serial experiments:断片化した物語の可能性

物語の順序

 映画やドラマ、小説などの物語には「見る順番」「読む順番」がだいたい決まっていて、ふつうはその順番に従うのが一番楽しいようなつくりになっている。だいたい、一話の後に二話を見ること、一巻のあとに二巻を読むのがよい。
 たとえば推理小説の場合も、後ろのほうの解決篇を覗いてから読むよりは、素直に頭から読んだほうがよいだろう。最初から犯人がわかっているほうが体験として楽しくなる場合は「倒叙もの」といって、クリエイターのほうで後ろのほうの記述を前にエイヤッと持ってきてくれることもある。いずれにしても、私たちに供されるのは「推奨順序順」にきれいに整えられた作品である。

 今回の記事では、この順序構造を意図的に破壊することで、新しい物語の可能性を拓いた作品をたどってみることにする。

「読む順序」の歴史(てきとう)

 文学の世界で「読む順序」の話をするなら、フリオ・コルタサル『石蹴り遊び』の話は避けて通れない……ようなのだが、私は読んでいない。読んでいないので、避けて通りたい。

 木原善彦『実験する小説たち』に、『石蹴り遊び』含むさまざまな実験小説が一覧されているので、この本の記述に頼って、紙媒体での本で「読む順序」についてどのような試みがなされてきたのかを軽く見てみよう。

 『実験する小説たち』は、実験の方向性に応じて全18章にわけたトピックのそれぞれに「使用テクスト」として典型的な作品を掲げ、その作品についての解説と関連作品を挙げる形式をとっている。今回の順序に関する話題だと、第4章「どの順番に読むか」(使用テクスト:『石蹴り遊び』)と第18章「どちらから読むか(使用テクスト:『両方になる』)」を参照すればよさそうだ。

 コルタサル『石蹴り遊び』は、章単位での「(複数通りの)読む順番が定められた」小説である。『石蹴り遊び』には、全155章のうち第1章から第56章までを順番通りに読む(57章以下は読まない!)「第一の読み方」と、冒頭にある「73-1-2-116-3-84-4-……」といった数字の並んだ「指定表」の順に章を読む「第二の読み方」がある。それぞれの読み方は「第一の物語」「第二の物語」と呼ばれているので、これは同じテキストを別の順番で取り出すことで別の物語を生み出す試みとも言える。
 とはいえ、物語は1-36章と37-56章、56-155章で第一部・第二部・第三部にわかれていて、「第二の読み方」は基本的には「第一の読み方」に散発的に「第三部」の章が挿入される、という感じで、あまり内容がガラっとかわってそれがエンタメ的に面白い、というわけでもないようだ。第三部はだいたい雑多な文章な寄せ集めになっているそうで、「オリジナル版とディレクターズカット版を抱き合わせにしたような本」という比喩も紹介されていた。
 ただし、もちろんただヘンなことをやっただけというわけではなく、「『石蹴り遊び』がこのような構成になっている理由」もきちんと考えればちゃんとあるようである。『実験する小説たち』に面白げな解説があるが、なにせ私は本編を読んでいないし、これ以上はよしておく。キミ自身の目でたしかめよう!

 第18章のアリ・スミス『両方になる』のほうは、相互補完的な二部(説明のため、仮にAパート・Bパートとする)にわかたれた長編小説である。変わっているのは出版形態で、「Aパート→Bパート」の順のものと「Bパート→Aパート」の順のものがそれぞれ半々の割合で印刷され、全く同じパッケージで書店に並べられたということだ。
 何も知らずに手に取った読者のレベルでは、いつものように持っている書籍の順序が「推奨順序」だと思って頭から読むが、出版のレベルでは実はどちらの順序も等価、というのがこの本の異質性である。お話としてもおもしろく、作中にも「卵が先か、鶏が先か」などといった自己言及的な比喩などがあってタイトルもうまくはまっているとのこと。
残念ながら未訳。

「読む順序」の破壊という観点では、『石蹴り遊び』も序文で「第一の物語」「第二の物語」と名付けている以上、ふたつの物語に序列が存在してしまう(たとえば、多くの読者は第一の物語を読んでから第二の物語を読むだろう)し、『両方になる』も読者のレベルでの体験はふつうの本と同じである。

