プレーリードッグ」、など、ヒト型の生物が行うには異常な行動の描写がところどころに挿入されている。フレンズたちの「動物的」な部分が押し出されているといえる。
ガリガリガリガリガリガリガリガリ……
物語後半ではこういった表現はなりを潜める。かわりに出てくるのが、第八話「ペンギンのアイドルユニットと熱狂的なファン」、第九話「ゲームをするキツネ」、第一〇話「漫画を描くオオカミ」といった、前半では考えられなかったレベルでの、フレンズたちの「人間的」な側面である。
先にゲームする!
〈ヒトのなわばり〉を模索する「けものフレンズ」後半
人間を描くとなれば、適しているのは人間の物語の定型だろう。アイドルに熱狂し、温泉でくつろぎ、ときには人を疑い、力をあわせて敵とたたかう――物語の定型がフレンズたちの人間性を引き立てる。
さあ、これで「〈かばん〉の居場所・〈ヒトのなわばり〉はどこか?」の問いに答える準備が整った。
サバンナ、ジャングル、高山、砂漠――いたるところにヒトの営みはあり、どこが「ヒトに適した地方」である、と明言するのは難しい。しかし、ここで「なわばり」とは何かに立ち返って考えてみると、逆説的に〈ヒトのなわばり〉とは、ヒトが住んでいるところ、ということになる。
ジャパリパーク内に厳密な意味での〈ヒトのなわばり〉は存在しないが、フレンズたちの人間性が示されたいま、ジャパリパーク内の、フレンズがいるいたるところが〈ヒトのなわばり〉へと転化する。
設問と回答
前半は、〈かばん〉が何の動物であるか、ヒトとは何であるかを探求するための旅である。対比するように、フレンズたちの「動物的」な部分がよく見えるようになっている。後半は、〈かばん〉が自らのなわばりを探す旅である。フレンズたちはより「人間的」に描かれる。
前半部の設問、「〈かばん〉は何の動物なのか?」の答え。「〈かばん〉の正体はヒト」が第七話の回答である。
後半部の設問、「〈かばん〉の居場所・〈ヒトのなわばり〉はどこか?」の答え。「ジャパリパーク内のいたるところが〈ヒトのなわばり〉である」
注意してほしいのが、ここでいう〈ヒト〉はフレンズの「人間性」をさしたもので、ホモ・サピエンスを意味するものではないということである。
「フレンズ」のための「けものフレンズ」最終話
さあ、いよいよ最終話に取りかかろう。
絶体絶命のピンチに、フクロウのハカセと助手がたくさんのフレンズを連れて駆けつけ、彼らに号令をかける。
ハカセ「さあ、さっさと野生解放するのです」
助手「我々の群れとしての強さを見せるのです」
全員集合!
ここでいう「群れ」とは何の「群れ」であろうか?
その答えは、後半部のストーリー展開でたっぷりと「人間性」を付与された、しかし強烈な「動物性」をも併せ持つ、野生解放した「フレンズ」の群れである。
ここにきて、かれらの動物的な面と人間的な面はひとつに統合され、オープニングテーマが高らかに響き、「けものフレンズ」という大きなタイトルロゴがあらわれる。かれらは「けもの」でもなく、「ヒト」でもなく、その双方の性質をもった「フレンズ」というひとつの群れである。
最終話では、〈かばん〉自身、単純に「ヒト」ではなく「ヒトのフレンズ」であったことが明らかになる。
ここに、〈かばん〉のいう〈ヒトのなわばり〉は、もはや〈フレンズのなわばり〉と言い換えたほうがよさそうである。
「けものフレンズ」は「フレンズ」たちの物語である。
船が沈んで外への〈ヒトのなわばり〉探しができなくなったことにそこまで執着していないように見えるのは当然で、〈かばん〉の居場所はもう見つかっているのだった。
ジャパリバスを改造した船での出発のシーンの〈かばん〉は、故郷を探すというより、故郷を旅立つ冒険者然としている。
〈かばん〉はボスとふたりで海原に漕ぎ出して――やっぱりついていくことにしたサーバルたちが合流して――居場所まるごと、まだ旅はつづくようだ。
エンドロール後の最後のカット。右下にうすく「つづく」の文字が見える
「けものフレンズ」本編からスクリーンショットと文字おこしで引用を行いました。
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