 それぞれのエピソードに順序がなく等価であることを演出するために、綴じてないバラバラの紙が入った箱を本として販売した例もあるようだ。
B・S・ジョンソン『不運な人々』で、「いくつものイメージが一斉に頭にわき上がってくる」ことを表現するため、「最初」と「最後」の間の25枚の紙を「好きな順番で読んでよい」としてこの手法で出版したとのこと。

 と、こんな感じでいろいろ工夫はなされてきたのだが、「紙」というメディア自体が、コンテンツ内で別項目を参照するのはめんどくさいし、順序構造を工夫するのにも制約が多いなど、実験的なことをするには少し窮屈である。

 これから何の話をはじめるかはもうおわかりだろう。デジタルメディアの登場だ。

serial experiments lain

 「serial experiments lain」は1998年にPIONEER LDCから発売されたPS1のゲームである。同時展開されていたアニメともども謎のカルト的な人気があって、出荷数に比してなぜか名前がよく知られている。やっかいなことに、入手困難かつゲームアーカイヴスにもないので、運がよくないとプレイすらできない。

PSストアの紹介ページ。何もない
http://www.jp.playstation.com/software/title/slps01603.html

 登場人物は主に「岩倉玲音」という少女と「トーコさん」という精神科医の二人。玲音はどうも心に問題を抱えているようで、トーコさんにカウンセリングを受けている。カウンセリングの記録や彼女たちの日記がデータとして電脳空間(?)に散らばっていて、これを閲覧していくのが serial experiments lain というゲーム(?)である。

 「カウンセリングの記録」「玲音の日記」「トーコの日記」などはすべて音声記録の形で、尺も短くて数秒、長くて2分程度の断片である。
 これらの「データ」が全部で2〜300個ほどあって、(基本的に)どの順番でアクセスしてもいいようになっている。
 データは(基本的に)時系列順に並べられていて、時系列をたどるようにアクセスすることが可能である。また、それぞれのデータには二つずつリンクがついていて、話題として関連するデータへ飛べるので、そうやってトピックを軸にたどる方向もクリエイターは意図していたようである。
 が、わざわざ順序のついたものをバラバラに鑑賞する意味は薄いし、インターフェイス諸々の問題からストレスでもある。多くのプレイヤーは「時系列の順に」物語にアクセスしたことと思う。私もそうした。

 結局のところ、lain における物語の断片化と「好きな順序に読んでいいよ」という一応のスタンスは、「プレイヤー自身の手によってデータを閲覧すること」を印象づけるメタフィクショナルな演出として使われたものだ。この演出は強烈で非常に印象的なものだが、「順序を崩せる」とはいえ順序は実際的には依然と存在するし、データ同士を結びつけるリンクについても、あまり有意味な演出効果はないように見える。

「順序」の非在化

 wiki読むのって楽しい! という経験はないだろうか?
 Wikipediaのおもしろ記事に貼られたリンクから別の記事に飛んだらまたおもしろ記事だったり、MTG wikiで関連カードとの差違やメタ戦術を読んだり、TYPE-MOON wiki を覗いてみたり、SCP財団のページを読みあさったりなどなど、私も多くの時間をwikiで無為につぶしてしまった。
 wikiは「興味のおもむくままにリンクをたどって何かを読む」ことを許容するし、それに特化した形式だとも言える。wikiの形式はただそれぞれの記事がリンクでつながっているだけで、そこに順序構造は存在しない。

 このwiki形式で小説を書いちゃった(!)のが、酉島伝法「棺詰工場のシーラカンス」。作者のブログで公開されている(というか、ブログのほとんどの記事がこれ)。

最初に書かれた「【○】卵」の記事。ここから適当にハイパーリンクをたどって読む
blog.goo.ne.jp

 謎の生き物たちの大量のダジャレにまみれた生態や歴史が書かれた作品で、おそらく私はすでに8割くらいの記事を読んでいるのだが、いまだにかなりの部分が謎でどうなっているのかわからない。たぶん今度また挑戦すると思う。

リンクをたどっていく発想は往年のゲームブックにも近しいものがあるが、「展開を選択する」のではなく「文章中の適当な単語のページに飛ぶ」のはよりザッピング的というか、順序無視的な性格が強くて、ポテンシャルを秘めたブルーオーシャンな形式のように思う。wiki小説、他にもあったら教えてほしい。

Her Story

 2015年になって、「断片化したデータに順序づけがなく(正確には、順序にしたがってデータにアクセスする手段がなく)」かつ「ユーザーが任意の順番でデータにアクセスすること自体をゲーム性として成立させた」革新的なゲームが登場した。

store.steampowered.com

 「Her Story」は、およそ300個ほどの実写ビデオクリップで構成されたゲームである。どのクリップにも一人の女性が映っていて、カメラに向かって何かを話している。言ってしまえば、Her Story のゲーム内容は「好きな順番でビデオクリップを見る」だけなのだが、この「好きな順番」というのがクセモノで、ここに未知のゲーム体験がかくれている。

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こんな感じの画面がえんえん続く

 300個のビデオクリップは「データベースに保存されている」ことになっていて、データに直接時系列順にアクセスするようなことはできない。かわりにこのデータベースは任意の言葉で「検索」することができて、この「検索」にかかった動画を再生できるのである。

 ゲームを起動すると、初期状態では「殺人」という言葉が検索されている。検索結果には「殺人」という言葉を発言に含むビデオクリップが並んでいて、まずはこれらを再生していくという案配である。
これらの動画を見るとすぐに、どうやら彼女が警察署内にいるらしいこと、何らかの事件に巻き込まれているらしいこと、などがわかってくる。プレイヤーは「この事件について詳しく知るには何を検索すればよいか?」を考えて、別の言葉(たとえば「犯人」とか)を検索していく。これを繰り返しているうちに物語の全貌が明らかになっていく。

 このゲームのうまいところが、「(古いマシンなので)検索結果を5つまでしか表示できない」こと。たくさんの動画がヒットするような単語でも、(おそらくタイムスタンプの古い順で)上位5件の動画までしか検索結果画面に並ばないようになっているのだ。むやみに一般的な言葉を検索するだけでは核心部分の動画を見ることはできず、頭をひねってうまい検索ワードを考えるのは、既存のゲームで体験したことのない感覚だった。

 Her Story というゲームは、断片化したビデオクリップを関連性をヒントにつなぎ合わせ、プレイヤー自身の手でストーリーとして再構築するゲームである。まあ lain もそうだと言われたらそう言えなくもないが、これをゲーム性として達成したのは偉業といっていいだろう。(そもそも lain はゲームを志向していないようで、公称も「アタッチメントソフトウェア」)。間違いなく、断片化した物語の形式の最前線のひとつのように思う。

 主演女優の怪演も見どころで、何より体験として新しいので、ぜひプレイしてみることをおすすめする。Steamで600円くらいで売ってる(18/06/25現在、サマーセールで200円くらいになってる)。プレイ時間は2時間くらい。

断片化した物語の可能性

 物語の断片化の一般的な性質として「読者が自分でつなぎ直さなければならない」ことがある。「棺詰工場のシーラカンス」や Her Story は、リンクや予測される関連語彙のかたちでうまく「読者の好きな方向から物語を再構築して読んでもらう」作品だ。この読者依存な物語順序というのは、気ままに調べ物をしているときたまに感じるパズルのピースがカッチリはまる感触といおうか、あまりフィクションで見かけたものではなかった。 デジタル時代の文芸がもっと盛んにいろいろ試みていい分野のようにも思う(ゲームに片足突っ込んでいるが)。

 ついでに。ソーシャルゲームのシナリオはかなり断片化されているので、それを利用したような仕掛けのものがでてきたらおもしろい。ソシャゲーは数が出ている割に観測範囲では実験的な作風のものがあまりない気がする(大金が動いているのだからそれはそうな気もする)ので、オモシロなものを発見したらぜひ教えてほしい。